??? PART10

  10.


 2008年12月29日。


「あーあ世間はもう仕事納めだっていうのに、俺らはどうしてまだ仕事しているんだろうなぁ」


 凪はうんざりした顔で祭壇に水盤を並べている。


「悪いな。僕は今日で仕事納めだ。亥狩さんの担当が昨日で終わったんでね。今日の見学会までになる」


「……何だよ、お前まで仕事納めかよ。ほんと、大学生の時が懐かしいぜ。休みなんかいくらでもあったのによ。今となっちゃ、月に二日あればいい方だ」


「いいじゃないか。その分、技術は上達するんだから」


「腕が上がる前に俺の体が干上がっちまうよ」


 凪は大きく溜息をついた。


「年末が終わればすぐに正月が来るだろう? 店は閉めるけど葬儀は元旦からあるしな。ほんと苦労が耐えないよ」


 今日は友引前。友を引くから演技が悪いとされこの日に通夜をする人は少ない。そのため催し物が定期的にされる。大抵は顧客獲得のための説明会がほとんどだ。


 そして今日は今年最後の説明会ということもあり、プロのピアノ演奏が行なわれる予定になっている。


「……まあまあ。今日は楽しみにしていた生演奏が聴けるじゃないか」


「ふん。俺は別に興味ないよ。お前が聴きたがってただけじゃないか」


 斎場には特大のグランドピアノが設置されてある。何でも日本を代表するピアニストが来るらしい。そのためわざわざ特注のピアノまで用意されている。


 斎場の周りにはポスターが張られており、そこには神経質そうな女性が映っていた。綺麗な顔立ちだが物憂げな表情が非常に似合っている。


「こういう所にはきちんと金を掛けるよな。プロを呼ぶんだからそれなりの金額を支払うんじゃないか?」


「いや、無料でしてくれるらしい」


「えっ、どうして?」


「何でも、旦那さんが僕達と同じ車両に乗っていたみたいだ」


 志遠はポスターをなぞった。


「未橙六貴(みだい むつたか)って名前、聞いたことないか?」


「ああ、聞いたことがある。指揮者だろ、確か。そういえば事故に巻き込まれたといっていたな」


「うん。彼女はその奥さんだ」


 ポスターの写真の下に未橙雪奈と書かれてある。その上には悲劇のピアニスト、思いを奏でると太線でなぞられてある。


「なるほどな。だけど、どうしてうちの斎場で演奏してくれるんだ? 旦那の葬儀は東京でやったんだろう?」


「お互いの実家がこっちにあるらしい。それで彼女が実家に戻って来るついでに演奏してくれるようだ」


 志遠がきっぱりと答えると、凪は訝しげにこっちを見た。


「ふうん。それで今日は何を演奏するんだ?」


「ドヴィッシーの『月の光』だ。千月のお気に入りの一つでもあってね、彼女に何度か演奏して貰ったこともある」


「もちろん知ってるよ。あいつの家には動かなくなったオルゴールがある。あれは千尋さんから誕生日に貰ったものでな、曲は同じ『月の光』だ。俺だって耳にタコができる程聴かされてる」


 ……なにを偉そうに。


 意味もわからず熱を帯びていく。凪から千月の話を聞くとなぜか無性に腹が立ってしまう。しかもそれが自分の知らない話だと余計にだ。


「だから何だ。僕だって何百回と演奏して貰っているんだ。それくらいで自慢しないで貰いたい」


「おい、回数が増えすぎだろっ」


 凪は鋭い視線でこちらを見た。


「俺だって何千回と演奏を聴かされたよ。あいつの家に行く度に聴かされたんだから。それに手料理だってたくさん作って貰った。あいつの不味い菓子を食わされるのは本当に拷問だった」


「……なんだと」


 睨みをきかせながらいう。


「僕だって彼女のくそ不味い飯を何度も食わされたさ。それこそ毎日下痢になるくらいに」


「俺だって毎年あいつに甘ったるいチョコレートを貰った。どろっどろに溶けていて何を食べているのかもわからなかった」


「ふん、どうせ義理チョコだろ。僕は本命だ」


「本命とか関係あるかっ。どうせ貰ったとしても2、3個だろ。俺は毎年だ。数が違う」


「量より質だっ」


「質より量だろっ」


「なんだ、ただの幼馴染のくせに」


「お前こそなんだ、ただの死人のくせに」


「……すいません」


 我に返ると後ろに細身の女性が黒装束を纏って立っていた。ポニーテールにしている髪の色は若干赤みを帯びているほどに染まっている。


 ポスターの女性だ。


「すいません、遅れました。未橙雪奈と申します。今日の会場はこちらでよろしかったでしょうか」


「ええ、ここで間違いありません」


 慌てて彼女に近寄る。


「今回、説明会を担当させて頂く黄坂千月といいます。よろしくお願いします」


「……こちらこそ。まだ時間はありますよね。少し練習してもいいでしょうか」


「もちろんです、本番まではまだ時間がありますから。どうぞ使って下さい」


「では、遠慮なく」


 未橙はそういって椅子に座り鍵盤を鳴らし始めた。


「写真に違わず、かなりの美人だな」


 隣で凪が小声で呟いている。


「ああ、そうだな」


「いいよなぁ、あんな人に毎日演奏して貰ったら幸せだろうなぁ」


「……ああ」


「やっぱり上手いなぁ。なあ、別の曲もちょっとリクエストしてみないか?」


「……」


「志遠?」


「……ん?」


「どうした、大丈夫か?」


 凪に視線を寄せるが、どこにいるかわからない。意識が朦朧としている。焦点が定まらない。


「眠いのか? 昨日も徹夜で作業をしていたんだろう」


「いや……違う、これは眠気なんかじゃない」


 目を閉じればそのまま意識が飛びそうだ。味わったことがない感覚に緊張が走る。


 もしかして千月が起きようとしているのだろうか? それとも自分の意識が消えかけているのか?


「……すまない、凪。もしものことがあれば、よろしく頼む」


「おい、どういうことだ。どうしたいきなり」


凪に返答する間もなく自分の意識はゆっくりと崩れていく。耳から強烈な電波のようなものを感じる。音から電気を感じ取っているかのように頭が痺れていく。このきついヘルメットを被ったような締め付けの原因は聴覚にありそうだ。


 音のする方向を眺めると、そのまま意識の線がぷつりと切れた。

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