第五章 魔女は歩く4
「ねえ、魔法使いは死を望むの?」
少し後ろを向いて、彼に届く大きさで話しかける。間違いなく聞こえているだろうに、彼は答えない。
「魔法使いたちが一度は望む死。なぜ? やっぱり、長い生は苦痛?」
人からすれば羨ましいことも、魔法使いからすればそうでない。カサンドラは人間の一瞬ではじけ散るような生に憧れを抱いた。常に暗い影がそばにあるそれは、どんな光より明るく映った。
「……魔法使いはなんでもできる。そんな魔法使いが体験できないこと。それが死」
カサンドラが手に入れたような、突然の死に、魔法使いたちは憧れる。
望みを手に入れたその闇――死を、羨む者は多かろう。
「あなたも羨ましいの?」
彼もまた他の魔法使いたちと同じように、死に憧れを抱くのだろうか?
しばらく返事はなかった。
聞いてはいけないことだったかと思い始めていたころに、彼が聞こえるか聞こえないかぎりぎりの声でつぶやく。
「僕は魔法使いの中でもまだまだ若い方だ。まだやりたいことがあるし、それを終えるまで死ぬ気なんてないよ」
キィの答えに、ホッとする。
なぜだかわからないが、彼に死を望んでは欲しくなかった。
死を求めて生きている。そんな風に思いたくなかった。
「やりたいことって何?」
わざと明るく聞くと、彼はノーコメントと答える。口を滑らせてはくれないようだ。
ちぇっ、と舌打ちをしながら、彼の方を向く。そのまま後ろ向きに歩いた。この歩き方は少し技術がいる。だが、慣れると案外早く進める。小さな頃、みんな一度はやったことがある、後ろ歩き。
「やりたいことって、達成できそう? 魔法使いがやりたくて努力してることなんて、よっぽどすごいことよね。人間なんかじゃ絶対に到達できないようなすごいこと」
彼は優しく笑った。
「案外、僕ら魔法使いの錆付いた頭よりも、あんたたち人間の方がぽろっと答えを見つけてきたりするものさ」
「じゃあ教えてよ。私が知恵を貸すのに」
「百年早い」
ちぇっ、とまた舌を打つ。
でも、その百年早いがツボに入る。人間には一昨日来やがれ的な突っぱねる台詞なのに、魔法使い同士なら普通に明日来てねということになるのだろうか。彼はどんな意味で使っているのだろう?
「何ニヤニヤしてるんだ」
「もともとこーゆう顔なのよ」
ふふふ、と笑う。
「おい、止まれ!」
突然キィが厳しい声でメグを呼び止める。
後ろ向きに歩くというのは、スピードが出ると止まるのが少し難しい。メグも慌てて踏みとどまろうとするが、身体のバランスを崩して後ろに倒れそうになる。
「メグ!」
魔法使いの手が真っ直ぐ伸びてきて、彼女の肩を引き寄せた。そのまま今度は前へ倒れ込む。キィに抱かれていたク・ルゥは、絶妙なタイミングで彼から飛び降り、転がった二人の横へ立っていた。
「重い。早くどいてくれ」
「ご、ごめん」
絡まるようにこけたので、離れるのに難儀する。
立ち上がって、後ろを見ると棘だらけの茂みがあった。
「確か棘に毒がある。毒性は強くないが、赤く腫れて酷い目に遭うぞ」
サイモンが同じようなことを言っていたのを思い出してぞっとする。
「ありがとう」
感謝の気持ちは素直に表せ。祖父が散々言っていた。
「そう思うならもう少し痩せたらどうだ」
「なんですって!? 私太ってるなんて言われたこと一度もないわよ!」
標準体重より下回っているのに。普段から良く動くせいもあって、美容体重とは言わないが、きちんと健康的な体型を保っているつもりだ。小さいとか、色気がないとは常々言われ続けているが。
「そりゃ、周りが気遣ってるんだ……て、なんだよク・ルゥ!」
まだ尻餅をついたままだったキィの耳を、ク・ルゥが力一杯引っ張っていた。
「君のことは言ってないだろ。最近ちょっと重くなったけどって、おい、やめてくれよ」
今度は両耳だ。
なんだよもう、とぶちぶち言って、彼は立ち上がる。
なぜこの魔法使いは一言余計なのだろう。わざと怒られるために言っているような気がする。
「とにかく、これで冬の茨があったな」
「冬は、死、ね」
「そう。毒の茨」
悔しいことに、彼の言う通りやってきて、一つ一つが符合していく。
「カサンドラもここを大きく回って向こう側に行っていたみたいだな」
先ほどまで通ってきた頼りない道が、右へ伸びていた。道は常に人が歩いていないと、森に飲み込まれる。道は人が歩くことによってできた。こちらにはカサンドラしか来ないのだから、ここはカサンドラが作った道だ。
あとは道を見失うことなく進んで行くだけだ。
頼りなく細い道ではあるが、確実にそこにある。カサンドラが示した道標が、メグの元へ届く。
「二人の女王ってなんだろう。『冬の大地へ額ずく女王』は、亡くなったカサンドラのことだと思うんだけど」
「俺もそこがよくわからん」
今までのキィに教えられた解釈でいくと、古き女王は亡くなったカサンドラのことだと思われる。冬や闇の冠といった、死を表すキーワードとともに表されているからだ。そして、対になる新たな女王。これがわからない。そんな人物がいただろうか? 生に輝く新たな女王はいったい何を示すのか。
女王と言うからには女性なのだろう。今、屋敷にいる女性は、メグとイライザ、エノーラ、そしてク・ルゥだけだ。彼女たちには悪いが、自分はもちろん、他のメンツも女王と言われてピンと来ない。
「凍れる騎士とか氷とかも死を表すのかしら」
少し、違う印象を受ける。
凍れる騎士は、夜の息に誘われる。夜の息は死の息だ。つまり、カサンドラの息か? カサンドラの吐息によって誘われる凍れる騎士。
「……凍れる騎士って、あなたのことだったりしてね、キィ」
氷の裳裾をなびかせる。彼の白いマントはひらひらと風に舞うのだ。
そうなると、カサンドラの死の吐息が、キィを動かし、彼を詩の指し示す地へと誘う。詩の意味が通る。
だが、隣を歩く魔法使いは首を振った。
「凍れる騎士は俺じゃない」
断定的な言葉に、首を傾げる。
「言い切れるの?」
「ああ」
ここまでの流れなら、教えようと思うことは言ってくれているだろう。なぜと聞いてもまたはぐらかされる。そう思って、聞くのをやめた。
それに、もう一度彼と言葉を交わす暇はなかった。
前方に見えた景色に、口をぽかんと開け広げ、メグは言葉を失った。
道は冬の茨を迂回し、そして元の、屋敷から見て東へと戻り続いていた。
その先へ先へと進んで、見つかったのが――赤い丘。
見渡す限り、一面に咲く赤い花畑だ。花の匂いがむっと押し寄せてきた。
「これが、赤の丘」
「のようだな」
さすがの魔法使いもそうとしか答えられなかった。木々が濃く生い茂る森の中に、ぽっかりと開いた土地が現れる。空から太陽の光が注ぎ込み、何も遮ることのないこの場所が、メグたちが追い求めていた、カサンドラが出した問いの答えだ。
「なんの花かしら?」
とてもきれいな百合の花だが、その種類まではわからない。百合のイメージは高貴な白といったものだが、これは赤く、花びらの中央に黄色い筋が入っている。
「カサンドラ」
「え?」
「カサンドラだろ、この百合」
「違うわよ。カサンドラは白のみよ。白くって、中央に黄色の筋が……」
あらためてよく見る。
確かに、花びらが白ければ、カサンドラによく似ていた。花の大きさといい、形といい、そっくりだ。カサンドラという品種があると聞いて、百合の展覧会へわざわざ出向き、見て来たのでよく覚えていた。赤ければあのカサンドラの百合だわと思い、赤いのはないのかと聞いて苦笑されたのだ。
「カサンドラは、白のみって言われたのに」
ここにあるのは赤いカサンドラ。メグが追い求めた色。まるで彼女のために咲いているかのような、鮮烈な赤。
そのとき、風が吹いた。突風と言ってもいいほどのもので、花びらはもちろん、木々からこぼれた葉が舞い散る。
魔法使いのマントがメグの視界を遮る。彼も己のトレードマークであるシルクハットが飛ばされないよう必死だった。ク・ルゥはそんな魔法使いの首にしっかりと抱きついている。
風が弱まり、マントが落ちる。
そのとき、目の端に何かが見えた。
花びらの赤と、茎の部分の緑。それ以外は何もないこの赤の丘に、異質な物を見た。
嫌な予感がした。
二日前、あの屋敷の西側で遭ったような、嫌な気持ち。
背中に汗が噴き出す。
「キィ……」
「ん? どうした」
彼は気付いていない。
メグの視線の先を、目を細めて見やる。風の余韻でゆらゆらと花の先っぽが揺れる。その間に、違う色が見える。
胸の前で握りしめた手の内側が、じっとりと汗で濡れる。
嫌だ。それは、見たくない。
二日前よりももっと、もっと、メグは思った。
そちらには行きたくない。
だが、赤い花畑の中を行く白い背中に、メグもよろよろと足を踏み出す。
行きたくない。でも行かなければならない。
相反する複雑な気持ちに泣きたくなる。
心は拒否するのに、身体は前へ前へと魔法使いの後ろを進む。
そこへ真っ直ぐ道が延びていることに気付いた。
あの冬の茨の道からずっと、そこへ通じているのだ。
ゴールは赤い丘ではない。
キィが、メグが向かっているその先にある。
赤いカサンドラの中心。
そこに――カサンドラは静かに眠っていた。
胸の前で腕を組み、花畑の棺に埋もれるように横たわっていた。
「キィ……」
彼の背中に掴まる。ク・ルゥも抱きかかえられたまま、首へしがみついている。なぜこんなところに? という疑問。そして、あまりに似つかわしい魔女の姿に、頭が混乱してしまう。
「おい、違わないか?」
「何がよ、カサンドラに間違いないわよ」
もう見たくない。彼が少しとはいえメグより背が高くて助かった。シルクハットも前方の景色を隠すのに一役買っている。
「よく見ろ、服が昨日と違う」
「え?」
慌てて、顔を出す。
生きているときと変わらないカサンドラの顔。むしろ昨日より血色が良く見えるくらいだ。そんな彼女が着ているのは、確かに違う。昨日、彼女が亡くなったとき着ていたドレスと今のドレスが違っていた。
確かあのときは、緑色のドレス。今は、シンプルな物には変わりないが対照的なカサンドラの髪の色と同じ赤いドレス。咲き乱れるカサンドラの中に埋もれるカサンドラ。
それだけではない。服は薄汚れ、鼻の頭や組んだ手の指も、汚れていた。
誰かがここへ彼女を連れてくるときに汚したとかではなく、風雨にさらされて汚れていく、放置された物のように彼女も全体的に汚れているのだ。
「なんでだろう」
「僕にもわからない」
「お屋敷の人たち、もしかしたら彼らが何か目的があってこうしたとか?」
「目的って?」
そんなの、わからない。
「カサンドラの大切な場所だったのだから、そこへ遺体を運んで弔ってあげようとしたとか」
「それならそう言うだろう。あんな大騒ぎにする必要はない。みんなに提案すれば、誰も反対する者はない。『カサンドラ気に入りの場所に、花に囲まれてそっとしておいてあげよう』と言えばいい。見つかるリスクを冒してカサンドラを移動する方が不自然だ」
メグもそう思う。それくらい少し考えればわかる。
「カサンドラのためと屋敷の人たちが考えたことを、詩を使って見つけてもらうとか、わけわからないものね」
詩で場所を示し、みんなにここに埋めてくれというのならまだ筋が通る。だが、屋敷の人たちがそれに気づき、メグたちに何も言わずにやるのは無理がある。
遺体は重い。一人では絶対にできない。屋敷からちょっとの距離なら一人でもなんとかなるだろうが、結局メグたちは中庭を通り、橋を渡って三十分以上歩いている。これは一人ではきつい。
「まてよ……」
キィが一歩前に出て、彼女の首に手を当てる。身体をあちこち触る。
白い手袋に汚れが付くのも気にせず、彼は何度もそうやった。首へ手をやるときは、まるで絞めているようで、メグは目をそらす。
「おかしい」
「何が?」
全部が。心の中で、自分で答えてみる。
「カサンドラの死因は?」
「あなたが言ったでしょう? なんだっけケイツイ? とにかく首の骨が折れたって」
それによる呼吸機能障害で、窒息死だと。
「だよな。僕もあの見立てに今も自信がある。だが、これは違う」
え? とメグは眉をひそめる。
キィはカサンドラの手をそっと上へ持ち上げる。
「うそっ!」
その下には、柄が見えていた。
ペーパーナイフのような、小さな刃物の柄が、彼女の胸に深々と突き刺さっている。
「首が折れていない。身体の他の部分にあった骨折もまったくみられない」
そして胸には今まで見られなかったナイフの柄。
「死因がまったく違う。骨折した上でならまだわかるが、骨折痕がない」
それに、これでは事故死ではない。
「死んだはずのカサンドラが、夜中に屋敷を抜け出してこのお気に入りの花畑で自殺したの?」
ゆっくりと、スローモーションのように後ろへ倒れ込む彼女の姿が、脳内で再生される。
アーサーの、魔法使いは魔法使いの死を隠すという、あの陰謀説が思い起こされた。
「いや、それはない。絶対にない」
何が? と聞くのが怖かった。
一つ否定されれば、また疑問が山積みになる。疑問の上に疑問が積み重なるのだ。
しかし、魔法使いはそんなメグの気持ちを知ることなく、容赦なしに進めて行く。
「このナイフのツカの部分。上側が彼女の身体に当たってつっかかっている。下側はほら、まだナイフの部分が身体の奥まで入りきっていない。だからこう、上から振り下ろされたというのがわかるだろう」
もし自分で胸を突き刺すなら、それはとても不自然だ。真っ直ぐか、少しだけ上から、少しだけ下からならわかるが、身体に突き刺さっていないナイフの刃の部分がしっかり見えるほどにはならない。
それに、自殺でここまで深々と突き刺させるのも不思議だ。自分の体重を利用してとなれば、仰向けではなく、うつぶせに遺体が倒れているのが自然だった。
つまり、カサンドラは二度死んだ。
二度目は間違いなく、誰かに殺された。
「他殺だ」
また風が吹いた。強い強い風。カサンドラの吐息。
こんな強い風の中でも、魔女カサンドラは赤い花に守られ微動だにすることはなかった
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