第二章 月運花馮 PART11
11.
「母が? 母がこの写真を撮ってあの人に送ったというの?」
「ええ、そうとしか考えられません」
凪は首を縦に振った。
「あなたはきっと母親に撮られた記憶がないだけです。それに写真に映っているこの花も龍三さんに対するメッセージが込められているんでしょう」
凪は店に飾ってある竜胆の鉢を取り出した。そこには花言葉が書いたプラカードがある。
「病室に三個の小さな鉢があり、何度も手入れをして中身を入れ替えた後がありました。竜胆、ヒヤシンス、エリカの花にこだわりがあるのではないかと思ったのですが」
「ええ、だからそれがどうしたの?」
「竜胆の花言葉には貞節、『夫への誓い』という意味があるんです。写真の竜胆はこの九州地方にしか存在しないんです。和巳さんはあなたの知らない所で龍三さんと連絡を取り合っていたのではないでしょうか」
「何をいってるの、あなたは……。母があの人に連絡を取るわけがないでしょう? 私達を裏切ったんだから」
「裏切ったとなぜいい切れるんです? 裏切ってないという可能性だってあるでしょう。この写真は龍三さんがイギリスに行った時の写真です。生涯初めての旅行だったそうです。何でも小説に出て来た舞台を見たかったそうですよ」
「それが私の話と何の関係があるんですか?」
「ここを見て下さい。この花は荒れた土地でも咲くくらい生命力が強いんです。その名を蛇の目エリカ。花言葉は『裏切り』という意味があります。龍三さんは最期まで悔やんでいたのではないでしょうか。だからこそ体を壊していてもイギリスに旅立ったんです。きっとこの風景を和巳さんに見せたくて行ったんじゃないでしょうか?」
もちろん全て推測だ。確証はない。けど和巳の花に対する思いはわかったつもりだ。あの鉢を眺めている彼女の姿に暖かいものを感じた。
あれは決して負の感情じゃない。
「それにエリカには『裏切り』の他にもう一つ、『博愛』という意味があります」
凪は思いを込めるように優しく述べた。
「特定の人だけを愛するのではなく、その人物が愛した人物までも愛するという意味です。二人は遠く離れていてもお互いを愛し合うことを決めていたんじゃないでしょうか」
「……つまり母が父を逃がしたと? そんなこと、ありえない。絶対にありえない。母は泣き言を漏らしたことはありませんでした。でもだからといって……」
「確かに今の段階では推測でしかありません。和巳さんの部屋にある鉢は全部で三鉢でした。竜胆、エリカの間にあった残りの一つは――」
「……ヒヤシンス」
――ここに置けばヒヤシンスの香りが風によって運ばれてくるの。だからこの花には風信子(ふうしんし)という漢字が当てられているのよ。
「……なんだ、そういうことだったの……」
翼は大きく吐息を漏らした。
彼の会社、スタードライバーのロゴにはヒヤシンスがある。その間を囲っているのは二頭の龍ではなく、龍と蛇だった。それは花を守るために存在していたのだ。
「それでお母さんは……再婚もせずに……。そう、そうなのね……」
東雲翼は紛れもなく、龍三と和巳の子供だ。
巽(たつみ)は辰と巳の中心であり、風を運ぶ翼となっているのだから――。
「二人は別々の道を歩むことを想定して陰ながらやりとりを行なっていたんだと思います。当時は一緒に生きることだけが幸せな道ではなかったのかもしれません」
生き別れても、たとえ一緒に暮らすことができなくても、相手が生きている、それだけでも幸せだと感じることはできる。
いうのは簡単だ。実際にそれを実行するのは至難の業だろう。
だが愚直なまでにまっすぐな気持ちを持った人物なら実行できるはず。
彼のように純粋に相手のことを思うことさえできれば、可能性はある――。
「……なるほどね。それであの人の会社ロゴにはヒヤシンスの花が入っていたのね」
「ええ、龍と蛇の間にです」
凪は顔色を伺うように尋ねた。
「あの……。生花はどうします?」
結局の所、故人の血を引いているのだから彼女にも遺産の相続権はある。戸籍上の繋がりはないが血の繋がりで検査すれば間違いないだろう。仮に茶の間にいる子供が彼女の子だとすれば、簡単にクリアできる。
後は彼女がどういった対応を取るかということにある。
「……もちろん送ります。けど名札は会社のOBということで変更して置いて下さい」
とりあえずは引き下がってくれるようだ。ほっと吐息が漏れる。
「その方が助かります。うちとしても明善社にとっても」
「そうね。やっぱり斎場に入っている業者が揉め事を起こすのは不味いわね。最悪社員の首を切らなければならなかったかもしれない。感謝します」
「いえ、とんでもないです」
これで千月も安心するだろう。だがまだ解決していないことがある。
「もしよかったら何ですが……一緒に行きませんか。最後のお見送りです。骨葬ですし、会社のOBということなら遺族にも怪しまれません」
「……行けないわよ。行けるわけないじゃない。私はあの人の家族を落としいれようとしたのよ。行けるような立場にはないわ。これでいいの……」
翼は乾いた笑みを浮かべている。先ほどあった覇気もどこかに飛んでおり影に包まれている。
もう18時半だ。通夜まで後30分しか時間がない。
「本当にいいのですか、これが最後の……」
「あら、この掛け軸は……」
翼は店に掛かってある文字を夢中で読んでいる。
「この掛け軸は……何と読むのですか?」
「『月運花馮』と読むみたいです。花を大切にしろという意味らしいのですが」
「そうとも読めますね。でもこれは逆からも……」
――この掛け軸、逆から読むと、『馮花運月』とも読めますね。
頭の中にあるピアニストの言葉が呼び起こされる。
……これはもしかして。
「……申し訳ありません。私も斎場に連れて行って貰ってもいいでしょうか? 確認したいことができました」
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