Act.2『招かれざる客』
第3話
翌日、『808ファーム』は出荷日を目前に控えて、かなりの大忙しであった。
まだ人類の大半が地球で暮らしていた大昔には人の手で行わなければならなかった作業も、機械技術の向上によって大部分を自動機械に任せてしまえるようにはなっている。
しかし、それでも人力に頼らなければならない分野は、他の職業に比べるとだいぶ多いのだ。
そんな訳で、『808ファーム』では局長のミノリ、技術者のスコッチ、新人のシナモンが三人でてんてこ舞いとなっている。
普段ならそこにもう一人警備主任のソルトが加わる訳だが、今は救護活動のため出張中である。ちなみに開発室長のローズマリーが参加しないのはいつものことである。
ただでさえ総勢5人体制という、ファームの規模の割に人員がかなり少ない中で、さらに作業に携われる人間が減ってしまっているのだ。現場の混乱具合は推して知るべしである。
「いやぁぁっ、もう疲れたぁ! 局長、なんでこんなに人が少ないんですかぁ! もっと人員補充してくださいよぉっ!」
作業着をまとい首からタオルを下げた姿で、ベルトコンベアーから流れてくる野菜を箱詰めしていたシナモンが悲鳴を上げる。口を動かしながらも、作業する手を休めないあたりは、だいぶ仕事に慣れて来たとも言える。
「違うって、嬢ちゃん。人が足りなくて上層部に頼んだ結果、補充されたのが嬢ちゃんなんだってばよ。あんた、自分が来る前の状況を想像してみ。すんごかったんだぜ……」
そう言いながら遠い目をしているのは、同じく作業着姿に頭にタオルを巻いたスコッチだ。彼もまた作業を続けながらのことである。シナモンが来る以前は、同じ作業をミノリ、ソルト、スコッチの三人でやるのが常だったのだ。
その時に比べれば、今は大分マシだと言うスコッチに、しかしシナモンは唇を尖らせる。
「でも、そんなこと言ったって、今の作業がきついのは変わりないじゃないですかぁ。そもそもわたし、農業系特務ステーションの勤務とは知っていたけど、自分がこんなに農作業に携わることになるなんて聞いてませんよぉ」
「それは俺も一緒だって。俺、農夫じゃなくて機械整備士なんだぜ」
「ほらほら、文句は言わないでよ。お二人さん」
深々とため息をつくシナモンとスコッチを諌めるのは、収穫作業を一段落させて戻って来たミノリである。
同じように作業着とタオルの装いではあるけれど、それはまるであつらえたかのように彼女にぴったりである。いや、むしろ自身の姿に誇りを抱き、堂々と身にまとっているからこその風体なのかもしれない。
事務作業よりは畑仕事がよっぽど性に合っているミノリは、二人とは違い頬を上気させ、目をきらめかせ、この作業を心から満喫している。
「疲れたのなら、とりあえず一休みしましょう。明日までに700箱出荷しないといけないんだから、根を詰めすぎて倒れちゃったら大変よ」
「700……」
そうつぶやいてげんなりした様子のシナモンではあるけれど、休憩に関しては大賛成のようで機械を止めて額に浮いた汗を拭っている。
「ねえ、スコッチ、シナモン。二人はやっぱり、この仕事は好きじゃない?」
その言葉に、若い二人はバツが悪そうに顔を見合わせる。
「いや、嫌いって訳じゃないっすけど……」
「そうです。この仕事はこの仕事で面白いですよ。自分で作った野菜は美味しいし、体を動かすのは気持ちよいです。でも、この仕事を元々やりたかったのかって言うと、そうじゃないから……」
申し訳なさそうにそう答えるシナモンとそれに追従するスコッチの顔を見て、ミノリは「そっか」と力なく笑った。
ミノリは局長としては非常に若く、部下を取りまとめて来た経験もさほど多くはない。それゆえに声に出して指摘することはこれまでなかったが、彼女は自分の部下たちのことがこのところずっと気になっていた。
「仕方がないよね。あなたたちは私とは違って、農作業が好きって訳じゃないものね。無理強いをすることはできないわ」
このファームは決して出世コースの通り道という訳ではない。いや、下手をしなくても左遷コースの窓際に近い配属場所だ。
自分たちファームの従業員の面々は、各々の事情からここに配属されて来た。
ミノリにとっては理想の仕事場であるけれど、スコッチやシナモンにとっては決してそうではない。むしろ強い不満を抱いていることに、日々の言動やことあるごとに浮かべるうんざりとした表情から気付かされざるを得なかった。
「なんだったら上に人事異動を掛け合ってもいいから、必要だったら言ってね」
「いや、俺ここの職場は好きなんですよ! 雰囲気はいいし、局長も威張ったりしてないし!」
それでも気丈に笑いかけるミノリにスコッチは慌てる。隣ではシナモンも一生懸命にうなずいた。
「そうですよ! 私、局長が好きですよ!」
「でも……」
『いやあねぇ。本当に困ったお子様たちで嫌んなっちゃう』
言いよどんだミノリの言葉を遮るように、艶めかしい声が頭上から降り注ぐ。
ミノリたちは、はっとして顔を上げた。もちろんそこに誰がいる訳でもないと分かっているけれど。
「プラム!」
ベテランのAIは、人間臭い声でまるで肩をすくめるかのようにやれやれと言う。
『聞くに耐えないとはこのことね。あれも嫌、これも嫌って文句ばかり。あなたたち、本当にプロフェッショナルとしてここに来ているの?』
おかげでするつもりのなかった口出しなんてしちゃったわ、と揶揄するような物言いに、もともとプラムと反りの合わないシナモンは顔を真っ赤にして言い返す。
「ちょっと! あなたに言われる筋合いはないわよ! あなたは農作業には関わってないじゃない。関係ない機械は黙っててよっ」
『バカね。あんたたちの使ってるベルトコンベアは誰がシステム制御してると思ってるのよ。ついでに倉庫管理も在庫調整もアタシがやってるに決まってるじゃない』
シナモンは機械担当のスコッチにとっさに視線を向けるけれど、彼は反射的にこくこくとうなずく。
「俺は、ハードの担当でソフトはノータッチ」
『ほらね、あんまり馬鹿なこと言ってると、あんたのプライベートのアドレス帳から無差別に、あんたのアカウントで「ワタシ・バカデス」ってメールを一斉送信するわよ』
プライバシーの侵害と叫ぶシナモンを無視して、プラムはミノリに声をかける。
『ミノリもミノリよ。あなたは彼女たちのボスでしょう。だったら、自分の部下をそんなに甘やかしてどうするのよ』
「べ、別に甘やかしてなんて……」
そんなつもりはさらさらなかったミノリである。ただ、彼女が思うのは人には向き不向きがあるということだ。ミノリ自身は農業が好きで、野菜を愛している。もう目に入れても痛くない。めっちゃラブ。来世は野菜でいい、いや、むしろ畑になりたいと本気で思うぐらいには、偏愛している。
だが一方で、それが世間一般から見ればずいぶん偏った考え方であるというのも、ミノリは重々承知なのだ。それ故に、そうした自分の感情を他人に、部下に押し付けてはいけないのだとミノリは常に自戒を心がけていた。
ミノリに出来ることは、農作業に熱意を向けられない若手たちに、これだって悪くないんだよと遠慮がちに申し出ることだけだ。
だからスコッチが直談判に来るほど思い悩んでしまうのなら、そしてシナモンがプラムと年中言い争うほどストレスを溜めてしまうなら、ミノリはもういいのだ。彼らに自身が望む場所へ移動する手助けをすることが、自分に出来る最善の措置だと思っていた。
(それに、本当はソルトだって、こんな鄙びたステーションで働くことはうんざりなのかも知れないし……)
ミノリは今ここにはいない警備主任のことを脳裏に浮かべる。
先日、このステーションで働くことを性に合っていると言ってくれたソルトだが、本当は局長である自分に遠慮してそう言ったのかも知れない。
ミノリは胸の内で考える。見た目に反してどこかトボケた言動の多いソルトだけれど、実はこんな辺境で働くのは勿体ないほど優れた人材であることを、ミノリは知っている。
それは研究室に篭りっぱなしのローズマリーだってそうだ。スキップを重ね優秀な成績で大学を卒業し、いくつもの博士号を持つ彼女を欲しがっている企業や研究所は星の数ほどある。
どんよりと落ち込むミノリだったが、その耳に容赦ないため息が飛び込む。
『まったく、なに落ち込んでいるのよ』
「だ、だって……」
『だってじゃないわよ。そうね、ミノリ。あなたは部下を甘やかしているんじゃない。あなたは自分自身を甘やかしているのよ』
思わずミノリは息をのむ。しかし、彼女には言い返すことはできなかった。
「ちょっと、プラム! この馬鹿AI! なに局長いじめてるのよ!」
『お尻に殻のついたヒヨッコは黙ってなさいよ』
噛み付くシナモンにプラムはすげなく言い返す。しかし『まぁ、確かにちょっと言い過ぎたかしらん』とつぶやいた。
『じゃあ特別サービスよ、ミノリ。アタシはあなたが嫌いじゃないから、ヒントをあげる』
「ヒント?」
ミノリは首を傾げる。
『そーよぅ』
もし、プラムに唇があったら、その両端はにんまりと楽しげに吊り上がっていただろう。
『ミノリ、あなたはとっても優しい子ね。おおらかで、辛抱強い。それは農夫としては最良の資質ね』
「あ、ありがとう……」
『でも、それは人の上に立つ者としてはまだ足りないの。あなたはもっと強引になってもいいんじゃないかしら?』
思いがけない言葉に、ミノリは思わず目を見開く。
『あなたは自分がしたいことを、もっとちゃんと口にしないとダメよ? アタシはあなたがどんな啖呵を切ってステーションに着任したのか、ちゃんと覚えているんだから』
とたん、ぎょっとして棒立ちになるミノリにシナモンとスコッチはもの言いたげな眼差しを向けた。
そして、意味深なAIの言葉の真意を問い質そうとした時、突如館内に場違いにチャイムの音が鳴り響いた。
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