今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを  人づてならで 言ふよしもがな 3

                ◇◆◇◆◇◆


焦ったようなノック音の後、部屋の主であるグレースが返事をする前にバタンと勢いよくドアが開けられた。


3日前にナンバー4の男に連行されたホークがバタバタとグレースの執務机まで走り寄り、バンと包帯でぐるぐる巻きにされた手を勢いよく机についた。

その衝撃で書類が舞い上がり、グレースは眉をひそめながらペンを走らせる。

グレースの鬱陶しそうな雰囲気に気付くことなく、ホークは興奮を抑えきれない表情で問いかけた。


「どうやったんですか!あの男の証言!」

「…」


ふ、とため息をついてグレースはペンを置いた。

ホークが去るまで、書類仕事はできないだろう。

諦めたグレースは、そこでようやく顔をあげ、ホークの姿を見た。


壮絶な3日間が伺える姿だった。

手や首等の露出しているところだけでも包帯が巻かれているし、右手は折られているのか吊るしてある。頭はヘッドバンドで固定された上包帯で巻かれている。

顔の湿布からは少しどす黒い色の痣がはみ出ている。

体中痛めつけられている状況を考えると、逆にホークは元気すぎるほどだ。


「犬からミイラかフランケンシュタインにでもなったのか」

「ははは、ちゃちな拷問だったんでゾンビに成り損ねちゃいました。俺だったらもっと効率的な痛めつけ方ができるのにな」


痛くないはずはないが、いつも以上に軽い口調でホークは言ってのけた。

その声は以前より少ししゃがれていたが、グレースは指摘しなかった。


グレースの何がそこまでホークの忠誠を誓わせているのかわからないが、どんな手を使われようと、彼は“鼠”の娘の件について口を割らなかった。

そのことが少し意外ではあったが、しかしグレースの行動は決して無駄ではなかったはずだ。

グレースの行動がなければ、ホークは口を割る日か死ぬまで拷問され続けていただろう。

グレースが更に上に登るためには、疑いを早く晴らす必要があったし、ホークが死んでしまえば手持ちの駒がひとつ減る。

代わりはいるとは言え手間を考えると、彼が口を割るもしくは死ぬ前に手を打つことが最善だったのだ。


「それより、グレース様本当にいったいどんな手を使ったんですか!ナンバー4の男のところに、いきなりファミリーでもなんでもない男がやったはずもない殺しを自分がしたんだって言ってきたらしいんですけど」


グレースの打った手はシンプルなものだった。


ホーク以外の人間に、自らが行ったのだと名乗り出てもらう。

たったこれだけだ。


犯人が名乗りをあげ、罪を認めているのだから、証拠も目撃情報も持っていないファミリーの人間はその犯人を認めざるを得ない。

勿論、容疑の晴れた人間を拷問はおろか、その行動を制限することだってできなくなる。


「普通殺されるってわかってて、やってもいない殺しを自首するなんてできないっすよ。どうやってあの男にそう言わせたんですか!」

「…さあな」

「えーっ」


はぐらかされたことに不満そうな声をあげたホークだったが、次の瞬間にはまたにやにやと笑い出した。


「自首してきた男がいるって告げられた時のナンバー4のやつと鼠は、そりゃあもう狐につままれたような間抜けな顔してたんですよ。おかしいのなんの!俺が開放されるころには絶対暴いてやるだの、これですむと思うなだのごちゃごちゃ言ってましたけど、それも負け犬の遠吠えと思うと笑いがとまらなくって」


「あいつらにあんな顔させるなんてやっぱりグレース様ってすごい」と無邪気な子供のようにはしゃぐホークに、グレースは無表情ながらにやはり犬だなと心中で呟いた。

                

                ◇◆◇◆◇◆


右腕が折られていることを除いても、両手の爪を失い今は包帯で覆っているホークには、いつものように銃の手入れを頼むことはできなかった。

他の部下に触らせる気は毛頭ないため、グレースは自ら手入れを行おうとしたが調度道具を切らしており、まずは道具を揃えるところから行動する必要が出てきた。


イタリアの街は細い路地がいくつもある。車ではそうした近道である細い路地を通ることができないため、グレースは車を降りて徒歩で店まで向かっていた。


何とはなしに風景に目をやっていると、花屋にいる一人の女に気を取られ、気付けば足を止めていた。


真っ白いワンピースに身を包んだ女が店員に包んでもらったであろう鉢植えを受け取り、無垢な微笑みを浮かべている。


ごく普通の日常にありふれた光景だ。

それでも、自分でもよくわからないうちにグレースは引き寄せられるようにその女のいる花屋へふらふらと進んでいった。


店の前まで来たその時、ドアから女が出てきた。


背中まである栗色のふわふわとした髪に、日焼け知らずの白い肌。華奢な体に白いワンピースが良く似合っている。

大事そうに腕に鉢植えを抱えたその女が前を通り過ぎようとした時、グレースは思わず彼女の肩を掴んだ。


「きゃっ」


見開いた亜麻色の瞳と目が合い、グレースは我に返った。

自分でも彼女を止めようとしたのかわからないので、何を言っていいのかもわからない。


しかし、見知らぬ男性に突然肩を掴まれた彼女はもっと困惑しているだろうと、グレースが謝罪の言葉を述べようとすると、彼女は何かに気付いたような声をあげた。


「もしかしてあなたも狙っていました?この時期にしか出ないですからね藤」

「…藤…」

「ごめんなさい。あのお店の最後の一個、私が買ってしまったんです」


申し訳なさそうに眉を下げて喋る彼女に、どんな状況でも冷静沈着、頭脳明晰なはずのグレースの脳内の処理が追いつかない。

思考がまとまらないまま、グレースの口は勝手に言葉を発していた。


「気にしなくてもいい。それより、女性にはその鉢植えは重そうだ。もしよければ手を貸そう」


俺は何を言っているんだ。


相変わらずいつもどおり涼しげな顔立ちなまま、グレースはひとり混乱していた。

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