第6話 月

 翌日の幼稚園は案の定と言えた。

 あの教諭は夕日乃が庭の隅で男児達に絡まれているのをニヤニヤ見ている。

 真っ直ぐな感じの女児が教諭に男児達を止めるように言うも「遊んでるだけでしょう」そう言って取り合わない。

 男児達は「ブスブス」と笑いながらボールを彼女へ投げつける。

 ボールは当たっても全然問題ない柔らかで安全なものだが、だからと言って当たれば痛いものだ。

 特に心が。

 だがボールは全然、まったく女児に当たらない。

 夕日乃は飛んできたボールが体に触れない軌道の場合、直立のままじっと動かない。そしてぶつかる軌道のボールは最小限の動作でスッと、ヒョイっと避ける。

 なのでまったく当たらない。かすりもしない。

 感情を出さず避ける夕日乃にバカにされてるような気分になったのか、イライラし始める男児達。

「よけるな!ブスッ!」

 子供いつも理不尽だ。

 夕日乃がもう付き合い切れないとばかりに、ポンと打ち返したボールが、男児の顔面にポコンと当たる。それを一緒にいた男児が指をさして笑う。

 余程悔しかったのか、顔を真っ赤にして「ぶびぃ~っ」と泣き出す男児。

 とっさに足元の石を拾い(おいそれは不味いだろ)夕日乃に投げつけた。

 隣の男児もさすがに焦り、それを止めようとしたが遅かった。

 石は勢いよく夕日乃の顔にぶつかる――事は無く、ぱしっと簡単そうに受け止められた。それは結構大きめの石で、もし当たってたら大変な事になっていただろう。

 投げた当人も驚き、見ていた周囲の子達も安堵した。

「何をしているの!」

 さすがの教諭も止めに入って来たようだ。

 だが、次の言葉に耳を疑った。

「あなた!その石をどうする気なの?人にぶつける気なのね!何て野蛮な子でしょう!母親ソックリね!保護者を呼んで、この子達三人のご両親に謝罪させますから!いいですね!」

 教諭の後を一緒に付いて来た真っ直ぐな感じの女児も、いじめていた男児達さえも、その言動にドン引きしてるように見える。

 その後も毒牙の様な夕日乃の母を罵る言葉が続く、が――


「わたしは、ママじゃ、ないっ!ママっ、もういない!」


 夕日乃は震えながらもしっかりと強く叫んだ。

 その震える小さな手には、お守りのようにあのスイッチが握られている。

 思いもよらない幼女の言葉に怯む教諭。


「がんばりましたね」

 

 その声に驚き、涙が零れる既の瞳を大きく開き、声の主を探す。

 髪をなびかせ美幼女がジャングルジムの天辺で仁王立ちしていた。

 右手には最新のビデオカメラが輝いている。

「夕日乃ちゃん、おいで」

 ジム天辺から飛び降りくるくると空中回転し、格好良く着地した白雪に駆け寄り、ぎゅっと抱き着く夕日乃。

「もう今日からは、しなくていい我慢からサヨウナラですよ」

「まだこれ、おしてないのに……」

「いやぁビデオの試し撮りに歩いてたら、夕日乃ちゃんが見えたんだわ」

 もちろん嘘。


「さてお前達、いい加減にしろ?」

 ビデオをチラつかせ教諭をドヤ顔で睨み、説教を始める美幼女。

「この子はお前を酷い目に遭わせた女じゃなでしょう?」

「それにその嫌な女とは、もう一生会う予定もないのだろ?いつまで引き摺るの、もう忘れなさい」

「ネチネチいじめたこの子の半分はあなたの愛した男のものでしょう?」

 諭すように話すとビクリと、そして震えだす教諭。

「とっくに離婚してるんだし、この子の父がまだ好きなら追いかけてみたらどう?今タイにいますよ?女性の影もありませんよ?」

 ビデオカメラのモニターで夕日乃の父が海外赴任先で働く姿の映像見せるてやる。

(これでより戻したらどっちもどっちでアレな気もするが……ソレは言~わない)


「昨夜、現地に行って撮って来たの」

 そう言ってメモリーカードを抜いて渡す。

 教諭がはぁ?という顔をするも、毒が抜け別人の様な表情をしている。


「おいガキ共。男のくせに女の子を三人がかりでいじめるのは、アホみたく格好悪いぞ?」

「パパとママ、お爺ちゃんお婆ちゃんが知ったらどうなると思う?誕生日やクリスマスのプレゼントがどうなるか考えなさい。何日も押し入れに入れられるかもよ?」

 真っ青になる男児達、そこにようやく園長がやって来る。

 今まで気が付かず何やってたのこいつ、って感じだわ。

「何があったかは、その先生に聞いてください。あと、今日はこの子早退させます。私が連れて行きますからね」

 何者なんだこの子供は……って顔してるけど、どうでもいい。

 私にとって大切なのは夕日乃ちゃんだけなのだから。


「夕日乃ちゃん、行こっか」

「どこに?おうち?」

「どこでにも、どんなに遠くても連れてってあげる」

「どんなにとおくても……」

 ふと見上げる、まんまる窓の「外」から見る青色の中の白い月。

「つき……」

 はっとして俯く。

「ごめん……」

 無理なわがままを言ってしまったと感じているのでしょう。

 うん、全然無理じゃない。

「了っ解!月に行きましょう」

 にっこり笑う白雪に目を丸くする幼女。


 突如大気が震え、幼稚園の窓ガラスがビリビリと音を立てる。

 同時に辺りが一気に薄暗くなる。

 何か大きなものが太陽を遮り影を落としたのだ。

 園児も教諭も近隣の人々も、皆一様に同じ表情で空を見上げてる。


あ……あのうちゅうせんだ……

 ぽっかり口をあけた夕日乃のまんまるな瞳に白い宇宙船が映る。


 まるで白磁器で作られた様な六角柱のケージが夕日乃の前に降りてくると、音もなくドアが開き、先に乗った白雪が手を差し伸べる。

 おっかなびっくりその手を掴み、引っ張られるように乗ると、真っ白で白雪に似た幼女が自分の手を優しく握っている。

「だれ?」

「白い白雪です~」

「ではこの子は預かります。保護者には私から連絡しますから、いいですね?」

 返事は無いが気にしない。

 その中で一人、真っ直ぐな感じの女児が、慌てながらも夕日乃のカバンを持ってきて渡してくれた。


 ヒュンと上昇しドアが開くともう乗員室。

 ケージから降りるとすぐ隣のドアが開き、夕日乃は手を引かれるままに艦橋へ。

 ぽつんと寂しそうな、いつものシートに白雪が勢い良くぽんと座り、おいでおいでして半分空いた右側に夕日乃を座らせる。

 初めて二人で座るシート。ちょっぴり窮屈だけど、とても心地よい。

 わざと消してた全天モニターを起動すると緊張してた夕日乃が「うわぁっ」と驚きと笑顔の混じった顔を見せてくれた。

 眼下に広がる街並みと、梅雨の晴れ間、太陽光を浴び鮮やかな緑色の海を思わせる森、そして那須の山並みと透き通った空青のコントラストがとても美しい。

 ハイペリオンドライブが光を零し、白い艦体をゆっくり前進させる。


「これ、うちゅうせん?しらゆきちゃん、うちゅうじん、なの?」

「はい、そうですよ……怖い……です?」

「うれしいっ!」

 笑顔で抱き着いてくる夕日乃に言葉を忘れる白雪。安堵しながら抱きしめ返す。

 夕日乃が私の髪に、そして頬に触れ瞳を覗き込んでくるので、私も彼女の瞳を覗き返す。

「しらゆきちゃん、ゆきみたいで、すごくきれい」

「ありがとう、私はこの戦艦に触れると白くなるんですよ」

「……?せんかん?」

「そう、宇宙船ではなく、宇宙戦艦なんです。戦うお船が戦艦なんですよ」 

「たたかう?じゃあつよいの?」

「すごく強いですよ~夕日乃ちゃんを守ってあげられるくらい強いです!」

「うん……ありがとう、でも」

「でも?」

「わたしもしらゆきちゃん、まもりたい」

 キュン!ときた……

「じゃあ、いつかその時が来たら、守ってくださいね」

「うん!」


 ――この子を好きになり過ぎてなんか怖い。


 飛び立つ直前の白鳥のように艦首を昼間の白い月に向ける。

「よしっ!夕日乃ちゃん前を見て」

「つきだ」

「夕日乃ちゃんが発進って言ってください」

「うん!はっしんっ!」


 雲間に見える月に目がけ、雲海を突き抜け一面に広がる空の青が群青に変化する様子を脳が認識する次の瞬間――そこはもう星の海。

 強烈な加速のはずだが人体への影響は何も感じない。

 丸く浮かぶ月へ向けさらに加速する。


「しらゆきちゃん!すごいっすごいよっ!」

「夕日乃ちゃん大興奮ですね」

「つきまでいくの、なんにち、かかるの?おばあちゃんが、すごくとおいって、いってた」

「今は秒速1000㎞程度で飛んでますから、あと五分ぐらいでしょうか……本気を出すと通り過ぎちゃうから、今は凄くゆっくりですね」

「え……ええ?」

「宇宙戦艦はこの世で一番速く飛べる乗り物なんですよ」

 どんどん月が膨らんでゆき、クレーターのデコボコも鮮明に確認できる。

「はいっ到着~~!」

 まるで電車ごっこの運転手。

 そんな口調の白雪が夕日乃に目を遣ると、静かに涙する横顔があった。


 夕日乃の視界の全てにまんまるな月が浮かんでいる。

 まんまる窓から見えたあの月が今……抱きついて頬ずり出来そうな場所に浮かんでいる。

 白雪の腕を掴む小さな手に少しだけ力が入り、ぽろりと涙が零れ落ちた。

 震える夕日乃の肩を優しく抱き、濡れた頬に頬を寄せ、お互いの体温を感じながら、ゆっくりと静かな時間が流れてゆく……

 こんな幼子の小さな涙の理由さえ理解できない自分に、無力さと情けなさを強く感じる。


 今、この子を守るのに私の強大な武力など何の役にも立たないのだ。

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