第4話 和解に勝る賞品はない

 今の私には、彼女のタックルを避けるだけの体力は、もう残されていない。

 だから彼女の体当たりは、モロに私の身体へと直撃した! その強烈な衝撃で、一瞬――意識が飛びそうになってしまう……。

 彼女の強烈な突進を受けた私の身体は、後方へと押し飛ばされていく……! そして、私と彼女の二人は――森の中から"飛び出した"。

 一気に、視界が開ける――

 いま私の頭上には、果てしなく青い大空が広がっている。そして足下には、白い砂が敷き詰められている。

 そう、この場所は――"浜辺"だった。


 私がガーネットさんに対して、最後の勝負を提案したのには、きちんとした理由があった。それは――彼女を、この浜辺へと誘い出すため、というものだった。

 さっきまで私がいた場所というのは、ちょうど森の"切れ目"に位置していた。つまり、私の身体の、すぐ後ろで、森は終わっていた。そして、その先に広がっているのは、広い浜辺だった。

 そのことに、彼女は気がついていないようだった。

 だから……一か八かの勝負へと出るために、私は、あの提案をすることにしたわけだ。

 彼女が私を押し倒すためには、思い切り体当たりを仕掛けてくる必要がある。そしてそうなれば当然、彼女と私は、その勢いのままに、森の切れ目を抜けて、広い浜辺へと飛び出していくことになる。

 ――そして今のところは、状況は、私の予想した通りに進んでくれている。ここまでは、順調だった。

 そして残るは、あと一手だ。次の一手が上手くいくかどうかで、この戦いの勝敗は、完全に決まることになる……!


 ◇ ◆ ◇


 私は、ガーネットさんに吹っ飛ばされて、浜辺の上へと、背中から倒れ込んだ。

 その衝撃で私は、腹の奥から「げほぉっ!」という変な声を出してしまった。

 背中からは、日の光で高温になった砂の熱さと、ザラザラとした感触が伝わってくる。


 そして今、ガーネットさんは――私の上で、馬乗りになっている。

 ここで彼女に手足を押さえられたら、私の負けだった。それなのに彼女は、すぐに私のことを取り押さえようとはしなかった。

「まさか、ここは……!」彼女は目を丸くして、驚いたように周囲を見渡した。

 どうやら、ここが日中の砂浜のド真ん中だと気がついて、びっくりしているようだった。



 砂浜というのは――日中には、非常に高温になる。

 たとえば真夏の暑い日に、裸足で砂浜を歩くなんていう果敢な行為をしたら、火傷してしまいそうになるくらいに、足の裏はヒリヒリとしてしまう。そのくらいに、浜辺の砂は熱くなるわけだ。もしもそこに水を垂らしたりしたら、あっという間に蒸発してしまう。

 つまり……この浜辺にある砂を使えば、ガーネットさんの身体から、大量の水分を奪い取ることができる、というわけだった。


 この勝負は、彼女の身体を乾燥させれば、私の勝ちになる。

 そこで私は、砂浜の砂を両手で掴んで、彼女の身体へと思い切りかけた!

「ああ熱いっ! ちょっとヤツメ、砂をかけるのはずるい……熱いっ!」

 人魚という種族は、人間よりも、ずっと体温が低い。だからその皮膚は、人間のものよりも、遥かに熱に弱かった。

 だから普通に考えれば、今の私の行動は、相手に熱湯をかけているようなものだった。むごい仕打ちだと、罵られてもおかしくはない。

 けれど……相手が彼女なら、きっと大丈夫だろう。なんといったって、ガーネットさんは、人魚を超越した人魚なんだから。

 例えて言うのなら――そう、ティラノサウルスだ。今の状況は、ティラノサウルスに襲われている状況で、非力な人間が熱湯をかけて応戦しているような状況に似ている。だからさすがに、咎められたりはしない……はずだ……。


 私は、最後に残された力を振り絞って、ガーネットさんの身体へと砂をかけ続けた!

「あ、熱い! うぅ、身体が乾いて力が抜けていく……あっ砂が目に入った! うわっく、口にも入ったよ!」ガーネットさんは、砂まみれになりながら悶えている。

 そして、とうとう――彼女は、その身体を大きくのけぞらせて……背後に広がる砂浜と、倒れ込んでいった。

「あっつ!」という声を上げて、ガーネットさんは、白い砂浜の上へと、その身体をドサリと横たわらせた。


 この最後の勝負は、一回限りのチャンスで、彼女が私を取り押さえられるかどうかで、勝敗が決まる。

 そして彼女は、そのチャンスに失敗した。私は無事に、しのぎきった。

 つまり、彼女に挑まれた、この真剣勝負は……私の、勝ちだ――!


 ◇ ◆ ◇


 その後――私は、熱い浜辺の上でピチピチと悶えているガーネットさんを、波打ち際まで連れて行った。

 彼女は、すっかり身体が乾燥してしまっていたせいで、かなりぐったりとしていた……。ひどく弱ってしまった彼女の姿を見ていると、さすがにやり過ぎてしまっただろうか……という罪悪感が沸き上がってきてしまう。

 けれどガーネットさんは、波打ち際から海水の中へと潜り、全身に水分をたっぷり補給すると、あっという間に元気を取り戻した。

 さっきまで、あれだけ弱っていたのが、まるで嘘のようだった。この真っ赤な情熱色の人魚は、一体どれだけタフなんだろう。


 すっかり元気一杯になった彼女は、波打ち際で、「この勝負は、あたしの負けだよ。たいしたもんだね、ヤツメ!」と笑顔で話してくれた。

 それから彼女は、「約束通り……あたしは、今後一切、人間の道路を封鎖たりはしないよ。なんといっても、真剣勝負で、誓ったことだからね。あたしとヤツメの、約束だから、絶対に守るよ。安心してね」と爽やかに告げてくれた。

 そういえば……そんな約束だったっけ……。あまりに必死すぎて、途中から、自分が一体何のために勝負しているのか、すっかり失念していた……。

 そう……この勝負は、道路を封鎖しようとする真っ赤な人魚から、道路を守るための勝負だった。

 そしてこれで、この地域の生活基盤である交通網は、無事に守られたわけだ。地域住民の生活の安心と安全は、きちんと守ることができた。

 なんにせよ、当初の目的は、こうして無事に達成することができたわけだ。本当に良かった。



「それにしても……」ガーネットさんは、ニコニコとしている。「やっぱり、真剣勝負というのは、とても心地が良いものだね。今日は、本当に楽しかったよ。ありがとう、ヤツメ」

「そ、そうですね……? 貴女に楽しんでいただけたのなら、私も嬉しいですよ」とりあえず私は、そう応えた。

 ただ……正直なところ、私には、大変だったという感想しかなかった。この前、安月給で買ったばかりのスーツも、すっかりボロボロになってしまったし……。

「あたしはね、嬉しいんだよ。だって、今日の勝負を通じて――ヤツメと私は、気持ちを通じ合わせることができたんだからね」

 そういえば――この勝負を始める前に、ガーネットさんは「真剣勝負を通じて、戦った相手と心を通わせ合うことができる」という話をしていた。あのときはてっきり、単に彼女がノリと勢いだけで話しているだけだと思っていたんだけれど……。

 まさか本当に――わずかかもしれないけれど――私と彼女の心は、通じ合ったんだろうか?

「それではガーネットさんは……今日の真剣勝負を通じて、私の気持ちを汲み取ることができた、ということなんですか? 私の心の奥深くにある魂を、垣間見ることは、できたんでしょうか?」

「もちろんだよ!」自信ありそうに彼女は言った。「だって動物というのは、限界ギリギリまで追い込まれた時にこそ、その"本性"というものが出るからね。"取り繕う"という行為は、余力があるときにしか、できないものなんだよ。つまり本心を隠すという行為は、実は、けっこう大変なことなんだ。だから……全ての力を出し尽くす"真剣勝負"の中では、その人の"本性"を知ることができるんだよ!」

 彼女のその言葉を聞いて、私は思わずドキリとした。言われてみれば、たしかにその通りかもしれない……。

 ということは、まさか彼女は本当に、私の心の奥底を覗き込むことができた、ということなんだろうか……? なんだか、プライバシーを暴かれてしまったようで、ちょっと恐い。

「そう、ヤツメの本性というのは……それはね――」

「そ、それは……?」

 もったいぶらないで欲しい。ちょっとドキドキしてきた。

「たとえ大変な時でも、簡単に逃げ出したりしないで、最後まで戦い抜くことができる人間、ということだね」彼女は、ニカッと笑った。「ヤツメは、あたしがどんなに脅かしてみせても、決して諦めたりはしなかった。最後まで、戦い抜いた。それはつまり――とても意思の強い人間、ということだよ。それと、約束を守れる人間、ということでもあるかな。そういうの、あたしは、とても大切だと思うよ」

 これは、褒められていると、素直に受け止めてもいいんだろうか……? ちょっと嬉しい。


 それにもし、ガーネットさんの言葉が正しいというのなら――それはつまり、逆に私も、彼女の本性を垣間見ることができた、ということになる。

 私からみたガーネットさんというのは――裏表の無い、とても真っ直ぐな女性という感じだった。ちょっと強引なところはあるけれど、本当に前向きで元気一杯だった。きっと、自分の気持ちに正直に生きているんだろうなあ……と感じた。


 ◇ ◆ ◇


 こうして私とガーネットさんの戦いは、にこやかで穏やかで和やかな雰囲気で幕を閉じた。

 それから彼女は――自らの居場所である大海原へと、帰っていった。


 時刻は、すでに夕暮れになっていた。

 沈みかけた夕日の輝きは、空と地上と海の全てを、赤く染め上げている。

 そしてガーネットさんは、夕暮れの光で真っ赤に煌めく海面から、上半身だけを海上へと出して、こちらに向かって手を振っている。

 その幻想的な姿は、誰がどう見ても――紛れもなく、とびきり綺麗な人魚の姿だった。


 やっぱり――彼女は、人魚だったんだ。

 実のところ、私は心の中で、「彼女は、新種の超越生命体なんじゃないだろうか……?」と疑っていた。けれど……それは結局のところ、私の杞憂でしかなかったようだった。

 ガーネットさんは、赤色の人魚だ。だから、夕暮れの海が、本当に良く似合っている。夕日のキラキラとした赤い光が、彼女の身体に反射して、とても綺麗だった。


 今日は、色々と大変だったけど――ひとまず今は、この光景を見ていよう。

 綺麗な風景や光景を見るという行為は、いつだって、人の心を癒やしてくれる。なぜなら、心にできた傷跡を、その綺麗な景色が、優しく埋めてくれるから――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ガーネットの愛した肉体言語 波間 @namima1600

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ