Act.3『それぞれの理由、それぞれの過去』

第6話


 長期に渡って凍結されていたとは思えないほど、軍用戦闘機TP867W<スケアクロウ>の調子は良かった。

 これは、普段からプラムが整備をしていてくれたこともあるけれど、それ以上にスコッチの調整が的確だったことも大きいだろう。


 スコッチは国際連合宇宙軍の整備工場に勤めていた時から、随分腕の良い整備士だった。

 それは不正のあった施設全体への査問会議から彼を外すために、しばらく彼を逃すようにという秘密裏の要請があったことからも窺える。

 本人は懲罰的移動と思い込んでいるようだけれど、事実は、その時になって直接知る方が良いだろうとミノリはあえて黙っていた。


「局長は、なんで宇宙で野菜を育てようと思ったんですか?」


 ふいに、戦闘機の無線を通して若い女性の声が聞こえた。

 並走して宇宙空間を駆けているSY921H<スワローテイル>に搭乗するシナモンのものだった。


 戦闘機で宇宙空間に飛び出したミノリとシナモンは、プラム・エコーのナビゲーションに従って海賊船を追いかけていた。

 海賊船<ドラゴン・ベイビー>に搭載されているエンジンが最新型ではないのが幸いして、恐らく一時間ほどで追いつけるだろうというのが、プラムの予測だ。

 その隙間を縫っての質問にミノリは思わず戸惑う。しかしシナモンはためらわずに続けた。


「プラムの言葉が気になっていたんです。それに、どうして局長がここまで野菜作りに情熱を注いでいるのか、私にはずっと不思議で……」

「私はね、第二辺境宇宙のさらに辺境にある、惑星ベトラムの出身なの」


 シナモンの言葉を遮るように、ミノリがぽつりとつぶやいた。シナモンは思わず口を閉ざす。


「惑星ベトラムは稀少金属の採掘場と輸出のための加工工場があるだけで、他には何も無い惑星だったわ」


 第二辺境宇宙は資源確保のために比較的初期に開拓された宙域だった。

 しかし当時のテラフォーミング技術はまだ今ほど進んではおらず、人が永住するのに適した環境は整わなかった。


「全都市の食料自給率は驚くべきことに0%。だけど惑星自体が貧しくてね、子供だった当事の私は、固形携帯食しか食べたことが無かったの」


 当時ミノリは出稼ぎに来た父親に付いて、惑星ベトラムに移住した。しかし父親は過酷な仕事に疲れ、酒に溺れ、徐々に身を持ち崩し、ミノリは孤児同然の有様で事実上放置されて育った。

 ストリートチルドレンのような生活を送っていた幼いミノリが、貧しい惑星で生きる唯一手段は、泥棒だった。

 工場の控え室や食料倉庫などに忍び込み、固形食料や水を盗み出してはそれで腹を膨らませていた。他に方法も無ければ、助けてくれる血縁者も咎める大人もいなかったため、罪悪感は欠片も抱いていなかったし、そんなものだと諦めてすらいた。


 そんなミノリの人生は、ある工場に忍び込んだ時に一変した。

 その工場は、ミノリが見慣れた金属加工の工場とは違いまぶしいほどに明るく、清潔で、そして水の流れる音がするだけの静かな空間だった。

 沢山の金属や溶鉱炉の代わりに空間を埋めていたのは、青々しい植物だった。

 ミノリは本能のまま、水の中に植えられていたそれを一株盗んだ。そして機材の陰でそれを頬張った。


 そこはある道楽人の工場主が試験的に作った、水耕栽培のレタス畑だった。畑にするための土地も無く、また新鮮な食料を輸入する財力も無いこの惑星の人々のために、何か出来ないかと考え出された末に作られた、私的な農業プラントだった。

 ミノリは気付けば、泣きながらレタスを頬張っていた。それはミノリが物心ついて以来初めて口にした固形食量以外の食べ物だった。


 この世界にこれほど美味しいものがあるなんて。

 モノクロの世界が突如極彩色に彩られたような、そんな気持ちがした。


 やがてミノリは、工場の従業員に発見され、その窮状を知った工場主によって惑星外の養護施設に送られることになった。

 そこでミノリはたくさんの食べ物の存在と味を知ることになったけれど、それでもあの時口にしたレタスの味を忘れることはできなかった。



「その後、まぁ色々あって国際連合宇宙軍で勤めることになったんだけどね、辺境宇宙での農業ファームの構想があるって知って、思い切って立候補したってわけ」

「そんなことが、あったんですか……」


 予想もしていなかったミノリの過去に、シナモンは唖然とつぶやく。いつも朗らかでのんきな人柄の局長はそんな過酷な過去があることを欠片も疑わせなかったからだ。


「私の生い立ちはそんなに珍しいものじゃないわよ。ソルトだって状況は違えど似たようなものだしね。でもね、だからこそ余計に私は思うのよ」


 静かに、それゆえに気負う必要すらない根付ききった信念としてミノリは言う。


「美味しい食事はね、生きる希望になるの。味気ない固形携帯食ばかりを食べて来た私にとってあのレタスは衝撃だったわ。今日が辛くても、明日がしんどくても、毎日食べる食事が美味しければまた頑張ろうと思える。だから私はこの宇宙の端っこで野菜を作るの」


 ろくに光も届かないこの辺境宇宙のどこかで頑張る誰かのために。

 それがまだ見ぬ未来を紡ぐ一助に――希望になるのだと信じて、ミノリは野菜を作り続けるのだ。


「もちろんそれは、私の勝手な願望よ。だから、他の人に――、貴女やスコッチに同じように考えて同じように頑張れとは言えないわ。でもね、やっぱり強制された作業としてではなく、理想を抱いて働く仲間になってもらいたいの」

「局長……」


 シナモンはためらうように、ミノリの名を呼ぶ。そこには後悔とまでは言わずとも、自身を振り返る気配がある。


「ハタナカ局長」


 シナモンはもう一度ミノリの名を呼んだ。


「局長と同じように、私にも、夢があるんです。私は――、」

『警告! 前方に不審な船三機潜伏!』


 ふいに甲高いアラーム音とともに、プラム・エコーが警告する。その瞬間ミノリが、そしてわずかに遅れてシナモンが旋回をする。

 そんな二人を追うように、機関砲の斉射が走った。小惑星の影から、三機のけばけばしい彩色の戦闘機が飛び出して来たのだ。


「海賊の護衛機ね……っ」


 ミノリは舌打ちをする。コンテナを乗せた本船を追うことを夢中になったせいで、伏兵の可能性をすっかり脳裏から外してしまっていた。これは痛恨のミスである。

 ミノリとシナモンは二人を追う敵機の攻撃を、船体を細かく捻ることによってどうにか避ける。しかしこうまで背後にぴったりと張り付かれてしまっては、それにも限界があった。


「シナモン、前方一時の宙域にある小惑星の直前まで敵を引きつけ、二手に分かれて背後を取るわよ。そうしたら同時に攻撃に移るわ」

「……いえ、局長」


 しかしミノリの提案に、シナモンは固い声で返す。


「私が真っ直ぐ飛んで囮になるので、局長は隙を見て離脱、反撃に移ってください」

「何言ってるの! そんなこと認められるはずが……」


 しかし、ミノリはそこではっとする。


「まさか、被弾したの?」

「掠めただけですが」


 しかし強がるシナモンとは裏腹に、確かに<スワローテイル>の速度は少しずつ落ちている。舵を切る分には問題ないようだとはいえ、このままでは明らかに不利だ。


「足手まといになるのは、真っ平ごめんです。せめて、お役に立たせてください。局長にだったら私の夢を託せます。だから――、」

「自分の夢は自分で叶えなさい」


 叱責するかのように、ミノリはシナモンに厳しい声を叩き付ける。


「作戦を変えるわよ。貴女は九時の方向へ前進、そのまま小惑星帯に突っ込んで。敵も速度を落とさない訳には行かないから、そのままうまく逃げていなさい」

「じゃあ、局長は」

「迎撃するわ」

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