第5話 北条から来た嫁

 天正六年五月、里見義弘さとみよしひろ久留里くるり城にてその生涯を閉じたことが事実となる。

 上総かみふさでは義弘が床に伏したときから、いち早くこうなることを予見していたのであろう、月が変わった六月にはすでに梅王丸うめおうまるを里見家の当主へとえている。

 そればかりか、義弘の葬儀も済んでいないというのに、房総の西より佐貫さぬき城、久留里城、大多喜おおたき城、さらには勝浦かつうら城を結ぶラインに防御戦を張るなど上総側も用意周到であることを伺わせた。


 そんな最中、義頼よしよりは梅王丸のことを思い出している。

 「梅王殿はご無事であろうか・・・」

 義頼の胸中とは裏腹に、上総方、安房あわ方ともどもがこれから始まるであろう戦支度に余念がなかった。


 一方、千本せんぼん城に幽閉された竜崎六郎太りゅうざきろくろうたはというと、城の地下牢の中でその時が来ることをじっと堪え忍んでいる。

 勿論、その気持ちを支えていたのは安房の侍魂さむらいだましいというものだけではない。牢に捕らわれしことを知った義頼は、この一介いっかいの国人の為あらゆる手段を使って繋ぎを付けては励ましてきたのである。

 実を申せばこの地下牢の牢番、中瀬茂吉なかせもきちも安房方より使わせし者であった。


 彼はことあるごとに情報を六郎太に知らせるばかりか、長い牢獄生活の中で壊死えしし始めた皮膚に塗る油薬までも竜崎に与えることができた。

 よって、竜崎は地下牢に居ながらにして、世情せじょうを十分に知ることができたのである。

 「殿は必ずやこの房州を立て直して下さる」

 六郎太は今や視力の落ちた眼で、わずかにこぼれる外の月明かりを眺めていた。



 年も改まった天正七年、義頼は北条氏政より継室けいしつとして氏政うじまさの子菊姫を輿入こしいれすることとした。

 もっとも氏政の子とは名ばかりで、正確には菊姫は氏政の妹であり、政略結婚の相手として義頼に嫁がせるために氏政が自分の養女としたものであった。


 もとより義頼にはこれより2年前、北条氏政のもとからその末の姫、鶴姫つるひめを正室として迎い入れていた。

 時はまさに相房の和睦わぼくが成り立った後のことである。勿論それは、和睦の証としての政略的なものであった。

 そのため、当の義頼は婚儀のことなど何も知らされてはおらず、義頼はじめ安房の家臣団がそれぞれ上総かみふさを立ち退いた後に、鶴姫はひとり久留里城へと送られてきたのである。


 結局新郎もいないまま、久留里城にて義弘の立ち会いのもと、義頼との婚儀こんぎが執り行われた。

 この後、菊姫は供回りの者も数えるばかりに久留里城を出立すると、まだ顔も見ぬ義頼が安房岡本城へと向かったのである。


 二日後、姫を迎えた岡本城側もまた、てんやわんやの大騒ぎとなった。

 何しろつい先日までは仇敵きゅうてきと恐れていた、相州そうしゅうは小田原北条氏政うじまさの娘をめとるというのである。当然賛否も含めて、評定ひょうじょうではその対応に議論は沸騰した。

 最初に口火を切ったのは秋元弥七あきもとやしちである。


 「殿、北条は長年来の仇敵。その娘を安房里見家の血筋にお入れになるのはいかがかと存じまする」

 いつもながらに、弥七の歯に衣着せぬ物の言い様は痛快である。

 「恐れながら、これは明らかに上総方からの押しつけ、殿が相房和睦のつけをお払いになることはありますまい。ましてや、殿にはすでに御嫡男義康ごちゃくなんよしやす様が御出で御座います。新たにお子でもできれば、それは安房里見家にとっての・・・」

 板倉実臣は言いかけて、またいつものように言葉を飲み込んだ。

 「殿、必ずやわざわいとなりましょう」

 実臣の意を汲むように、岡本頼元よりもとが言葉をつなぐ。

 義頼はこれをただ黙って聞いている。


 「殿には鶴姫様を迎い入れることで、何かお考えがあるのでしょうか?・・・」

 安西忠正ただまさが促した。

 忠正にはすでに義頼の考えていることが思いついている。それでもそれをあえて言葉に出さず、義頼に言わせるよう仕向けるのが忠正の忠正であるがゆえんでもある。

 義頼はそんな忠正の眼を見ながら、ひとつ軽くうなづく。


 「皆の気持ちはよう分かった。しかし、姫を北条に帰せば今の里見では、北条はおろか上杉、武田、佐竹さたけらにすぐにでも飲み込まれてしまおう」

 「しかしながら・・・」

 いつも義頼には絶対服従の堀江頼忠ほりえよりただも、今回ばかりは歯切れが悪い。

 「忠正、城の西にいおりをひとつしつらえてはくれぬか」

 「ははっ、庵には姫様が飽きぬような庭をほどこしましょう。そして、晴れた日には遠く相州の山々が見えるような高台も築いておきましょう」

 義頼の言葉に、安西忠正は珍しく多くの言葉をつないだ。

 

 義頼は北条の後ろ盾を失った後の里見家を、そして梅王丸を案じた。

 結局、安房里見家では鶴姫を迎い入れることとした。しかし、それは鶴姫にとってもまさに裸足でいばらの道を歩くようなものである。

 鶴姫の為に建てられた庵は立派なもので、相寿庵そうじゅあんと名付けられた。義頼の意を察した安西忠正はぜいを尽くした嗜好しこうに設えた。


 ただひとつ。ただひとつ、この庵は義頼が執務しつむする城の本丸からは最も遠いところにひっそりとたたずんでいる。そのため庵を訪れる者もなく、鶴姫は毎日孤独の日々を数えていたのである。

 鶴姫は高台から見える相州の山並みに、何度もそのほおを濡らした。


 そして鶴姫が安房岡本城へと嫁いで二年が過ぎた頃、義頼のもとに鶴姫逝去せいきょの知らせが届いた。

 供の者の話によると、近くの寺へもうでた際に、参内へと続く石段を踏み外し、頭を強く打ったというものであった。

 しかし、義頼はそうではないと感じた。おそらくはこの二年もの間、誰にかまわれることもなく一人失意の中、最後は武家の娘らしく自害して果てたのであろうと思ったのだ。

 結局、義頼はついに一度も相寿庵へと渡ることはなかった。

 そうすることが家臣一同の意志でもあり、また義頼が上総の里見義弘に対する意思の表し方でもあったからだ。


 「そうか、大儀たいぎである」

 義頼の鶴姫に対する言葉は、後にも先にもこの一言だけであった。


 この時鶴姫十六歳、花もつぼみのまま、余りにも短いその生涯を閉じたと言われている。



 一方、相州の北条氏政のもとには、供の者を帰すことはせず、代わりに安西忠正を義頼の名代みょうだいとして使わした。

 氏政はたいそう悲しんだとされているが、忠正ら一行が帰るときには、すかさず次なる一手を討つことも忘れてはいなかった。


 氏政は使者である安西忠正にこのように囁いた。

 「婿殿むこどのも嫁を無くしてはたいそう不憫ふびんであろう。今一度わしの姫を、今度は里見家ではなく義頼殿に授けるゆえ、万事房州ぼうしゅうのことは頼みますぞ」


 「ははっ、この忠正、必ずや殿にお伝え申し上げまする」

 安西忠正は北条氏政の胸中を知るや、小躍こおどりしそうなほど嬉しかった。何故ならば仇敵であるはずの北条氏だが、氏政はもうこの時すでに里見家の行く末を、義弘の後家督を継いだ梅王丸ではなく、安房の里見義頼に託していたことが伺い知れたからである。

 同時にそれは、安房里見家にとって、上総の里見家を倒し、房州を統一するのにはこの上もない後ろ盾となることを意味していたからでもあった。


 そのようなこともあり、政略結婚とはいえ鶴姫の継室として菊姫を迎い入れた義頼は、表面上でも仲睦まじいところを見せたのである。

 そしてそれは、安房の里見家家臣らにも次第に浸透していくこととなった・・・

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