??? PART9

  9.


 2008年12月24日。


 黄坂家は明るい電飾にまみれていた。


 今日はクリスマスで、千鶴は張り切っている様子で料理にもいかんなく発揮されている。


「ほら、これ。お姉ちゃんが好きだった料理だよ」


 そこには蛸の酢和え、鰯の唐揚げなどの和風の料理が並んでいた。クリスマスとはいえ千月の好みのものを作ったのだろう。ゆかりのおにぎりもある。


「どう? 美味しい?」


「うん、やっぱり千鶴ちゃんの料理は美味しいよ」


「そう、よかった」


 千鶴は満面の笑みを見せている。


「誰かのために料理をするっていうのはやっぱりいいね。張り合いが出るし……」


 彼女は一人頷きながらテーブルに料理を運んでいる。もちろん一人でこれだけの量を食べることはできない。


「千鶴ちゃんも食べないと冷めちゃうよ」


「うん。私も貰おうかな」


 そういって彼女は小さいおにぎりを一つ箸で掴んだ。だが口には含まず小皿の上に載せている。


「お姉ちゃん、仕事の方は順調?」


「うん、今の所はね」


「……私も手伝おうか? お姉ちゃん一人に任せるわけにもいかないしさ、私も覚悟を決めるよ」


「……大丈夫。千鶴ちゃんは看護師になりたくてなったんでしょ。それは私が一番わかってる」


 これは千月から聞いた話だ。彼女の夢を壊すわけにはいかない。千月ならそんなことを許すはずがない。


「そうだけど……」


「いいのよ。私には私の人生があるし、千鶴ちゃんは千鶴ちゃんの人生があるんだから」


「……だったら」


 千鶴は声を潜めていった。


「あなたにはあなたの人生があったんじゃないんですか?」


 心臓が大きくバウンドする。だが表情には敢えて出さない。


「あなたはお姉ちゃんじゃないんでしょ。お姉ちゃんを知っているんだろうけど、お姉ちゃんじゃないわ。それだけはわかる」


「どうしたの、千鶴ちゃん」


「お姉ちゃんは和風の食べ物も好きだけど、クリスマスにはチキンがないと文句をいうほどわがままだったの。それなのに何の文句もいわないで食べるなんておかしいよ」


 自分と過ごしたクリスマスを思い出す。時計修理に追われていてクリスマスを味わう時間はなかったが、彼女は必ずチキンだけは買っていた。


「だって……千鶴ちゃんが作ってくれたものに文句なんていえないよ」


「じゃあ、どうしてたまに左利きになったりするんですか? 左手で箸を持っている時の方が自然に見えますよ。病院にいる時から……いや、最初の時からずっと違和感がありました。それは回復するにつれて大きくなっていってます。あなたは……お姉ちゃんじゃない」


 ……やっぱり妹は騙せないか。


 肩の力を抜いて目を閉じる。想定内だが体には緊張が走り、喉が急速に渇いていく。それでも冷静に務めなければならない。


「どうして私が私じゃないと思うの?」


「お姉ちゃんは……私のことを千鶴ちゃんなんて呼びませんよ。答えて下さい。あなたは一体誰なんですか?」


「……」


「お願いします。正直に答えて下さい」


「やっぱり千鶴ちゃんにはわかっちゃうよね。ええ、その通りよ。私は千月じゃない」


 観念した……フリをして言葉を漏らす。


「……私の名前はゆかり。彼女の中にいるもう一人の人格なの」


「……えっ?」


 千鶴の顔が急速に青ざめていく。唇が小刻みに震えている。


「……私はね、彼女の意識を統合するために存在しているの。彼女の意識は今、この体の中に眠っている」


「本当に……お姉ちゃんじゃないの?」


「ええ、そうよ。私の名前はゆかりというわ」


 千鶴は目を見開いたまま固まっている。まるで彼女の空間だけ時間が止まったようだ。


「動揺するのも無理はないわ。彼女が落ち込んでいる時にしか私は出て来ていないのだから」


「お姉ちゃん、じゃなくてゆかりさんというの?」


「そうよ」


「じゃあゆかりさん。どうしてあなたが出て来ているの? どうしてお姉ちゃんは出て来ないの?」


 凪にいわれた通り、女言葉が功を奏しているようだ。今の千鶴は別の人格がいると認識している。ここが勝負所になるだろう。


 志遠は唇を舐めて答えた。


「千月さんは自分が事故を引き起こして彼氏を殺してしまったと思ってる。だから自分の意識を隠しているの」


「事故を? あれは偶然なんじゃ……」


「事故は偶然よ。だけどその電車に乗ることになったのは彼女自身が決めたこと。だから彼女は負い目を感じてる」


 千鶴は眉間に皺を寄せながらも頷いている。そんなことがありえるのかという表情だ。


「彼女は辛いことがあれば私と入れ替わる癖があったわ。その度に私が出て来ているの。前に入れ替わったのは彼女の母親が亡くなった時よ」


「お母さんが亡くなった時?」


「……ええ。ちょうど三年前になるわね。千尋さんが亡くなった時、彼女は本当に落ち込んでいた。その時、自分の意識を切り離していたの。ちょうど一ヶ月くらいね」


「そんな……あの時は」


「もちろんあなたも辛かったと思う。だから私は千月さんのフリをしたのよ。姉の立場を尊重してね」


 千鶴はすでに自分から視線を外していた。だが納得できる部分があるのか、何の口答えもしなくなっている。


 ……思った通りに事が運んでいるようだ。


 心の中でほっと吐息をつく。母親の死は誰だって落ち込むだろう。特に母親を慕っている間柄にあれば尚更だ。


 千月には別の人格がある。普通に話せば笑われるのがオチだろう。しかし前例があれば説得の材料になる。


 それが今回のような無茶な話だったとしても――。


「……本当にお姉ちゃんじゃないの?」


「ええ、騙していてごめんなさい。いずれ白状しようと思っていたんだけど、いいそびれちゃって。だけど勘違いしないで欲しい。私は千月さんの意識を取り戻したいの。それにはあなたの協力が必要だから打ち明けたのよ」


「私の協力?」


「うん。あなたの力がないと千月さんは自分の意識を取り戻せない」


「お姉ちゃんは……どうしたら元に戻れるんですか?」


「確実な方法はわからないの。でも一つだけ考えがある」


 志遠は予め考えて置いた内容を話した。


「時間を巻き戻す……そんなことが本当にできるんですか?」


「彼女の時間をコントロールできればね。彼女がいつ出てくるかに限ってくるけど。もしそれが一定のペースにのったものならば、可能性はあるわ」


「そうなんですね……あなたはお姉ちゃんを元に戻そうとしてくれているんですよね?」


「そうよ」


「……よかった。そういうことなら私も協力します」


 千鶴は吐息を漏らした。何度も深呼吸を繰り返している。落ち着くには時間が掛かりそうだ。


「この蛸のから揚げも美味しいわね、やっぱり私じゃ作れないわ」


 冷静に食事に戻る。ここで慌てふためいて追い込みを掛けるよりも食事を満喫している方がいい。すでにゆかりの性格は構築してあるからだ。


 失敗しないよう自分の性格をベースにしてある。穏やかで静かな性格であれば、4年間あっても無理なく過ごせると確信している。


 蛸の唐揚げを頬張っていると、千鶴は胸を撫で下ろしながらもう一度吐息をついた。


「すいません。私、てっきり志遠さんが乗り移ってたのかと思っていました」


「……えっ」


 心臓が激しくバウンドする。先程とは比べ物にならない程にだ。


「お姉ちゃんが電車に乗れなかったことは知ってました。都営電車に乗ったことも連絡が届いていたんです。志遠さんがお姉ちゃんを庇ったことも……。もしかしたらお姉ちゃんを恨んで乗り移ったのかとさえ考えていたんです」


「そ、そんなことはないわよ。絶対に」


「そ、そうですよね」


 やはり千月の妹だ、勘が鋭い。二重の防止策を立てて置いてよかったと心の底から思える。


「……どうして、フィアンセだと思ったの?」


「何度かお会いしてたんです、とっても理性的な方だったので似ているなと思ってました」


 そういえば彼女の実家に遊びに行ったこともあった。その時に千鶴とは何度か面識がある。千月を驚かせようと二人で買い物に付き合って貰ったことも。


「でも……あなたがゆかりさんという別の人格で安心しました。もし志遠さんなら、私もどういった対応を取ればいいかわかりませんでしたし……ちょっと残念だけど、よかったです」


「……」


 ……なんといったらいいのだろう。


 だが言葉は出て来ない。自分が本当に第三者なら何かいいようがあるだろうが、自分は千月の彼氏だからこそ何もいうことができないのだ。どういっても志遠だと思わせる節が出るような気がしてしまう。 


 沈黙を貫いていると、千鶴が再び口火を切った。


「あの……ゆかりさんと呼んでいいんですかね?」


「ええ」


「じゃあ、ゆかりさん。これからよろしくお願いしますね」


「うん。……長い期間になりそうだけど、よろしくね」


 冷静に努めるが心の中では波が揺れている。今の時点ですでに挫けそうだ。だが千月のためにも偽り続けなければならない。


 彼女の意識が完全に戻る、その日まで――。

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