第六章 魔女は二度死ぬ1

 カサンドラの遺体を、二人で運ぶのは無理だろうということになった。キィはク・ルゥを抱いているし、メグ一人で自分より身長のある死体を動かすのは不可能だ。屋敷に戻り、人を呼ぶことにする。

 道中お互い無言で、なぜカサンドラの遺体がそうなってしまったか頭をひねる。

 ひねりすぎて首が回りそうになるぐらい混乱して……、悩んだ。

 帰りはわかっている道筋だ。行きより早く着いた気がする。橋を渡り、中庭の中心に行くことなく、東から庭の外を回った。そして、ガラスのドアの向こう、ちょうど玄関ホールの辺りにみんなが集まっているのが見えた。微かに彼らの声が漏れている。何か大きな声で叫んでいるようだ。

 また、嫌なことが起きたのかと不安になり、早歩きになると、アーサーがメグたちを見つけ扉の向こうから手を振った。少しだけ開かれた扉から彼の声が聞こえる。

「やられたよ! ミトラくん!」

 彼は口を曲げて、心底悔しがっているように見えた。

「何があったんですか!?」

 これ以上どんなおかしなことが待ち構えているというのか。

 最後の距離を走って縮めると、メグは玄関ホールへ駆け込んだ。

「ああ、メグちゃん! チャールズに持って行かれたよ!」

 バートがオーバーな仕草で天を仰ぐ。屋敷の人々はにこにこと、そんな彼らを見ている。

 何が起きているのかわからず、最後に件のチャールズを見ると、彼は得意そうに手に持っていたものを見せる。

 ――カサンドラ最後の原稿だった。

「やっと詩が解けたんだ。そうしたら、予想通りこの原稿が――」

「違うわ!」

 彼の言葉にメグの絶叫が重なる。

 みんながきょとんと彼女を見た。

 そこへ、後から歩いてきていたキィとク・ルゥが入ってくる。メグの叫びが聞こえたのだろう、どうしたと、隣に立つ。

「違うわ。違うの。詩は、原稿を示してたんじゃないわ。詩は……、カサンドラの遺体の場所を教えてくれたのよ」

 みんなの顔色が変わる。

 特にチャールズは顔を赤らめて怒っているようにも見えた。

「ミトラ様、それはどういったことでしょう」

 ヴィクターが不審をありありと表に出し、尋ねる。

「カサンドラの遺体があっただと!?」

 ドナルドが真っ青な顔色で、頬を引きつらせて言う。今にも食いかかってきそうな勢いで、メグは後ろへ後ずさる。肩がキィに当たり、彼はメグの背中に手を当てた。

「大丈夫だ」

 メグにしか聞こえないほどの小さな声で、そう言った。

 大丈夫。そう。遺体があったのは事実。詩は、カサンドラを示していた。間違っていない。

「今、見つけてきた。彼と、詩を解いてカサンドラの遺体を発見したわ」

「見つかるはずがない!」

 ドナルドが噛みつく。

「いいえ。あったわ。間違いなくカサンドラよ。ただ、ちょっと様子が変わってて……」

 口ごもる。なぜあんな風になったのかまだわからない。

「様子が? 何があったんですか?」

 イライザも不安な表情でメグに問う。どう説明すれば的確に伝えることができるか。悩んだあげく、結局そのまま言うしかないと結論を出す。メグにも何がどうなったかわかっていないのだから。

「カサンドラの遺体があったの。ただ、着ている洋服が違ってた。昨日、ベッドに横たわっていたときは緑のドレスを着ていたでしょ?」

 誰もが頷く。赤と緑の対になる色合いは、忘れようにも忘れられない。

「あれが赤いドレスになってたの」

「色が変わっていたとかではなく?」

「うん。デザインも違っていたから」

 みんなが怪訝な顔をする。だがこれは序の口だ。

「それで、胸にはナイフが」

「ナイフ!?」

 異口同音に声が上がる。そりゃびっくりするだろう。メグだって未だに混乱している。チャールズが原稿を握りしめたまま顔をしかめて言う。

「なぜだ? カサンドラは落ちて死んだんだろ? なぜナイフが刺さってるんだ」

「私に聞かれてもわからない。ナイフが刺さってるどころか、折れていた首の骨も、肩も肋骨も、彼女の身体に骨折してるところはなかったのよ」

 散々悩んだが、あの後メグも自分で確かめてみた。そうでもしないとそれが現実だったか、後で迷ってしまいそうだと思った。

「骨が折れてない!? ミトラくん。大丈夫か? 夢を見るには早すぎる時間だぞ」

 茶化して言ってはいるが、顔は不自然にこわばっていた。メグの態度が、妄想を垂れ流しているようにはまるで見えないからだ。

 顔を見合わせ、この事態をなんとするか戸惑っている。

 折れた骨が死後くっつくはずなどない。死んだとき着ていたのとは違うドレス。しかも、風雨にさらされ続けたようにすっかりくたって薄汚れている。そして、胸に刺さったナイフ。

 カサンドラは二度死んだ。

 いや……違う。

 花畑にいたのは確かにカサンドラだ。衣服や肌の汚れを見ても、しばらくの間ああして横たわっていたのがわかった。それは一日二日といった短い期間ではない。けれどまったく身体は腐り始めていなかった。死んだ時のままだ。魔法使いでないと、成立しない現象だ。

 ならば、あの転落したと思われるカサンドラが――、別人。

「二人いたら……」

「何?」

 つぶやくメグにキィが反応する。

「もしも、昨日死んだのと私たちが見つけたカサンドラは別人だとしたら?」

 別人だとしたら、誰だ。

 カサンドラにそっくり。整形でもしたのか? いや、違う。そうじゃない。

「昨日死んだのがカサンドラじゃないとしたら?」

 メグの頭の中からこぼれた言葉に、ドナルドが過剰反応を示す。

「何を言っているんだ! みんなだって見ただろう! あれは彼女だ。魔法使いの、カサンドラじゃなければ誰だって言うんだ」

「カサンドラの孫、ジラ」

 真っ直ぐ、メグの瞳がドナルドをとらえる。

 整った彼の顔が、醜く歪む。

 まさかと、息を飲む屋敷住人に、アーサーたちは首を傾げた。彼らは知らないのだ。

「カサンドラのお孫さんが、半年前までお屋敷にいたの。それが、突然喧嘩をして出ていったんですって」

 簡単に説明する。そして気付く。ああ、カサンドラは半年前からあそこにいたんだ、と。

「それでわかった」

 ざわついていた空気が、魔法使いの言葉ですっと静まる。

「あの遺体がカサンドラのものでないのなら、腐る。腐れば、魔法使いでないのがばれる」

 あっ、とメグも声を上げる。

「だから窓が開けてあったのね!」

 真夏ではないが、十二時間も経てば次第に匂いが出てくる。人の身体は、生命維持機能が壊れた瞬間、あっという間に崩れ出す。

「髪なんて、かつらでも染めてでもどうにでもなるわ。目と、あとは態度。物腰」

 それを一年の間で習得したのだ。

 下を向き陰気な様子のジラ。まともに顔を見ることなんてなかったはず。

 もしも、血縁がゆえ彼女にカサンドラの色が濃く現れていたら?

 みんなの視線が次第に、メグやキィから一人の人物に集まる。

 カサンドラが、カサンドラでないと一番知っていたであろう人物。そういえば、時折おかしな態度を見せていた。魔法使いの身体は変化しないと聞いたとき、まるで怯えたような表情を見せたドナルド。彼女の身体を憑依させまいとしたり、今思えば彼の行動は一つの終着点を見る。

 すなわち、あれはカサンドラでないと知っていた。

 バートがドナルドの胸ぐらを掴む。

「おまえが遺体を隠したのかっ! あれがカサンドラの遺体じゃないと知ってたな」

「俺じゃない! 俺は知らない!」

 否定すれば否定するほど、彼に対する疑惑の思いが増えて行く。

「あの場で僕の憑依の能力を知らなかったのは、あんたとこいつだ」

 魔法使いは顎でドナルドと、メグを指す。こいつと呼ばれたことに不満を述べる場合ではないとわかっているが、顔に出そうになり自制した。

「遺体は小娘が一人で担いでいけるようなものじゃない」

 小娘にも反応しそうになる。だが、考えてみれば魔法使いからみたメグなんて、小娘以外の何ものでもないのだろう。そう思って、耐える。

「なぜ俺なんだ! 別にこいつらだって彼女がカサンドラでないと知っていたかもしれないだろ? 結局あんたの能力は【禁猟区】から出なければ使えない。だからあの場でやってみようとなることはなかった!」

 それはそうだが、何かひっかかる。

「もしも、もしもよ? 私が以前から昨日死んだ彼女がカサンドラでないと知っていたなら、こんな風に魔女の宴として人を呼ぶことを薦めたりはしない。だって、それだけばれる可能性が増えるもの。あんな風になりすましていたってことは、彼女はカサンドラを装いたかった。一年ほどの間で、彼女の癖や、屋敷の人たちに対する態度はわかったかもしれないけど、編集者の私たちに対する態度って、知らなかったでしょ? そんな危険を冒す意味がないように思えるの」

 それに、編集者であるメグたちを呼んだ目的はただ一つ。

「誰が犯人だったとしても、今回ジラが……もう、ジラと呼ぶね。彼女がしたかったことは、私たちにあの詩を解かせること。カサンドラ最後の作品をダシにしてね」

 それは誰の目にも明らかだった。

 原稿を高々と掲げたあの姿をメグは一生忘れない。

「もし、編集の誰かがカサンドラでなくジラだと知っていたとしたら? 彼女とグルだった場合、最後の作品を使うこと許すはずがない。だって誰もが自分の会社から出したいもの。グルでなかった場合、それこそ、その秘密を盾に最後の作品を手に入れる。あんな風に彼女の最後の作品を餌になんてできない」

「や、屋敷の誰かかもしれないじゃないか!」

「そうなると、今度はあなたがカサンドラの恋人としてこの屋敷にはいないと思う。でしょう?」

 親しくなればなるほど、魔女でないことがばれる可能性が高くなる。

「ねえ、何を探していたの? この半年間、あなたたちは何を求めていたの?」

 メグに詰め寄られ、ドナルドは言葉にならない声を漏らし、やがて崩れるように膝を折った。

 ジラ、ジラと、死んだ女の名前を呼び続ける。

 その様子をみんなは黙って見守り続けた。

 やがて、彼が落ち着いたところで、キィが尋ねる。

「カサンドラを殺したのは誰だ?」

「……ジラさ。最初は、あのカサンドラの孫なんだから、遺産を受け取って一生を遊んで暮らしてやると言ってたんだ。だけど、あれは嘘だった。今考えれば、彼女は最初からこうするつもりだったんだ」

「こうするってのは、入れ替わるってことだな?」

 バートが口を挟むとドナルドは項垂れたまま、そうだと言った。

「ジラはもともとすごくカサンドラに似ていた。俺も実物を見たわけじゃなかったが、写真でならうり二つだよ。母親にはそれでよくいじめられたそうだ」

「いじめられた?」

 メグの驚きの声に、彼は暗い笑みを浮かべ真っ直ぐ見てくる。

「そうだよ。ジラの母親、カサンドラの娘は、カサンドラを死ぬほど憎んでいたらしい。よくもまともに産んでくれなかったと。魔女は、娘をずっと産み落とさずに五十年以上経ってからようやく産んだらしいじゃないか。そのおかげで会えるはずの人に会えなくなったとか、そんなことを言ってた。ジラは幼い頃からずっと、怨嗟の言葉を聞き続けて生きてきた。俺が聞いたところじゃ、なんでもカサンドラのせいにして現実を見ようとしないジラの母親の方がどうかと思うがね」

 悪いことが起きると、産む時期をずらしたカサンドラ。だがそれはさらに悪いことを引き起こす。

「ジラは、普通に会おうとはせず、自分の髪を染め、背中を丸め、わざと本来の自分とかけ離れた風体をとった。屋敷の人間にカサンドラとはまったくの別人だと印象づけるために」

 そして、すり替わっても気付かれないために。

「びっくりしたよ。呼ばれて来てみたら、ジラがカサンドラになっていた」

 屋敷の人間たちは、一様に青い顔をしている。ヴィクターは青を通り越して白くなっていて、何かを堪えるように拳を握りしめていた。

「お金が目当てだったのよね? なぜあんなことをしたの? 私たちに詩を解かせて、何をしたかったの?」

「何がって、決まってるだろ? 金が欲しかったんだ。二人で遊んで暮らせる金が。だが、あれだけベストセラーを出しているくせに、彼女は金を持っていなかった。ジラは直接問い詰めたそうだ。すると、使用人たちへの給料と館の維持費以外は全部適当に寄付しているとぬかした。まったく金を持っていないとね。――そんなのが信じられるわけがない」

「いや、本当だよ。カサンドラは金に興味はなかった。下手に持っていても困ると、印税のほとんどを寄付してた。原稿料だけでやっていける。金は人間の持ち物だってね」

 アーサーが静かに言うと、ドナルドはまた暗く笑った。

「それを早く聞いていればな。こんなことにはならなかったかもしれない」

 そうだろうか。そんな簡単なことではないと思う。

「ジラはこれ以上カサンドラと話をしても、意味がないと決断した。そして、殺し、入れ替わり、今度は自由に魔女の持ち物を調べだしたんだ。確かに金はなかった。現金はな。で、生前の彼女が食堂の詩をやたらと気にしていたと、ジラは思い出したんだ」

 自分たちで散々その詩を解こうと奔走した。当てはまりそうなものは山ほどある。だが、どれも正解ではなかった。

「自分たちじゃ見つけられないから、それならば他の人間に解かせようということになった。屋敷の人間ではだめだ。何か感づかれてしまうかもしれない

「それで私たちが呼ばれた」

「そうだ。それにしても、詩が示していたのが、あの場所だとは思いもよらなかった。ジラが頻繁に通っていたあそこだとはね」

「彼女は、なぜカサンドラの遺体のある、あの花畑へ通っていたの?」

「さあ。わからない。俺は行ったことがないからなあ。実際カサンドラには会ったことがないんだ」

「僕は、わかる気がするな。魔女は死んでも腐らない。本当に死んだのかわからない。確かめにいかずにはいられなかった」

 バートがそんなことをぽつりとつぶやく。

 不安になり、死んでいることを確かめにいく。いっそ燃やしてしまえばいいのに、それはできない。

「彼女もカサンドラに取り憑かれていた。そして……死んでしまった」

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