現代における著者の人間性と作品との不可分性

「まずさ、今時のSNS社会って小説にとっては良くないと思うんだよな」

「急にどうしたんですか先輩。あと、評論のネタにするなら『SNS社会』や『良くない』の定義をちゃんとしないとまたフルボッコにされますよ」

 寂れたカフェ、客は私と先輩の二人きり、マスタアはつまらなさそうに食器を磨いている。私と先輩は、一杯のコーヒーで何時間も創作論を戦わせるのが常である。私のほうは申し訳ないから、たまにおかわりをすることもある。先輩は本当に一杯しか頼まない。マスタアのほうも、混んでいるわけではないから、文句をつけたりはしない。さらに言うと、この店が混んでいるところは見たことがない。

「昔はさあ、著者と読者って会話とかほとんどしないわけじゃん」

「まあ、そうでしょうね。熱心なファンが家に押しかけたりはしたかもしれませんけど」

「だよな?でも、今は作者がSNSやってて、そこで宣伝とかしてるわけじゃん」

 何が悪いのかわからない。宣伝の形態が変わっているだけだと思う。

「かあーつ、そこがお前さんの悪いとこだよ。想像力ってもんがない。まあこれ見てみな」

 先輩の差し出したスマホを見ると、そこには「〇〇@カクヨム執筆中」と書かれたSNSアカウントが映し出されていた。

「これが何だっていうんです」

「まあスクロールしてみろよ」

 スクロールした。政治的な発言、表現規制反対という気炎、あるいは炎上をまとめたサイトのURLなどが投稿されていた。

「つまりさあ、作者の人格とか、政治思想とか、そういうのがSNSでわかっちゃうんだよね。そうするともうそういうのが頭にこびりついて離れなくなる。この間のアメリカ大統領選だって、ある有名著者がトランプを自分の小説の悪役になぞらえて批判してただろ。ああいうことされると、トランプ支持者はその小説を楽しめないってことになるよな」

「著者がそれでもいいって思ってるわけでしょ。嫌ならSNSするなって話です。なんなら裏垢でも作って、宣伝は表のほうでやればいい。読者のほうでそれが嫌なら、見なきゃいいんですよ」

「嫌なら見るな、で嫌なものをまき散らすのは、物書きとして不誠実だと思うんだがなあ」

 それまで黙っていたマスタアが振り返った。

「それじゃあ君、コーヒー一杯で数時間つぶすのは、誠実な客だと言えるのかね」

 なるほどその通りだ。コーヒーをもう一杯ください、と声をかける。先輩はやはり頼まなかった。

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