第二章 月運花馮 PART12

  12.


「凪、お疲れ様」


 通夜が始まり凪が車に戻ろうとすると、千月が缶コーヒーを両手に待っていた。

 休憩室で一緒にプルタブを切る。一息つくと千月が声を上げた。


「遺族もこれで一安心ね。個人名ではなく会社のOBとしてなら困惑することもないでしょう。仮に本当の愛人の子だったとしても」


「そうだな」


 遺族はそれとなく探っていたのだろう。だが確信は持てなかった。龍三が話さなかったからだ。


「……ねえ、どういう手を使ったの?」


「人聞きの悪い。別に悪いことはしてねえよ」


「そうだろうけど、この短時間でできることなんて限られるでしょ。ひょっとして知り合いだったの?」


「いや、知り合いじゃない。でも繋がりはあった」


 翼との車でのやりとりが蘇る。

 

「私の会社でのカレンダーに毎年、『風花雪月』という言葉が入ってます。これは母が好きな言葉なんです」


 風花雪月。花鳥風月のように自然を愛でる言葉の一つだ。


「どうしてこの言葉が好きなのか、と訊いた時、自分の大切な人がこの言葉を当て字にしていたみたいです。そしてその相手は……」


 こうなれば一人しかいない。


「俺のじいちゃん……ですね」


 翼の母・和巳も龍三と別れてちゃんとスタートをきっていたようだ。もちろん二人がどういう関係にあったのかはわからない。ここまでくればその考え方は野暮だ。


「その当て字の意味は、確かヒヤシンスの花言葉が掛けてあるといっていました。そしてもう一つ、仲間を思う言葉が入っていると」


 馮花運月。


 風花ヒヤシンスと運月。


 故人の苗字は運星。最初からこの三人はこの言葉によって繋がっていたのだ。なぜ故人がこの場所で葬儀をもう一度、したかったのかが感覚で繋がっていく。


 それは本当の自分を取り戻すためだったのかもしれない。


 彼には死んで初めて戻れる場所があったのだ――。



「お互い生きたまま、分かり合えていたらどうだったんだろうね」


 千月の言葉に凪は胸をつかれる思いがした。


「どうだろうな。そればっかりは神のみぞ知る、ってやつだ。でもこれでいいんじゃないか。最後には納得できる死を見つけることができた。それは素晴らしい人生だと俺は思う」


 東雲翼は故人がこの世にいないからこそ、この場に来ることができた。生きている状況ではとても話し合える状態にはないだろう。亡くなっているからこそ、彼女は真実を知ることができたのだ。


 ……お前の場合はどうなるんだろうな。


 凪は斎場を振り返って思いを馳せた。仮に彼女が真実を知ったらどうなってしまうのだろう。それはやっぱりわからないし、今は知りたくない。


 今はただ前を向いて彼女の幸せを望むことしかできない。いや、に祈りを捧げることしかできないのだ。


 凪は千月の方を見らずに車に乗り夜空を見上げた。そこには満月が薄い雲に覆われながら緩やかな光を放っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る