聖獣の血筋
シルクハットを目深にかぶり、聞いているのか聞いていないのかわからぬ魔法使いを前にして、大臣たちは額を伝う汗を拭きながら苦しそうに声を絞り出す。部屋の気温が高いわけではない。季節は秋で、過ごしやすい時期だし、何よりここは王宮。この星を収める王が住まう場所であり、春夏秋冬王宮内の気温はほぼ一定に保たれていた。
彼らのいる部屋は最上の賓客をもてなす青の間で、床には毛足の長い青い絨毯。広い室内の随所に、それぞれ名のある家具や美術品が品格を損なわぬ程度に並べられている。
大臣たちが汗をかかずにはいられないのは、目の前の魔法使いが不機嫌を隠さず黙り込んでいるせいだった。
ご機嫌取り用に並べた菓子は、同伴してきた八歳くらいの少女によって片っ端から片付けられていく。肝心の魔法使いはお茶にも手を出さず、椅子に座って微動だにしない。手を腹の前で組み、シルクハットの下から斜め上前方をじっと睨んでいる。
三人の大臣の一人が、まったく反応のない彼に対してもう一度説明を始めた。
「一昨年、大変残念なことに正嫡の皇子が病でお隠れになりました。皇帝もご病気にかかり、正直新しい御子は望めません。最後の尊き血筋がここで絶えてしまうこととなる」
尊き血筋。
この惑星ドラグスを治める皇帝には、初代が服従させたという聖獣の血が混じっていると言われていた。それを薄めることがないよう、近親婚を繰り返すこと数百年。彼らはそうやって不動の地位を築き続けてきたのだ。
「尊き血を絶やすことは絶対にあってはならぬことなのです」
近親婚は歪みを生む。皮膚の下を這いずり回っていた歪みは、やがて表に噴出すこととなる。
尊き血筋は少しずつ途絶え、今この星にその純粋なる血を持っている男子は病の皇帝だけとなっていた。子どもが、生まれにくくなっているのだ。
「そこで思い出されるのが八年前に生まれた子ども」
キィの眉が小さく動く。
「過去にもこのようなことがなかったわけではありません。そのような時は正嫡ではない男子を王宮に迎え入れることもあったのです」
むしろ、それが普通だ。
血筋を大事とするのならば、一人の女の腹ではなく複数人を囲い、子どもを、跡継ぎを残すようにしなければならない。
だが、今の皇帝はそれがあまりにもなかった。
なぜなら、彼の正妃がそれを許さなかったのだ。
「ある女が皇帝の子どもを奪い去り、姿を消したのです。我々の望みはその皇子にかかっております。魔法使い殿に、見つけ出して欲しいのです」
「皇子は小麦のような金色の髪に青水晶のような瞳をしてらっしゃいました」
「産まれてすぐに右手の甲に火傷を負ってしまわれた。あれは大きくなっても消えることはないでしょう」
「どうか、どうか魔法使い殿。皇子を見つけ出してください」
三人がハモってキィへ懇願する。
どうか、どうかと繰り返す彼らへ一瞥をくれると、ようやくここへ来て初めて口を開く。
「嫌だ」
聞き間違えようのない拒絶の言葉に、大臣たちは青い顔を白くする。
「そこを、どうか、どうかお願いします」
「耳が悪いのか? そんな奴が大臣職についているなんて、ずいぶんとのんきな
指を三本立てた右手を、大臣たちの鼻先に突きつける。
「金髪。青い目。右手に火傷のあと。……お前たちはこの宇宙がどれだけ広いか知っているか? 年間にどれだけの船が入り、出て行くかを。しかも八年前! 事が起こってすぐならまだしも、人間にとって八年と言う月日はそれほど短いものなのか?」
今まで探そうとしなかったのは、必要がなかったからか。それとも、手間が惜しかったからか。
「ク・ルゥ行くよ」
組んでいた足を解き、すっと立ち上がる。
「お待ちください魔法使い殿!」
「どうか皇子を見つけだしてください!」
「魔法使い殿なら、そのようなことは造作もないでしょう!!」
さらに言葉を並べようとしたが、キィが音を立ててマントを翻したので、怯えて身を引く。
「やだ。めんどくさい。……ク・ルゥ。行くよ」
再度呼ばれ、少女はようやく手を止める。少しの間じっと彼を見つめるが、小さく息を吐くと青年の下に駆け寄った。
キィは流れるような動作で左の肩へク・ルゥを担ぎ上げると、右手を高く上げる。
「なぜ僕が、身勝手な人間の望みを叶えねばならない?」
ぱちん、と指を鳴らす音が響き渡ると、青の間から魔法使いと少女の姿が消えていた。
城下は収穫祭の催しで、人が渦巻いていた。今年の豊作を祝う男たちがいれば、来る冬に備えて買い物に走る親子がいた。
そして、食べている途中で切り上げられ怒っているク・ルゥを満足させるために、露店をめぐる魔法使いの姿も。
「本当に、君のその摂取したカロリーはどこに消えているんだろうねぇ、ク・ルゥ」
熱々の揚げパンに粉砂糖をまぶしたおやつを嬉しそうにほおばる彼女を見て、キィはため息をつく。
「キィー」
「はいはい。女将! その赤い奴を一袋くれ!」
雑踏の中をチェリーの砂糖漬けを食べながら進むと、前方で歓声が上がった。同時に軽やかな音楽が聞こえてくる。
「一座だ! ドゥ・ヴァンテ一座だよ!」
どっと人の流れが二人を押しやる。
「これはたまらない」
ク・ルゥがおやつを心配するので、キィはぱちんと指を鳴らして近くの露店の上へと避難した。下から苦情を進言しようとした男は、彼の上に振ってきた銀貨を掴むと手を上げて中へ引っ込む。
広場の真ん中はで、宇宙を巡るドゥ・ヴァンテ一座が彼らの芸を披露し始めたところだった。
座長の挨拶から始まり、軽業師が危ういバランスで積み上げられた椅子の上に優雅に座る。ピエロが玉乗りを始め、しつけられた動物たちがピエロに飛び掛る。
愉快な音楽とともに、次々とめまぐるしく動き回る一座の者に、群集は拍手の嵐を送った。同時に派手に着飾った子どもたちが差し出す帽子の中にコインが次々と消えて行く。
だがその喧騒も、一人の少女が声を紡ぎだした途端、ぴたりと止んだ。
彼女は座の中心で胸の前で手を組み、水面を滑るように繊細で力強い唄が響き渡る。
伴奏はない。
だが、鈴の音がそれに重なる。
――シャン。
まだ成長期を迎えていない、線の細い少年が彼女の後ろから現れた。
――シャン。
手首と足首に、彼の髪の毛と同じ色をした金色の鈴をつけている。それが歩みに合わせて澄んだ空気を震わせる。鈴の音以外の雑音は、歩を進める音すら混ざらない。少年は風のごとく流れるように舞った。
少女の唄と、少年の舞、そして鈴の音が広場を中心にしてどこまでも広がっていく。
軽やかに、時には激しく、ほんの短いひと時を、人々は息することを忘れてるほどだった。
しかし、それはいつまでも続かず、静寂を破るように再び楽器による演奏が始まった。
座長である年配の女性が二人の側に駆け寄る。
「続きは花の広場の天幕で! ド・ヴァンテ一座の公演は今日から一週間、花匂うの宮に二の月がかかる頃! ぜひぜひご家族ご友人とご一緒に!」
ド・ヴァンテ一座の公演前の宣伝は毎度のことで、皆ひとしきり拍手をするとやがてそれぞれの本来の目的へと散って行った。
キィもようやく人が行き交うようになった通りに、ク・ルゥを抱えて着地した。
再び露店を眺めていると、真っ白いマントが後ろへ引っ張られる。ク・ルゥの乗っていない方の肩越しに後ろを見てみると、フードを目深に被った少年がいる。キィはにやりと笑って小道へ折れた。
「お久しぶりです!」
後から小走りで掛けてきた彼は、人目がなくなるとその緑色のフードを取った。
現れたのは先ほど踊りを披露していたドゥ・ヴァンテ一座の舞い手である。
「へぇ、ずいぶん大きくなったなぁ」
「キィさんとク・ルゥはお変わりないようですね」
「いっぱしの口を利くようになってる」
魔法使いが壁にもたれながら腕を組み、ニヤニヤとからかうように答えると、少年は頬を染めて口を尖らせた。ク・ルゥがそんな彼の足に飛びついている。
「もう五年前の僕じゃありません。今ではドゥ・バンテ一座でも一目置かれているんですから」
「見たよ。なかなかのもんだ」
口調をがらりと変えて褒めると、彼は笑顔を昇らせる。そんなところはまだまだ子どもだった。
「よかった! 今日の公演は来てくださいますよね? ダメです! 絶対に、来てください。団長も席を用意しておくと言ってましたから」
さてどうしようと勿体つける暇もなく、少年の言葉にク・ルゥが大はしゃぎをしている。もちろん、普段から表情に乏しい彼女なりの表現でだが。渋った日にはご機嫌取りに一ヶ月近く費やす羽目になりそうだ。
そんな彼の考えを読み取ったのか、少年は笑顔でク・ルゥを抱き上げた。金色の巻き毛がふわりと揺れる。
「もしこの後用事がなければ、今から天幕へいらっしゃいませんか?」
少女を抱えてのその言葉は脅迫に近い。結局キィと少年は並んで歩くこととなる。黙って耳を傾ける魔法使いに、少年は次から次へと近況を話し続ける。
「本当は皇帝の御前で舞を披露するはずだったんですが、御加減が良ろしくないとかで中止になってしまいました」
「残念?」
「ええ。だってこの星の皇帝は聖獣の血を引く気高い存在だと言われていますから。拝見したかった」
「そんな大層なものでもないよ。人間にはかわりない」
「魔法使いにかかれば皇帝ですらそんなものなのですね」
何がおかしいのか少年はくすくすと肩を震わせて笑う。
ク・ルゥが一緒になって少年の腕の中で暴れた。
「危ないよ、ク・ルゥ」
キィがそう指摘したとき、カシャンと少年の首から金色のメダルがこぼれ落ちた。
「あ!」
慌てて取ろうと振り返るが、それより先にキィが手元に取り寄せる。宙を行くそれを、少年はじっと見つめる。
金色のメダル。それにはいくつか青い石がはめてある。少年の瞳と同じように澄んだ青い宝石だ。手のひらにすっぽり収まるくらいの大きさだが、地金は黄金、石はサファイア。売ればかなりの金になるだろう。事実、もともと円形であっただろうそれは、その四分の一が欠けた状態にあった。
「鎖が切れたのか。お前が暴れすぎるからだ」
キィはク・ルゥの鼻を人差し指でつつき、彼女を少年の腕から受け取る。かわりに彼の首へメダルを巻いた。いつの間にか切れた部分がきれいに繋がっている。
「形見なんだろう。気をつけないと」
「……はい」
彼は少しだけ口元を緩ませて、そっとメダルを握った。
そうやって三人は黙ったまま細い路地を進み、仲間が見えてくると少年は駆け出す。
「キィさん! 早く!」
少し先で彼が大きく手を振っている。
「どこかの国の言葉にあったな。灯台下暗し」
「……」
「愚かなことだ」
皮肉な笑みを浮かべて、魔法使いは路地の向こうを見る。日が暮れ始めた広場にはたくさんのかがり火が焚かれていた。
「キィさん!」
その広場の中央の天幕を前にして、少年が大きく手を振っている。キィは軽く手を挙げると、足早に彼らの元へと向かった。
皇帝などいなくても、人々の暮らしは変わらない。この星の活気は、もはや皇帝が維持しているわけではないのだ。
それに気付かない者もいる。
「まあ、ク・ルゥのお菓子代くらいにはなったかな?」
肩に乗る少女の小さな指が、キィのほっぺたにそっと手をやる。
「……あれだけ食べてまだ足りないのか、君は」
呆れたように笑い、二人は明るい天幕へと向かった。
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