第六章 魔女は二度死ぬ2

 泣き笑いを浮かべるドナルドを見て、本当に彼女が好きだったんだなと思った。

「死んでしまったじゃない。殺したんだろ?」

 アーサーの声が冷たい。でもそれは違う。

「ドナルドさんはあのとき私とずっと一緒にいたわ。第一、狙っていたのは彼女の財産。それを自由に使えるのはカサンドラのフリをしたジラ一人。殺す意味なんてない」

 ドナルドにジラを突き落とすのは無理だというのは、すでに証明されている。

「じゃあ、やはり事故だ。罰が当たったんだ」

 その声に、メグは胸が苦しくなる。やはり、その言葉が彼からもたらされるのかと。

「本当に、事故だったのかしら」

 言いながら、声の主を見る。彼はまだ気付いていないのだろうか。落ちたのがカサンドラでなくジラだったことに、みんなが翻弄されていた。ジラによってカサンドラが殺されていたことに、意識が傾いて忘れている。

「何を言い出すんだい? メグさん」

 チャールズが目を丸くしている。

 驚いた表情の中に、動揺の欠片を見つける。本当に気をつけて観察しなければ見逃してしまうほどの小さな変化。

「ジラが事故かどうかなんて、見ていた人にしかわからないわ」

 言いながらも本当に追求する必要があるのかと、自分で自分に問いかける。これは完全に蛇足なのではないか、と。

 それでも口は動くことをやめない。

 なぜだろう?

「そりゃそうだ。事故かどうかは、当事者にしかわからないだろう。部屋には特に何も残っていなかったし」

「そうですね。部屋には何も残されていなかった」

 誰か、お願いだから気付いて。そう叫びたい。

 なぜメグなのか? なぜ自分がこんな風に追い詰めなければならないのか。

 と、背中が温かい。

 ずっと、キィの手がメグの背中に当てられたままなのを思い出した。振り返ると彼は、メグをみつめる。

「嫌なら変わるよ」

 優しい提案。

 だが、メグは頭を揺らす。

 だめだ、このままでは、彼に頼りっぱなしになってしまう。

 結局人は、自分たちじゃ何もできない。そんな風に思われたくない。魔法使いは口では絶対にそうは言わないだろう。でも、少なからず思ってきたはずだ。彼の憑依はとても便利な能力で、人はそれを利用してきた。彼はずっと、人間の尻ぬぐいをし続けてきたのだ。

「大丈夫。最後まで、きちんとやれる」

 そう言って、あらためてチャールズに向き直った。

 少しだけ、彼は後ろへ身体を倒す。

「本来あるべき物が、カサンドラの西の塔にはなかった」

「メグちゃん? いったい何を――そうか」

 バートが気付いた。

「昨日、庭でカサンドラを見つけた後、私たちはずっと一緒に行動していました。彼女の部屋へ行き、西の塔に上がった。で、そのとき西の塔はヴィクターさんによって鍵を掛けられた。以降出入りすることはできなかったはず」

 西の塔に上がるカサンドラを見た。その手には原稿があった。原稿は結構な紙の束だ。そうなると、こっそりあのとき持ち出すのは無理だった。

「今朝、アリバイを確認した。カサンドラが塔へのぼってから彼女に会いに行くことができたのは五人。アーサーさん、バートさん、チャールズさんに、サイモンさん。そしてク・ルゥちゃん。その五人の中の一人、チャールズさんが、カサンドラの原稿を持っている」

「ははは、何を言い出すかと思えば、これは詩を解いて――」

 そこでチャールズの顔色も変わった。

 カサンドラとジラのことですっかり忘れていたのだろうが、詩は、本当のカサンドラの遺体の場所を示していた。

 みんながそれを、思い出す。彼に、思い知らせるためにわかりきったことをもう一度言う。

「詩が示していた場所にはカサンドラがいた」

「それは解釈の一つだ。彼女が、偉大なる魔女カサンドラが作った詩だ。示す場所がいくつもあったかもしれないだろう! その一つに、原稿を隠した」

「だめよ、無理よチャールズさん。だって……ジラはその場所がわからないから私たちに調べさせていたんだもの。カサンドラのフリをしていたジラは、餌である原稿を隠す場所をわかっていなかったのよ?」

 原稿が隠されているはずがないのだ。

 その隠す場所を、彼女は追い求めていたのだから。

「原稿は、西の塔が鍵を掛けられ封鎖される前に手に入れなければならなかった。いえ、カサンドラの遺体が見つかる前に手にしていなければ、その後西の塔から持ち出すチャンスはなかった。最後に会ったのは誰だと聞かれたときに、なぜ答えなかったの? それとも、答えられなかったの?」

 これで終わりにしたい。

 チャールズが、すべてを話してくれれば、この辛い探偵役を降りることができる。

 黙ったまま、彼は自分の手の中にある原稿を見つめた。

 一度見せてもらったカサンドラの文字は、豪奢な容姿には似使わぬ、繊細な手だった。几帳面で、整列した読みやすい字で、こちらの作業が楽だと、先輩ジムがよく話してくれた。

 その繊細な文字で、作品のタイトルが書かれている。

「『世界の鍵』、もう読んだんですか?」

「ああ。相変わらず最高の物語だったよ。読みふけって、おかげで朝部屋を片付ける暇もなく、原稿もベッドに放り出したままだった」

 だからあのとき、みんなを部屋に入れる前に少しだけ時間をくれと言ったのか。

「カサンドラに、ヒントをもらいに行った。けど、彼女はヒントはないと取り合ってくれなかった。そのうち、あの窓に座って、彼女は……」

 心底辛そうに話す姿に、みんなも押し黙る。

「じゃあ、やっぱり事故なのね?」

 顔を上げたチャールズは、どこか嬉しそうだった。

「そうなんだ。あれは、事故だ」

 空々しく事故だと言い切るチャールズに、メグもとうとう腹を決めた。

「この建物、普通より天井が高く作られているから、四階ぐらいの高さからジラは落ちた。でも、五階以下なら生きている確率はかなり高いわ。頭を打っていたら致命的かもしれないけど、普通人は頭をかばって落ちるものよ。ジラが落ちたとき、あなたはどうしたの? 上から見て、彼女の生死を確認したの?」

 メグの言葉に強い責めの色を見て、チャールズは再び表情を引き締める。

「ああ。もちろん上から覗いた。けど、彼女はぴくりとも動かなかった。あの高さだって、打ち所が悪ければ死んでしまう。だろう?」

「上から見ただけで、確かめることなくあなたは原稿を自分の部屋に隠しに行ったのね」

「それは、魔が差した。悪かったと思っている。でも、君だってわかるだろう? 目の前に、カサンドラ最後の作品があったんだよ」

「わからない」

 強い口調で切り捨てる。

「ジラの口元には血泡があった。彼女は、すぐに死んだわけじゃなかった。それに、あなたは事故だ事故だと言うけれど、絶対に事故じゃない」

「なぜ、そう言い切れる。そこまで僕を殺人犯にしたいのか?」

「したいわけじゃない。でも、事実だわ」

「何を証拠に!」

 証拠。いつの時代も、どんなときも、求められる証拠。

「声よ」

「声?」

 メグは頷いてみんなを見る。

「あのとき、ジラが倒れていた場所にみんなはなんでやってきたの?」

「ドナルド様の叫ぶ声が聞こえました」

 イライザが言うと、エノーラとヴィクターは頷く。

 そう、あのとき、食堂や厨房がある廊下の窓が開いていた。

「俺も、聞こえた」

 アーサーやバートも思い出す。

「外で話している声って、案外聞こえるの。音の通りがいいのね、きっと」

 イライザとのお喋りを、エノーラに止められたあのときを思い出す。

「それが何か?」

 チャールズが眉間にしわを寄せ、苛立った様子でメグを睨む。

「ジラがあの西の塔から事故で落ちたと言うのなら、なんで彼女の叫び声が聞こえなかったんだろう」

 彼の表情が変わった。

 今までの怒りと焦りを含んだ顔が、だんだんと感情をそげ落とし無表情になっていく。

「声を、上げる暇もなかった、……そんなところだろう」

 言葉にも覇気がない。

「そうかな。私はそれよりも、すでに意識がもうろうとしている中落ちていったって方が納得できる。それにあなたは?」

「ぼく、が?」

「うん。駆け寄って、下を見て、呼びかけもしなかったの?」

 とうとう、チャールズは黙り込んだ。

 メグも目を閉じ下を向く。

 失敗した。

 これではダメだ。確実な証拠は一切ない。

 危ないから近寄らないようにしていた窓に、人であり、高いところから落ちれば死ぬとわかっているジラが近づくだろうか? すべて憶測であり、状況証拠にしかならない。メグの中では確実であっても、法廷は有罪としないだろう。チャールズの口から、そのときの状況を引き出さなければならなかったのに、失敗してしまった。付け焼き刃の探偵役は、やはり無理だったのか。

 チャールズもわかっているのだろう。頭の良い人だ。メグが追撃をやめた時点で、自分から吐露しなければ逃げ切れると知っただろう。でもこれ以上、手持ちの札はない。

「たかが人間にしては、よくやったと褒めておこう」

 後ろからの偉そうな台詞に、反射的に眉間にしわが寄った。

 そんな場合じゃない。わかってるのに、音がしそうなほどの勢いで振り返る。

「キィ?」

 剣呑な色を帯びたメグの問いかけに、白の魔法使いは笑顔で両手を広げた。

「今なら自白ですむよ? どうするんだ?」

「何を言うんですか、魔法使い殿」

「まだわからないのか? さっきはこの小娘に指摘されるまで気付かず、今度は僕が答えを教えるまでその阿呆面をさらすのか」

 やれやれだ、と言いながら、魔法使いは優雅な足取りでメグより前に出た。

 ク・ルゥはメグのスカートの裾をぎゅっと握っている。見下ろすと、彼女が笑った。初めて、本当の笑顔を見た。

 キィはドナルドの横に立つ。

「本当にいいんだな? 人間の世界は自白とそうでないのは刑の重さが変わってくるんだろう? 理由いかんによっちゃ情状酌量とやらも適応されるとか」

「言っている意味がわかりませんよ、魔法使い」

 チャールズの声も、怒りを帯びてくる。

「そうか。なら仕方ない。おい、あの女の遺体をおまえはどこに隠した?」

 え? とみんなが一瞬考える。

 そうだ。

 カサンドラの遺体は見つかった。だが、まだジラの遺体は消えたままだ。腐敗し、魔女でないとわかってしまうがために、ドナルドが隠した遺体がそう遠くない場所にある。

「堀か? それが一番手っ取り早いからな。重しでもつけて沈めたか?」

 彼の罪状は死体遺棄と共謀、なのか? とにかく殺人よりも罪状は軽い。もうすべてばれてしまっているドナルドの口は軽かった。

 そして、キィの言わんとすることを、メグもようやく理解した。

 昨日死んだのは、カサンドラじゃない、ジラだ。

「つまり、だ。警察でもなんでもいいから呼び込んで、遺体を引き上げ【禁猟区】外に運び出す。そうすれば、ジラ本人に聞くことができる。普段は法外な値をふっかけるんだが、今回は大サービス。そうだな、カサンドラの最後の作品の出版権、でどうだ? もちろん犯人を見ていなかったら無理だが、彼女の頭、頭部損傷だと僕が言ったのを覚えてるか? 頭の後ろはもちろんだったが、ちょうどここら辺にもあったんだ」

 シルクハットの左前のツバの当たりを指す。

「額の少し上。左側の、ね。他の顔の部分にたいした裂傷がないから、おかしいなとは思っていたんだよ。後頭部は、落下時にできた傷。重力が犯人。額の傷は、人間の犯人にやられたものじゃないか? まあ、素人の浅はかな推理だが。左の額が殴られたとしたら、被害者はばっちり犯人の顔を見ている。確か、あんたは右利きだったな?」

 ちゃっかりとんでもない物を請求する魔法使いに、メグは苦笑するしかなかった。だが、彼の力は必要ないだろう。すでに、犯人は落ちた。違うと抵抗する気力はすでに失われている。

 チャールズの手から、カサンドラ最後の原稿が落ちていった。

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