第5話
ミノリの目の前を、幾人もの人間が忙しそうに駆け回っている。
このファームがここまで活気のある姿を見せたのは、ミノリの着任日の前日ぐらいではないだろうか。
もっとも清掃や物品、機械類の搬入、およびシステム構築のために派遣された人々は、仕事が終わるや否や煙のように消え去り、肝心の着任日当日には片手の指ですら余る人員しか残されていなかったのだが。
そんなわけで、ここまでたくさんの人々で賑わっているファームを見るのは久しぶりのミノリだが、
「――それでも、ち~っとも嬉しくないのよね」
「おいっ、なにをごちゃごちゃ言っている! 無駄話はするなと伝えたはずだ!」
つぶやいた途端、上から叩き付けるように怒鳴られミノリは唇を引き結ぶ。
ただでさえ床に直接着いたお尻は冷たいし、痛いし、何から何まで不愉快きわまりない。
しかしミノリは怒鳴り返したい気持ちをぐっと堪えた。自分だけのことならともかく、すぐ後ろではスコッチやシナモンも床に座り込んでいる。
そう、彼女たちは現在、後ろ手に縛られた状態で、中央管理室の端にまとめて座らされているのだ。
何故こんなことになったかというと、それは今から三十分前に遡る。
救難信号のアラームがなってから、およそ三十分後。
プラムの示した時間からほとんど差もなく、エンジントラブルを起こした船<ドラゴン・ベイビー>はステーションにドッキングした。
大したもてなしはできなくても、修理のメドがつくまでは気持ちよく過ごしてもらおうと、ステーションの制服をきちんと身に付けたミノリたちは、準備を済ませて船の責任者があがってくるのを待った。
しかし連絡通路から現れたのは、十数人ものいかつく、むさ苦しい男たちばかり。
そして彼らの手に一人残らず物騒な物が握られていると気付いた時、ミノリは彼らの正体とその目的を理解した。
「親分、この船、金目の物はちっともありませんよ。コンテナの中も、全部野菜ばっかりだ」
部下らしき男が報告したのは、ミノリに怒鳴りかかったひと際むさ苦しい大男にだった。肌は汚く吹き出物だらけ。髪はバサバサで艶もなく、そのくせ全体的にむくんで脂ぎっている。たぶん近寄れば体臭もすごそうだ。
恐らく彼が一行のボス。ドレイクと名乗った船長だろう。
内面のにじみ出た品のないその顔つきを見れば、彼がテキストメッセージしか送れなかったのも分かるというものである。
「うるせえっ! もっときちんと探しやがれ!」
「怒鳴ったって無いものはないわよ。ここは農業ファームよ。野菜しかないのは当然だわ」
つばを飛ばしながら部下を怒鳴りつける男に、ミノリは後ろから声をかける。すると男は据えた目つきでミノリを睨み、口汚く罵った。
「誰が口を開いていいつった! ぶっ殺すぞ、このガキっ」
そしてイライラとした様子で歯ぎしりし、足を踏み鳴らす。
間違いなく、彼らはちまたで噂の海賊たちだった。いつの間にこっちの方まで遠征して来たのかは知らないが、絶海の孤島の如く辺境宇宙にぽつりと浮かぶこのステーションは海賊たちの絶好の獲物であったことは想像に難くない。
わらわらと押し寄せてくる海賊たちに抵抗しようとする部下(主にシナモン)を必死で押さえ、ミノリたちは大人しく海賊たちの拘束を許した。
さすがに多勢に無勢であることは目に明らかだったからだ。そうしたわけで、ミノリ・スコッチ・シナモンの三人は、縛られ床に転がされているのである。
(まぁ、ローズマリーが出て来ていないのは不幸中の幸いよね)
あの変わり者の美少女科学者は、研究室が奥まったところにあることが幸いしてか、海賊たちにはまだ見つかっていない。外に出て来ていないのを見ると、彼女はこの事態に気付いてすらいないことも大いに考えられる。
もっとも性格はともかく頭脳に加え、見た目も一級品である彼女は下手に海賊たちに見つかれば貴重な戦利品として連れ去られる可能性は十分にあり得るので、このまま篭り続けて欲しいとミノリは願うばかりである。
一方、海賊が押し掛けてから異様なほど静かなプラムは、すでに当局に救援信号を送っているだろうけれど、他でもないこの辺境地区だ。実際に助けが来るのはまだ随分先だろう。
「くそっ、マジで何も出てこねえ! ふざけてやがる!」
他にはなにもないためしぶしぶ部下たちが引っ張って来た巨大コンテナを蹴りつけて、海賊のボス・ドレイクは腹立たしさを隠そうともせず怒鳴った。
「蹴らないでよ。それは明日出荷する予定の野菜なんだから。さっきも言った通りここは農業ファームだから、いまお金になるものはその野菜ぐらいよ」
実際は大型の農耕機械なども、しかるべきルートで売ればかなりの金額になるのだが、農作業機械に興味もなければ関心もない海賊たちにそんなことは知るべくもない。
もちろんミノリだって、わざわざ教えるつもりは欠片もない。
「いっそそのコンテナを持って行けばいいわ。悔しいけど、あなたたちがちゃんと味わって食べてくれるというのならまだ許せるもの。あなたたちだって手ぶらでは帰れないだろうから、無いよりはマシでしょ?」
それでもミノリにとっては、我が身を削るような提案である。
そうでなくとも取引先には迷惑がかかるし、収入がなくなるのは大分痛いが、命には替えられない。ミノリは提案するが、ドレイクはまるで頭から湯気を出しそうなほどに顔を真っ赤にした。
「ふざけるなっ!」
そう怒鳴って、男はさらにコンテナを足でがんがんと蹴りつける。やはりダメかと肩を落とすミノリに、男は畳み掛けるように言った。
「俺はな! 昔から野菜がサツの次に大っ嫌いなんだよ!」
耳が痛くなるほどの大声でそう宣言した男に、ミノリはぴくりと眉を引きつらせる。
「ふざけるなはこっちの台詞よ! 野菜嫌いなんて子供みたいなことを言って! それはちゃんと味わった上で言っているの!?」
思わず同じように、どこかずれた理由で激昂するミノリを、その後ろからスコッチとシナモンが必死で宥めようとする。しかしミノリに気付く様子はなく、さらにやり取りは続く。
「あんな不味いもの食えるか! 固いは青臭いはで食えたもんじゃねえ!」
「それはあなたが新鮮な野菜を食べたことが無いからそう思うのよ! ちょっと! うちの野菜を一口食べて見なさいよ! そしたら絶対に考えが変わるから!」
ミノリはごそごそと縄を解きかねない勢いで身じろぎをはじめた。
「大体あなた、肌荒れ酷いし体もむくんでるし、ビタミン足りてないんじゃないの?」
「うっせえ! おめぇは俺の母親か!」
「私があなたの母親だったら、野菜なしでは一日たりとも生きられないくらい、野菜大好きに育てるわよ!」
売り言葉に買い言葉。それこそ苦虫を噛み潰したかのような顔で、ミノリと野菜コンテナを睨みつけていたドレイクは、ふいに名案を思い付いた顔でにやりと笑った。
「そうだな。それならお前の言う野菜は残らずもらってやるよ」
海賊のボスの言葉にミノリはぱっと顔を上げる。けれど、続けられた彼の言葉は、ミノリにとっては到底看過できるものではなかった。
「コンテナごと恒星に投げ入れてやる。さぞやこんがり美味そうに焼きあがるだろうさ」
その一言に、とたんに顔を青褪めさせるミノリである。彼女の表情に、ドレイクは嗜虐性溢れる愉快そうな笑い声をたてた。
「よし、お前ら。行きがけの駄賃だ。この糞忌々しい青っ葉どもを、一つ残らず頂いて行くぞ」
「ちょっと! やめて! 食べるならまだしも、捨てるなんて許さないわよ! 待ちなさい!」
ミノリは叫ぶが、ドレイクたちはコンテナを丸ごと運び出すと、ケラケラと愉快そうな嘲笑をあげながら去っていった。
「返しなさい! 私たちの野菜を!」
ミノリは咽喉を枯らさんばかりの声を張り上げながら、ぎしぎしと縛られた体を揺すっている。
「局長、落ち着いてください! 本当にあついらが戻って来たらどうするんですか! 良かったじゃないですか、盗られたのが野菜だけで……」
命まで盗られた訳じゃない、そう言いかけたスコッチは、
「良くないっ!!」
ミノリの魂を削るような叫びに、びくりと体を震わせる。
「どこが良いのよ、野菜が盗まれたのよ! 私たちが作った野菜が! この不毛な宇宙の片隅で、太陽の恵みも大地の恵みもないステーションで、あなたやシナモンが一生懸命育ててきた野菜が、誰の口に届くことも無く捨てられるって言うのよ! なんでそれをみすみす見逃すことが出来るの! あいつらを逃せば、あなたたちのこれまでの努力だって水の泡になるのよ!」
そんなことは許さない、とミノリはそう叫んで立ち上がる。その体から、ほどけた縄がはらりと落ちた。彼女は闇雲にもがいていた訳ではなく、縄脱けを試みていたらしい。
ミノリはスコッチとシナモンの縄を解きながら声を張り上げる。
「プラム、聞こえている!?」
『ええ、ちゃんと聞こえているわよん』
頭上から、どこか楽しげにも聞こえる声が降ってくる。それを切り裂くように、鋭い声が管理システムに宣言した。
「
『808ファーム』――正式名称、第八辺境方面宙域第0一次産業『国際連合宇宙軍』特務ステーション№8――の責任者ミノリ・ハタナカ准尉として、彼女は一息にそう言い放つ。
『――イエス、マム。第三プロテクト解除により、凍結回路を解凍、拡張します。これよりプロテクト再設定まで、《プラム》より《プラム・エコー》へと
ミノリの言葉が響いた途端、プラムの声の調子が変わった。普段のどこか茶目っ気のある楽しげな声音から、固く怜悧なそれへと変化する。
ミノリは縄を解かれ、どこかためらいながら立ち上がるスコッチとシナモンを真っ直ぐ見つめて、言った。
「スコッチ・ボリス一等宙士、およびシナモン・ゼルマン三等宙士。これよりメイン・ミッションを一時休止し、セカンド・ミッションに優先順位を移します。いいわね?」
『イエス、ボス!』
自分たちに向けられた有無を言わせぬ命令に、反射的にスコッチとシナモンは一部の隙もない敬礼する。
『ハタナカ准尉に業務連絡。第二プロテクト解除進行率、現在74%。後5分ほどで、100%解除となります。いまより、格納庫のセキュリティを解除します』
ミノリはその報告にうなずいた。
「私はこれから海賊たちを追跡、捕縛に向かうわ。ボリス一等宙士は今すぐ格納庫に向かい、30分……いいえ、15分で戦闘機<TP867W>を動くよう調整して」
その言葉にスコッチは目を大きく見開き、そして慌てたように言い添えた。
「局長! ですが、メンテナンスもしてない戦闘機で出撃なんて無茶です!」
「定期メンテナンスなら、プラムがしてくれていたわ。だからあなたには、出航前の最終調整をお願いしたいの。調整が上手く行けば、今後のメンテナンスもあなたに任せるわ。それが、望みだったんでしょう? 農耕機の整備ばかりで腕が鈍ったとは言わせないわよ」
挑むようなミノリの顔に、スコッチは青褪めていた顔を引き締め、その顔色のままうなずいた。走り出すスコッチの背中に、「格納庫の場所はプラムに」とミノリは言い添える。
そして、今度はシナモンを振り返った。
「こんなシステムになっていたんですね……」
呆然としたようにつぶやくシナモンに、ミノリはわずかに笑みを口元に乗せる。
「このステーションは元々軍事基地として使われていてね。農業特化の実験施設に転用された後も、国際連合宇宙軍の所属である以上、軍の設備はそのまま残されているの。普段はプロテクトを掛けて凍結してあるけど、緊急時には責任者権限で辺境警備基地として再稼働できるようになっているわけ」
「じゃあ、私が自衛用にしては多過ぎて無駄だと思った弾薬とかの補給も、このためだったんだ」
途端に恥ずかしそうな顔を浮かべるシナモンの様子に、ふと脳裏をよぎった支出表からいくらなんでも過剰供給気味だったとは告げず、
「仕方ないわ。だって、あなたはここを単なる農業ステーションだと思っていたんでしょ」
と鷹揚に答えた。
『第二プロテクト解除率100%、オールグリーン』
頭上から聞き慣れた、しかし聞き慣れない響きの声が降ってくる。途端に、ステーションの照明が普段の二割ほどの明るさで灯った。
「ご苦労、プラム・エコー。センサーで海賊船<ドラゴン・ベイビー>のエンジン稼働痕を追跡。現在地を確認できしだい、私をナビゲートして」
『イエス、マム』
ミノリは再びきりっと顔を引き締めて、シナモンに告げる。
「ゼルマン三等宙士、あなたはこのステーション内に待機。増援、およびソルト・サオトメ准尉の帰還を待って状況の説明を――、」
「私も行きます!」
上官の言葉を遮る本来ならあり得ないシナモンの言葉に、ミノリは目を丸くする。
「でも、シナモン――、」
「伝言ならプラムでもいいはずです。私だって戦闘機の訓練は受けています。そりゃ、実戦の経験はありませんけど……それでも、局長一人よりはよっぽどマシなはずです。私だってお役に立ちたいんです!」
待っているだけでは嫌だと、そう訴えるシナモンの目はミノリに固く結びつけられ、そよとも揺らがない。ミノリは彼女をどうにか説得したいと口を開くけれど、しかし彼女の強い眼差しに横槍を入れるような言葉は思いつかず、結局小さなため息をつくに留めた。
ミノリは、プラムに向かって言う。
「スコッチに、戦闘機もう一台稼働可能常態にしてって伝えて」
泣きそうな顔で悲鳴を上げるスコッチの顔がまぶたの裏に浮かんだ気もするけれど、そこはすみやかに脳内から消し去る。
「分かったわ。では、あなたの任務は私とともに海賊船の捕縛に赴くこと。ただし、無理は厳禁よ。――じゃあ、あいつらをとっちめるわよ!」
「はいっ」
力強く向けられた微笑みに、シナモンは意気込んで敬礼を返した。
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