四の章 オオヒルメの憂い、アキツの心
ワの国の聖なる洞窟であるアマノイワトに王族以外の者が足を踏み入れる事はなかった。その歴史に、遂に終止符が打たれた。時期女王候補であったアキツに連れられて、ヤマトの国の言霊師であるツクヨミが、その「聖地」に足を踏み入れたからである。彼はイワトの中を進み、先代の女王であるオオヒルメが待つ広間に赴いた。
「オオヒルメ様には、ご機嫌麗しく存じます」
ツクヨミはまさに震えながら挨拶をしていた。彼の目の前には、女王となるべきであったアキツだけでなく、先代の女王であり、ワの国最高の呪術者であるオオヒルメがいるのだ。震えるなという方が無理であろう。
「其方の一族に対する非礼の数々、王祖に成り代わり、お詫びする」
ツクヨミが顔を上げると、オオヒルメはそう返して来た。ツクヨミは心底驚いてしまった。
「オオヒルメ様、勿体ないお言葉にございます。我が一族の辿りし道は、我が一族に非あればこそ。私には、全く怨みはございませぬ。
ツクヨミは再び平伏して言った。オオヒルメはツクヨミの言葉に微笑み、
「その言葉で、私は救われました。言霊師一族には、詫びても詫び切れぬ程の災いを与えてしもうたので、其方がここへ参ると聞いて、私は何としても詫びねばならぬと思うていたのです」
「ありがとうございます。我が祖も、オオヒルメ様のお言葉で救われましょう」
「ツクヨミ、其方は誠に優しき男よの」
オオヒルメは一段高いところに正座していたが、そこから降りてツクヨミの肩に手をかけた。
「恐れ多い事です、オオヒルメ様」
ツクヨミは上げかけた頭をまた地面に擦り付けた。
「ご挨拶はその辺りで。お話に入らせて頂きたいのですが」
アキツが堪りかねて口を挟んだ。オオヒルメとツクヨミはハッとしてアキツを見た。
「事は一刻を争うのです。お急ぎ頂きとう存じます」
「わかった、アキツ」
オオヒルメは苦笑いをして座に戻った。ツクヨミはアキツに、
「私にどうせよと?」
「言霊師の秘術を使い、異世界の方の魂をこちらに呼んで頂きたいのです。大叔母様のお力と貴方のお力ならば、禁呪である秘術を使わずとも、為せるはずと思います」
ツクヨミとオオヒルメは、思ってもいなかった提案に顔を見合わせてしまった。
「アキツ、それでも禁呪は禁呪ぞ。私は力を貸す訳にはいかぬ」
オオヒルメは厳しい表情になって言った。
「大叔母様、先程も申し上げましたが、時は待ってはくれませぬ。急がねばならぬのです」
しかしアキツは引くつもりはない。彼女はオオヒルメを真っ直ぐに見つめている。
「ならぬものはならぬ」
オオヒルメは遠き昔の秘術の結果を知っているので、どうしても賛同しかねた。
「何故です? このままでは、オオヤシマは血に染まって行くだけです」
アキツにはそのオオヒルメの
「……」
オオヒルメは、それでも禁呪を使いたくなかった。そして、搾り出すような声で言う。
「それでもならぬ。禁呪を為せば、今以上の災いを呼び込む事になるからじゃ」
「ええ?」
アキツは驚愕した。ツクヨミも、オオヒルメの真剣な表情から何故禁呪とされたのか、その理由を知りたくなった。彼はゴクリと唾を呑み込み、オオヒルメを見た。
「
アキツの問いにオオヒルメは俯いた。
「大叔母様、お教えくだされ」
アキツがオオヒルメに近づき、言葉を促す。オオヒルメは伏せていた目を上げて、
「秘術を使うと、ヨモツが
オオヒルメの悲痛そうな声に、アキツは思わずピクンとした。ツクヨミも身を強張らせる。
ヨモツとは、オオヤシマの地下にあると言われている闇の国の事である。
(オオヒルメ様が
ツクヨミもヨモツの事は聞いた事がある。しかし、詳しい事は知らない。オオヒルメの話は彼の興味を大いにかき立てた。
「では、その昔、異界の者がオオヤシマを救ったというのは偽りでございますか?」
アキツは震えながら尋ねた。するとオオヒルメはゆっくりと首を横に振り、
「それは
「……」
アキツはツクヨミと顔を見合わせた。
「ですが、ワの国は滅びておりませぬ。ヨモツも今は動いていない様子。どうしてワは滅ぼされなかったのです?」
アキツは再びオオヒルメに尋ねた。オオヒルメは悲哀に満ちた顔で、
「ワの王が、身を捨ててヨモツの兵を封じたのじゃ。アマノイワトの更に奥にあるヒラサカでな」
アキツは自分が何をしようとしているのか、気づき、目を見開いた。
「そのような事があったのですか。申し訳ありませぬ、大叔母様」
彼女は平伏して詫びた。オオヒルメは微笑み、
「もう良い、アキツ。其方のオオヤシマを
「私は、自分の事ばかりで、大叔母様のお苦しみを考えずに……」
アキツは涙を流していた。ツクヨミは涙するアキツの美しさに顔が火照るのを感じた。
「いや、私も同じぞ。禁呪を使えば、自分が命を捨てねばならぬ事を知っていたのだ。私は自分の命が惜しくて、オオヤシマを救おうとするお前を諦めさせようとした。詫びねばならぬは私の方じゃ」
オオヒルメは涙こそ流していないが、目を潤ませていた。するとアキツは、
「もしヨモツが動きし時は、私が封じます。本来であれば、私が王であったはずなのですから」
「アキツ……」
オオヒルメは目を見開いた。ツクヨミも驚いてアキツを見た。
「その覚悟なくして、ワの女王などと名乗れませぬ」
アキツの決意の固さに、ツクヨミは自分が身代わりになれればと心の底から思った。
そして、磐神家。
武彦は、久しぶりに夢の中の女性の声に悩まされる事なく、快適な睡眠を得られた。そして朝もすっきり目覚め、朝食をすませていたので、いつものように彼を迎えに来た幼馴染で同級生の都坂亜希を驚かせた。
「ビックリした。てっきりまだ寝てると思ってたから」
亜希はいつになく上機嫌で言った。武彦の姉である美鈴も、
「私も驚いたのよ。今日は雪が降りそうね」
「そうですね」
女性陣に酷い事を言われている武彦だが、そんな事よりグッスリ眠れた事の方が嬉しいのか、
「行こうか、委員長」
「うん」
二人は玄関を出た。美鈴は溜息を吐き、
「全く、朝起きられただけで感動させるなんて、あいつも本当に困った奴」
と言いながらも嬉しそうだ。彼女は自分も出かける準備をするために部屋に戻った。
「あのさ」
大通りの舗道を歩きながら、武彦は言った。ご機嫌な亜希は、
「何?」
とニコニコして聞き返す。武彦は、
「委員長ってさ、機嫌いい時と悪い時が激しく変わるんだけど、僕が何を言うと気分が悪いの?」
いつもの亜希なら、「委員長」の一言が気に障るのだが、今日は本当に機嫌が良かったので、
「そう? そんな事ないと思うけどなあ」
と
「そ、そうなの」
武彦の脳内は、疑問符だらけになっていく。そんな彼を見て、亜希はまたドキッとしていた。
「ほら、早く行こうよ、武君」
顔が赤くなったのを悟られたくないのか、亜希が武彦の手を握って走り出す。いきなり亜希に手を握られた武彦はビクッとして、
「あ、ちょ、委員長!」
とアタフタしながらも、亜希の手を振り解く勇気もなく、されるがままに走り出した。
武彦の生活環境は穏やかだった。しかし、少しずつ、それは変化していた。
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