長編小説４ 『花纏月千（かてんげっち）』

第一章 花弔封月 PART１２ （完結）

　　１２．

　　三月二十九日。

「御前花をお願い。二つね」

「はいよ。入れて欲しい花はあるか？」

「いつも通りおまかせするわ」

　ぼんやりと店頭の花を眺めていると、目につくものがあった。

「これ、紫苑（しおん）でしょ。珍しいわね、今の季節でもあるんだ。本当は秋の花なんでしょ？」

「いいや、これは違うよ。それは春紫苑（はるじおん）だ。春に咲く紫苑で春紫苑。花言葉は『追憶の愛』っていう意味がある」

「なんだ、じゃあ季節通りなのね」

　何気なく志遠から預かっている懐中時計を取り出してみる。相変わらず動く様子はない。今の彼の技術ではこれを直すことはできないため、彼は四年間、スイスに留学することを決意した。

「ついでにこの花も入れてやろうか？」

「……任せるっていったでしょ。好きにして」

「あいよ」

　この時計は機械式時計でありながら装飾の要素が強い。数字は全て干支の文字が刻まれており、金縁の裏蓋には『花鳥風月』の文字がある。見ただけでかなりの年代物だとわかる。

　さらに特徴的な所がムーンフェイズ機能だ。画面の下に月の形が表示されており、当時の値段では計り知れないものだろう。

　現在示されているのは十一時三十分、ムーンフェイズは満月だ。

「早く修理できるといいよな、その懐中時計。そいつが直るためには後４年も掛かるんだな」

　凪の店に飾られているカレンダーを見る。今は２００８年三月二十九日を表示してある。

　だが本当の月日は２０１２年１月２９日だ。

　タイムリミットはもうそこまで来ている――。

「ねえ、凪。今日は何月何日の何曜日？」

「……今日は三月二十九日の土曜日だな。どうした、誕生日ならまだ一年近く先だぞ」

「……プレゼントの催促じゃないわよ。ねえ、凪にはさ、人にいえない秘密とかある？」

「もちろん、あるよ。俺が好きなのは千鶴ちゃんとかな」

「いってるじゃない」

　千月は唇を尖らせていった。

「まあ誰でもあるわよね、秘密くらい……」

「何だよ、何の話だよ」

「ヒ・ミ・ツ」

　千月が唇に人差し指を添えると、凪は舌打ちをした。

「何だよ。こっちが逆にもやもやするじゃないか。自分だけすっきりしやがって」

「ごめんごめん」

　……次に目を覚ました時、またあんたの笑顔が見れるのならそれでいい。

　祈りを込めて凪の顔を見る。彼が生きてさえいてくれれば、この不都合な現実も受け入れることができる。

　……私に明日は来ないが、次の日に大きな選択をし直すことができる。

　一日毎に記憶が消えていく未来。そんなこと、彼を失うことに比べたら、大したことじゃない。

　後は凪と一緒の電車に乗って、気持ちを伝えるだけ。

　遡（さかのぼ）るあなたとの未来を約束するために――。