第7話 疑わしき吉報

 義頼よしより陣屋じんやにて千本せんぼん城落城の知らせを聞いていた頃、一方の佐貫さぬき城では全く別の報告がもたらされていた。

 城に義頼の使者として使わされた板倉実臣いたくらさねおみも、城内にてこれと同じ知らせを聞くこととなる。

 それは、この戦の行方を計りかねる程のものでもあった。


 その情報とは、あの大多喜おおたき城の正木憲時まさきのりときの率いる軍勢が城を出て、安房あわ領内に進軍したというものである。

 さらに憲時は先に手薄の葛ヶ崎くずがさき城を攻め、これを落としたというのである。

 安房方からは城を守る角田一元かくたいちげんが病気の身体を押して一戦にのぞんだものの、あえなく討ち死にをしたということまで伝わってきた。


 角田一元はこの時まだ二十歳の若侍で、安西や板倉などと供に将来は里見義頼の側近として期待をされていた人物でもあるという。

 はたしてどこからそのような情報がもたらされたのかは分からない。もちろん、にわかには信じられないものの、この早馬のよってもたらされた佐貫城への吉報きっぽうは、先程まで落胆していた城方を活気づかせるには十分なものでもあった。


 一方、この知らせは何故か義頼の陣にも同様にもたらされることとなる。

 義頼は直ぐさま、先の千本城陥落の知らせと共にことの真偽を探るため、物見の早馬を安房へと走らせた。

 同時に、佐貫城へと通じる街道という街道を直ちに封鎖する事も忘れなかった。


 事実、安房葛ヶ崎城ではこれよりほんの少し前、確かに正木憲時率いる上総かみふさ勢の攻撃を受けていたのである。


 義頼の動きをいち早く知った正木憲時は、大多喜城を出立すると同時に隊を二手に分け、一方は葛ヶ崎城へ、もう一方は勝浦かつうら興津おきつ城へと向かわせた。

 勝浦一帯は正木家にとっても地の利があるだけでなく、義頼率いる安房里見勢が上総西方へ出陣している今、安房方の城をひとつでも多く落としていくことが狙いでもあった為である。


 もともと房州ぼうしゅうにおける正木家は、父時茂ときしげよりも以前から安房勝浦の一帯を本拠地としていた。

 先代の正木時茂は里見義堯さとみよしたかのころより里見家に仕え、幾多の合戦で華々しい功績を挙げてきた。当然領地も拡大し、その後大多喜城を拠点に一時は下総しもふさの千葉氏などの所領にも攻め込むことがあったほどである。


 もともと嫡男ちゃくなんがいなかった時茂は、この時憲時を正木家の養子として向かい入れた。

 間もなく、憲時は正木時茂が逝去せいきょすると同時に、父が治める大多喜城を継ぐこととなったのである。

 憲時はその後も、里見義堯、義弘よしひろとよく仕え、こたびも義弘の子梅王丸うめおうまるのために立ち上がったと言うことになる。


 葛ヶ崎城を前に正木憲時は城へと使者を送った。

 使者には里見家の継承者が梅王丸であることの正当性を説くと供に、願わくば自軍に加わり安房岡崎城まで供に進むことの利を語らせたのである。

 しかし、使者は城門にたどり着く前に追い返されてしまった。しかたなく、憲時は単騎城門の下まで馬を走らせるや、大地がさけん程の大声で叫んだ。


 「角田丹後守かくたたんごのかみ殿よ。わしとそなたとで話をいたしたい。わしを城内へ入れられよ」


 しかし皮肉にも、この時城主の角田丹後守一明かずあきは安房岡本城へ出向いており不在であった。

 運命の歯車というのは、時として残酷ざんこくなシナリオを用意したがるものである。城に残った者のうち、この申し出に一人の若武者が答えることとなる。


 「拙者角田一明が家臣、角田一元である。そなたの声はここへは届かぬ。さあ、力ずくにて存分に攻めて参られよ」


 角田丹波守はんばのかみ一元、この城の城主角田一明の実の弟でもある。

 一元は正木憲時の言葉を城攻め込みの合図だと思ってしまったのであろう。そのため、兵の浪費を嫌い無血開城を望んだ憲時の思惑しわくとは違う解釈をしてしまったといえよう。

 しかし、これこそが歴史の悲劇でもある。


 この時、角田一元は労咳ろうがいわずらっていた。現代で言う結核けっかくである。そのため、二十歳という若さにも関わらず、頬はこけ肩の肉も落ちていた。

 自分の死期を悟っていたというわけではないだろうが、眼孔がんこうだけは鋭く、鎧を付けた姿はまるでハゲワシのようにも見えた。


 一元は馬にまたがると、槍を小脇に抱えた。徒兵かちが持つそれよりはかなり短いものではあったが、彼はそれを二度ほど音を立てて振ると、城門を開けさせた。


 その角田一元には、十数騎の騎馬武者が従った。

 「兄上、この一元、死に場所を得ましたぞ」

 言い放つや、彼は敵の中へと突進していく。


 供の結城吉輝ゆうきよしてるは一元が正木方の騎馬武者を四騎まで切り落とすのを見た。その姿はまさに鬼神のごときであり、彼はなおも敵陣深くへと突進した。


 ところが、五騎目の武者と刀合わせをしているときに、敵の槍隊に囲まれた。

 すかさず結城吉輝が後を追おうとしたが、すでに一元の姿は馬ともども敵の旗指物はたさしものの中へと消えていた。

 結局、葛ヶ崎城の兵は最後までよく善戦したが、二日後、正木憲時によって飲み込まれてしまった。


 この勢いに乗じた憲時は、さらに近隣の金山城をも攻め落とした。また、勝浦に差し向けた一軍も吉宇よしう・興津城の占領に成功した。

 正木憲時は、直ちにこの知らせを上総は梅王丸の居城佐貫城にも伝えようとしたが、残念ながら葛ヶ崎城攻略の知らせの後は、すべて里見義頼の手配により途中で途絶えることとなる。よって、佐貫城にはこの最初の一報のみが届くこととなったのであった。


 義頼が何故精鋭の五千もの兵を持って、いの一番に千本城を攻略したのか、この時になってやっとその答えが解った。

 義頼は梅王丸の佐貫城がある西上総と正木憲時の大多喜城との分断を図ったのである。

勿論それは兵や物資ということにもなるが、義頼が最も重要と考えたのは、情報の分断でということであった。

 そして、逆にこの情報網を統括とうかつすることで、今回の戦の主導権を握ろうと考えていたのである。


 しかして、この義頼の作戦は見事に的中した。

 この正木憲時からの知らせは、一時は佐貫城内の志気を高めることにはなったが、むしろあらぬ混乱を引き起こしてしまうことにも繋がった。

 つまりそれは、眼前に押し寄せる義頼の軍勢二万による恐怖心と、一方連合を組んでいる正木憲時が軍勢による先勝の知らせのどちらを信じ、これからどのような選択をしていけば良いのかという迷いである。


 また第一報の後、憲時からの連絡が途絶えたこともさらにその迷いに拍車はくしゃをかけた。

 ある者は今すぐ降伏するべきだといい、またある者は正木憲時が安房岡本城を攻め落とし戻ってくるまで籠城ろうじょうをするべきだと唱える。

 城より打って出て、義頼の首を挙げるのだと息巻く者もいた。

 勿論、当主とはいえ幼少の梅王丸がこの難局を乗り切ることができぬことなど、考えなくとも分かり切っている。

 城内の皆は、梅王丸の後ろ盾となり、事実現在の里見家を切り盛りしている加藤伊賀守信景いがのかみのぶかげの判断を待つこととした。


 加藤信景はいったん退き自室にもると、土岐政道ときまさみちを呼んだ。

 おそらく自分一人では決断を下しかねると思ったのであろう。信景にはそのような心の弱さがどこかにあった。

 一方信景の部屋に呼ばれた土岐政道は、ふすまを開けるなり辺りをかまわず大声を張り上げる。


 「伊賀守殿、この期に及んで何を躊躇ためらっておるのか。貴殿きでん自ら先頭に立ち、義頼殿の本陣めがけて一戦交えて参られよ!」


 政道は部屋の長押なげしに据えられた長槍を掴むと、穂鞘ほさやを振り払い、その柄を信景に放った。

 信景は咄嗟とっさのことに一歩身体を後ろに反らした。受取手を失った長槍は、どすんと言う鈍い音を残して畳の中央にと転がった。


 「伊賀守殿・・・」

 しかし、その土岐政道の眼にはもう加藤信景に対する畏敬いけいの念はなく、一介いっかいの老武将が戦におびえる姿としか映ってはいない。とその時、廊下を足早に走る足音が近付いてきた。

 多賀是之たがこれゆきである。

 是之は部屋へはいるなり、二人の武将と、それを分けるように置かれた一本の長槍を眼にした。二人を見つめる是之の顔は明らかに青ざめている。


 「方々、大変なことになり申したぞ。血気に走る若侍が、義頼殿のお使者を切って仕舞われましたぞ」

 「なんと!」

 これにはさすがの土岐政道も驚愕きょうがくした。

 加藤信景に至っては、半分腰を抜かしかけている様子である。


 おそらく多賀の眼にも、今の信景の姿は先ほどの政道と同じように映っているのであろう。

多賀是之はそれ以上信景に語ることはせず、横たわる長槍を拾い上げると、土岐政道と供にまた足早に部屋を出ていった。


 城内はまさに蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていた。使者の板倉実臣を切った若侍は、すでにその場にて果てている。

 かたわらに横たわる実臣の身体には幾重にも刀傷が付いており、ほぼ即死の状態であった。

 若侍は我に返った後、ことの重大さに気づいたのであろう。止める仲間二人に傷を負わせながらも自らの腹に刃を突き立てたのである。


 「ええーい、愚か者が、はやまりおってからに」

 土岐政道は辺り構わず怒鳴り散らす。


 「このこと、梅王丸様にお知らせした方がよろしいか・・・」

 多賀是之は生気を失った声で、誰に言うとはなく一人呟いた・・・

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