太陽石

 どこまで見渡しても動くものが見つからない。風に揺れる木々さえ硬い樹皮をさらして、そよぐ枝葉は灰色をしている。

 不毛の土地と呼ぶに相応ふさわしい。

「ああ、邪魔くさい!」

 指をぱちんと鳴らして宙に現れた白い青年は、自由落下が始まる前にもう一度指を鳴らす。すると先ほどと違った場所に再び現れるのだ。

 それを何度か繰り返したところへ、左手で無造作に抱えた少年が声を上げた。

「あそこ!」

 襤褸ぼろを着込んだ少年が、土で汚れた指で真っ直ぐと先に見える大きな岩を示した。

 少年が見つけた時点で指を鳴らすのをやめたため、二人は揃って空中から地上へと引き寄せられていた。

 青年の白いマントが自然の法則に従って上へとはためく。だが、頭に載せたシルクハットは飛んでいかずにしっかりと彼とともにあった。

 落ちて行く速さに恐怖して、少年が叫び、目を閉じる。

 その声に端正な顔をしかめ、青年――キィはぼそりとつぶやいた。

「面倒くさい」


 この、人が住むにはかなりの忍耐を要する荒れた土地にも、やはり人間たちは在った。

 土地があればどこへでも出現するという、ゴキブリ並みの根性を持っているから、というだけではない。

 彼らがここに固執するにはそれなりの理由があった。

 赤く光り、熱を感じることはできても、それで火傷を負うような事態にはならない。とても高価な【太陽石】が産出される土地だからである。

 手のひらにちょうどすっぽり収まるような大きさの石があれば、寒い土地で冬越すのに十分なぬくもりを得ることができる。冬の惑星ではこの【太陽石】があるかないかで死人の数が大きく変わった。

 【太陽石】は、ある日突然乾いた土の中から現れる。それは【穴】と呼ばれ、代々【穴】は口伝でしか伝えられない。親から子へ、子から孫へ。広大な大地に散り、彼らは石が乾いた土の中から湧き上がってくるのを待つのだ。

 大変脆く、大人の腰の高さから落とせば砕け散ってしまうほどだ。大事に土を、砂をかきわけ取り出し、定期的にやってくる商業船に石を売るのだ。船は宇宙を行き、寒空の星に暖をもたらす。

「それで、一週間子どもが戻ってこないと」

 出されたお茶が思いのほか高価で美味しく、彼らが見かけほど貧しいわけではないと、あらためて認識する。

 いつもは肩に乗っているク・ルゥは、キィの隣の席で出されたケーキをほおばっていた。彼女の鼻の頭についた生クリームを指ですくって口に入れ、その甘さに顔をしかめる。けれど彼女にとってはご馳走のようで、頬を緩ませご機嫌であった。

 これから明らかに頼まれごとをされようとしている状況で、ク・ルゥの態度はいただけない。断りにくいことこの上ない。

「そうなんです! 双子が、サンガとケイネが。いつもは【穴】を見に行っても三日で戻ってくるというのに」

 母親らしき女性がそう言って顔を覆った。その肩を、体格の良い男が抱いて、キィを真っ直ぐ見る。

「代々魔法使い様が現れたときは、望むままに【太陽石】を渡すよう言われ続けてきました。それにそむくつもりは到底ございません。けれど、どうか、私たちの息子を見つけてきてはくださいませんか!」

 それは脅しだ。

 テーブルにひじをついて、親指でアゴを支え、人差し指で右目に着けた片眼鏡モノクルの縁をゆっくりとなぞる。

 選択権などないのだ。

 目の前でお代わりを所望している少女の存在が、さすがの魔法使いでもノーとは言えない状況を作り出している。

「……魔法使いにも、不可能なことがある」

 彼がそう言うと二人ははっとして彼の色違いの瞳を見つめた。

 音を立てずに立ち上がり、テーブルの上のシルクハットを被りなおす。

「失われた命は戻せない。そうでないことを祈っていろ。――ク・ルゥ」

 キィに呼ばれて少女は金色の双眸を彼へと向けた。

「留守番だ」

 彼女は両手についた生クリームを舐めながら、満足そうにうなずき返した。

 ケイネはすぐ見つかった。持ってきた食料を食いつくし、騾馬ラバの影でぐったりとしているところを拾い上げ、もう一人はと問いただすと、岩の裂け目に落ちたという。

 魔法使いとて、知りもしない奴を探すのは難しい。地上にある生物をチェックして、ケイネを見つけたが、地中までは探っていない。

 それに、もう生きていないかもしれない。

「そんなことないよ! あいつの声が聞こえたんだ。この間の地震で新しい裂け目ができてて、新しい【穴】が見つかるかもしれないって、サンガが言い出してさ」

「それで地面を這って、底が抜けたか」

 まだとおほどでしかない少年は、砂まみれの手で顔をこする。

「サンガは俺をかばって落ちたんだ」

 助けを求めてその場を離れたケイネは途中で力尽きてのびてしまった。

 一縷いちるの望みに賭けて、キィはケイネの示す方角へ飛び続けた。行き過ぎてしまわないよう、一度の距離は短い。見渡せるよう、空の上を行く。

 そして、ケイネが指差したのは大きな岩が二つ折り重なった、その下にぽっかりと空いた穴。言われてよく見なければ、この距離ではわからない。だが、その側にあるキィの身の丈よりもずっと大きな岩は特徴的だった。

「面倒くさい。――いや、面倒なことになった」

 魔法使いの思わせぶりな台詞も、ケイネの耳には届いていない。

 落ちるままにされている恐怖と、サンガを助けることへの興奮で、叫び声を上げ続けている。

「あんまりうるさいと声を奪うよ」

 地面に激突する寸前で、キィは指を鳴らす。

 すると目の前にくだんの穴が現れた。

「サンガっ!!」

 抱えられていたケイネがキィの腕を振りほどいて駆け出そうとする。それを魔法使いは彼の腕を掴んで止めた。

「離して!」

「バカだろお前。地面に穴が開いたんだろう? その穴に落ちたんだろう? 穴がもっと広がる可能性を考えろ」

 言われて、自分が地面からほんの数センチのところで浮いていることに気付いたのだろう。彼は口を尖らせてうつむいた。

「お前はここで待ってろ。僕がサンガを連れてくる」

「嫌だ! 一緒に行く!」

 間髪いれずに返ってきた言葉に、キィもむっと口を尖らせる。

 しばらく無言のやり取りが続いたが、最終的にはキィが諦め肩を落とした。

「わかった。だが、僕は魔法使いだ。そして、この世に魔法使いに敵う人間なんていない」

 キィは再びケイネを抱えると、穴の中を今度はゆっくりと落ちていった。

「サンガーっ!」

「下で生きている。怪我はしているようだが、運がいい。落ちた場所がよかったんだろう。それより響くからあまり大声を出さないでくれ」

 あんまりうるさいと声を奪うよ?

 今度のは忠告でなく宣言だ。ケイネはこれ以上魔法使いの機嫌を損ねぬよう、しぶしぶ黙ることにした。

 だが、意図的にそうしようとせずとも、彼は声を失う。

 暗く、細い、二人がやっと通れるほどの裂け目を行過ぎると、だんだん辺りが明るくなってくる。

 そして現れたものに、ケイネはただ口をぽかんと開けて感嘆の声を上げることすらできなかった。



 地面に開いた穴は、下で、大きな空洞になっていた。

 地震のせいで、もう少し深くにあったものが押し上げられてしまったのだろう。同時に地上へ通ずる裂け目もできた。

 月に一度やってくる商船がすっぽり入ってしまうぐらいの、空洞の中に、赤く輝くケイネの身長の十倍はゆうにある、赤い結晶があったのだ。それは空洞の下と上から伸びていて、やがて中央でつながり一つの大きな塊と化していた。

「ケイネ!」

 ささやくような、それでいて鋭い声が後ろの闇の中から聞こえた。

 振り返るとサンガが身体を横たえたまま嬉しそうに手を伸ばしている。赤い光が彼の顔を照らし、顔色の悪さを隠している。

「サンガ!」

 魔法使いから離れて一歩踏み出す。そして転ぶ。

「気をつけろ。苔だらけだ。まあ、そのおかげでお前の相方は助かったんだろうが」

 キィは軽い足取りで弾むと、ケイネを飛び越え、起き上がることができないサンガの横へ立った。右手をサンガの額へ伸ばすと、少年の顔が驚きに染まる。おそるおそる身体を起こし、己の身体をみやった。

「サービスだ。……それじゃあ、行こうか」

 サンガの腕を掴み無理やり立たせる。

 転がったままのケイネの腕も同じように取ろうとしたところへ、二人は同時に声を上げた。

「待ってよ!」

 そう言われて確かに魔法使いは動きを止めたが、無表情を決め込んでいた彼の顔が明らかにゆがむ。赤く染まったその表情は、見ようによっては怒っているようにもとれた。

「少し【太陽石】を持っていきたいんだ」

 サンガが笑顔で言う。赤い石の前で両手を広げる。

「こんな大きな【太陽石】があれば、僕らは大金持ちだ。もうみんなで【穴】堀りに出かける必要なんてない! いつ出てくるかわからない【太陽石】を待ち続けることなんてないんだよ!」

 二人は笑顔で魔法使いへ迫った。双子は同じ顔で、同じ笑顔を浮かべていた。

 けれど、キィはまぶたを閉じてゆっくりと首を振る。

「だめだ」

 冗談で言っているのではないと明らかにわかる彼の声色に、二人は表情を凍らせた。

「なんで……? なんで、なんでだよ! これだけあれば、冬の惑星がどれだけ救われるか! 星全体を暖めることだってできる量なのに!」

 サンガが魔法使いに駆け寄り、彼に食ってかかろうとしたとき、キィはパチンと指を鳴らした。

 少年の身体が崩れ落ちる。

 下は柔らかい苔で、彼の身体が傷つくことはなかったが、ケイネは短く叫び双子の片割れに駆け寄った。

「何を!?」

「眠らせて、忘れさせた」

 ケイネが彼の口元に手をやると、確かに息はしている。

「でも、なんで!」

「言ったろ? 魔法使いに敵う人間なんていないのさ」

 上から下まで白尽くめの魔法使いが、赤く染まる。

「説明してもお前たちは納得しない。だから、忘れろ」


 見つけた双子を連れ帰り、感謝の言葉とともに目的の【太陽石】を受け取る。

 あの後も甘い物攻めにあったのか、すっかり満足したク・ルゥを肩に乗せて、キィはぱちんと指を鳴らした。

 ちょうど商船が来たと聞き、それに乗せてもらえるよう交渉する。ク・ルゥはキィが余計に魔法を使うことが嫌いで、移動手段があるときはそれを利用するのが常だった。

 部屋を一つ確保したところで、ク・ルゥの瞳がじっと窓の外の大地に注がれていることに気付く。壁にぴったりひっつけてあるベッドの上に立って覗いている。

「ん? ああ。大丈夫。地中深く埋め直しておいたし、亀裂も全部修復した。これからも【太陽石】の製造に支障のないよう上手くやったよ」

 白いマントを放り投げ、同じようにシルクハットもブーツも手袋も、全部空中に消える。

「ク・ルゥも砂糖をいっぱい詰め込んで満足だろ?」

 キィの皮肉な台詞に、小さな彼女はこくんとうなずいた。それでも窓にへばりついたまま動かない。

 やれやれと肩をすくめて、彼は思い切りベッドに飛び乗った。ク・ルゥがその余波で弾む。それを救い上げて、抱きかかえ、彼も一緒に荒れた大地を望む。

「あれを少しでも削るわけにいかないし、一番良い方法だったと思うけど?」

 少しトーンを下げたキィの言葉に、ク・ルゥは再びうなずいた。

 昔、大昔、ほんの少し軌道をずれたこの星は、灼熱の惑星へと変化した。大地は乾き、生物は次々と死に絶えていった。

 劇的な環境の変化は、生物が存在することを許さなかったのだ。

 人々は神に祈るしかなかった。自分たちの技術でどうこうできるようなレベルではなかったのだ。

 そして、神が、魔法使いが、ほんの気まぐれを起こす。

 星の熱を地下へ溜め込み、惑星の温度を下げるよう魔法を使ったのだ。

 人が滅びずに済み、やがて地下へ溜め込む機構に変化が起きた。少しずつ飽和状態となったそれが地表に現れるようになった。

 それが、【太陽石】だ。

 サンガとケイネは、よく見れば地表に生まれるものと地下で見つけたものの様子が違うことに気付いただろう。

 地下の赤い石で貯めた熱量を凝縮したのが【太陽石】なのだ。

 もしあの地下の石を掘り返したら、だんだんとこの惑星の気温が上がり、やがては人の住めぬ不毛の土地となってしまう。

 また、【太陽石】を必要としているこの循環を崩すことになるのだ。

「自業自得。僕はそれでもよかったが」

 長い金色のまつげを伏せて、ク・ルゥが首を振る。

「人はすぐに忘れる」

 昔あった出来事を。

「まあ、でもそれが長所でもある。さ、一眠りしよう。君も眠るといい。出航の時間だ。人の乗り物は、長くてだるい」

 あくびを一つかみ殺すと、キィはベッドに手足を投げ出した。しばらく外を見ていた少女も、やがては白い青年の腹の上ですやすやと寝息を立てる。

 アレだけ簡単に忘れられるんだから、少しくらい早く忘れても、何の支障もないはずだ。

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