第一章 花弔封月 PART10

  10.


 1月5日。


 もうすぐ式の時間だ。


 千月は司会を進行しつつ、目当ての人物を探した。必ずこの中にいるはずだが、探し方に工夫しなければならない。


 焼香の時間になり参列者が列を作り始めた。皆、それぞれに焼香をまぶし黙祷を捧げている。その時にふと違和感を覚えた人物がいた。若い男性にしては爪の手入れが行き届き過ぎている。それに右目の周りは気づかない程度に腫れ上がっていた。


 ……見つけた。


 注意深く彼を監視すると、目論んだ通りのデジタル時計・G-SHOCKが巻かれていた。その人物が元の席に戻る頃には、ばらばらに散らばっていたパズルのピースが完成していた。


 式の時間は終わり霊柩車の元に参列者が集まり始めた。警笛と共に集った人物が皆頭を下げ、各自、次の目的地に散らばっていく。


 彼の身長は男にしては標準だ。だが女性となると――。


 ……ここで声を掛けるべきか。


 迷いながら彼に視線を送り続ける。きっと彼は今から火葬場へ向かい再び斎場に戻ってくるだろう。もちろんその時でもいいが、ベストは今だ。彼にしか故人の最後の願いは果たせないからだ。


 出棺が終わると同時に注意していた人物が近づいてきた。彼女は咄嗟に身を固くした。


「すいません。昨日、卯埼信弘という名前で生花が頼まれたと思うんですが」


「はい、存じております」


「私の父なんです。お金を頂いているので、支払いを頼まれました」


 手続きを済ませると彼は微笑んだ。


「葬儀屋さん、昨日はすいません。僕が父の名前を語り電話を掛けました」


「……そうでしたか。その理由を伺ってもよろしいでしょうか?」


「ええ、もちろんです。でもここで話すよりは別の場所の方がいいと思うのですが」


「そうですね、ではロビーで伺いましょう」


 ロビーの席につき、信二の話を聞くことにする。


「自分の名で生花を出すことはできませんでした。友人一同という名札で出していましたからね。それで父親の名札で追加したんです。父も彼とは関係があったので丁度いいかと思いまして」


「ははあ、なるほど」


 確かに友人一同で生花は届いていた。父親に個人名で頼むといっておきながら別名義に変えるのはいいだろう。


 ……なるほど、先手を打って来たわけか。


 口元を緩め彼に視線を寄せる。卯埼信弘の生花が二本来ていることを目撃して彼なりに考えを纏めてきたようだ。


「もちろんそれは構いません。しかしお客様はどうして通夜の様子を尋ねたんですか? 通夜には参道していたんですよね」


「ええ。ですが客観的に見てどのような通夜になったのか確かめたかったんです。昨日の通夜が初めてだったので、プロの方が見てどうだったのかと思いまして」


「私の眼から見ても、昨日の通夜は何の問題もないように思いました」


「よかった……それだけです。迷惑を掛けてすいません」


 卯埼信二が去ろうとした時、千月は独り言をいうように呟いた。


「卯埼さんの卯という字、珍しいですよね。そういえば知ってます? 卯の花という花があることを」


「ウツギのことですよね。知ってますよ、春に花が咲くんですよね」


「ええ、そのウツギです。ウツギには二つの花言葉があるんです」


 千月は人差指と中指を上げ一歩前に進んだ。


「一つは『謙虚』。卯埼さんのように礼儀正しい人にぴったりの言葉です」


「へぇ、そんな意味が。もう一つは?」


 千月は信二の瞳に訴えかけるように見つめた。


「『秘密』、という意味があります。人は誰でも秘密を持っているものです。もちろん私にもあります」


 信二は踵を返したまま留まっている。


「あなたにお伝えしなければいけないことがあります。ですがその前に、その秘密を暴かなくてはいけません」


 卯埼の顔に動揺が走る。彼は低い声で言葉を漏らした。


「火葬の時間には……間に合いますか?」


「ええ。今日は同じ時間に火葬場を予約している方が多くいらっしゃるので、まず間に合います」


 千月は火葬場の許可証を見せて続けた。


「それに私がこれを持っている限り、彼の遺体が焼かれることはありません」


 そういうと卯埼信二は体を揺すりながらこちらに歩み寄ってきた。


「……やはりばれていましたか。仕方ない、白状しましょう。実はあなたには通夜の前に会っているんです」


 信二は椅子に座り直し、綺麗な手を絡み合わせ両手を膝の上に置いた。


「……ええ、そうだと思っていました」


 女性にしては低い声。それは泣いて枯れた声ではなく、ただ地声でハスキーだったという理由だった。


 それに女装をしていれば頭部の傷も楽に隠すことができる。カツラを被ればいいだけだ。ゴシックファッションに敢えて挑戦したのもカモフラージュ。目の傷は眼帯で男性の面影は濃い化粧ですっぽりと覆うことができる。


「あの日、誠一と一緒に乗ったのは僕です。僕が寅谷馨です。生花を頼んだのも僕です」


 信二は空を眺めるように宙に視線を彷徨わせお茶をずずっと啜った。


 その仕草さえ男のものとは思えない。


「僕は彼のことが好きだった。それは男性としてです。一般的にはあまりいませんが、どちらもいける人がいるでしょう?  僕は今まで普通に女の子が好きだったんですが、誠一と出会ってから男にも魅力を感じるようになってしまったんです」


 黙って聞いていると、信二は申し訳なさそうに顔をしかめた。


「すいません。葬儀屋さんには関係のない話ですね」


「いえ、是非続きを聞かせて下さい」


 促すと、信二は足を交差し直して続けた。


「二人でデートしてる時はとても至福の時でした。バイクに乗ればヘルメットを被らなきゃいけないでしょう? その時間はお互い恋人同士のように振舞えるんです。とっても幸せな時間でした」


 信二は遠くを見据えるように目を細めた。


「……誠一ともっと多くの時間を共有したかった。でも僕らは普段の格好では不審に思われるんです。彼と愛を重ねる場所にはどうしても普通の格好ではいけなかった。それで彼よりも身長の低い僕が女の格好をしていたんです。別に女装癖があったわけじゃなかったんですが、彼と自然と肩が組めるのならそれでもいいかと」


 丑尾誠一の身長は185cm。女に変装するには無理がある。卯埼信二が女装した方が周りの目はごまかせるだろう。


「その提案はどちらからされたんですか?」


「僕からです」


 信二はきっぱりといった。


「彼に女性の格好をして貰う訳にはいきませんから。世間の目を騙すための女装なのに、女装する人の身長が高すぎては意味がないですからね」


 信二は小さく笑い、懐かしむような目で自分の手を見た。


「女装自体も意外に楽しかったんですよ。手入れをきちんとすれば、男は女に変われるものだなぁとつくづく思いました。誠一も僕が少しずつ変わっていく姿を見て楽しんでいるようでした」


 そうだろうなと千月は思った。彼の指は女性のものよりも美しいとさえ感じていたからだ。


「夢のような一時でした、誰にも咎められず彼と二人だけの時間を共有できたのは。でも事故に遭ってから事態は一変しました」


 信二は胸を抑えながら悲痛な声を上げ始めた。


「雪道で地面は滑りやすくなっていたんです。それでも彼は転倒した時、僕を庇ってくれました。それなのに僕は……彼を助けることができなかった。自分の立場を優先して、彼の電話で救急車を呼んでその場を離れました。今では……本当に後悔しています」


「大丈夫。誠一さんはあなたを恨んでなんかいないと思いますよ」


「そうでしょうか? 彼には二度も助けられているんですよ。どうしようもない僕のことを見逃してくれるはずがない。きっとあの世で後悔しているのではないでしょうか」


「二度目、というのは?」


「高校でも一度助けて貰っているんです。その時も彼は自分の身を投げ出して助けてくれました。僕が普通の高校生活を送れるようになったのも彼がいたからなんです」


 母親の話と一致する部分がある。誠一は高校を自首退学しているようだ。それは信二のためにやむを得ず取った行動なのかもしれない。


「僕が彼の立場ならやり切れない。愛していた相手に逃げられて彼の通夜には男装で参加しているんですよ。彼のためではありません。全て、自分を守るためにです」


 信二は辛そうに言葉を綴り続ける。まるで懺悔をしているようにだ。


「彼の携帯電話には二つ番号が登録されてます。卯埼と寅谷でです。二人で会う時は寅谷の番号で連絡を交換していました。その日の携帯履歴には寅谷が残っています。そこで僕は今回の事故は寅谷という人物が引き起こしたものだと思わせるように手を打ちました」


 寅谷馨の名で生花を頼んだのはやはり卯埼信二だ。彼は寅谷という人物が本当にいるように仕組んだ。遺族はその名を見て彼女が実在することを知った。だからこそその怒りは信二には向けられていない。前持って女性の格好で登場したのも寅谷という人物がいることを示すためなのだろう。


「あなたの言い分はわかりました。ですがあなたは一つだけ大切な真実を知らない」


「大切な真実?」


「誠一さんの方の『秘密』ですよ」


 千月はそっと唇に指を当てた。


「ここから先は私の推測になります。それでもいいでしょうか?」


「ええ、聞かせて下さい」


 千月はコホンと一つ空咳をした後、話を続けた。


「誠一さんはその日、あなたに重大なことを告白するため確固たる決意を持っていました。その焦りから事故に遭ったのかもしれません」


「決心? それは何でしょうか」


「これを見て下さい」


 千月は母親から貰った女性服を取り出した。


「これはあなたのものですか? それとも違いますか?」


「これは……」


 信二は動揺を隠さず首を大きく振った。


「僕のじゃ……ありません」


「……やっぱり。こちらはあなたにお返しします」


 千月は吐息を漏らして彼に袋を渡した。


「いえ、言葉が不適切ですね。これは……の遺品です」

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