第五章 魔女は歩く1
日の光がカーテンの隙間から差し込む。窓が西側を向いているので奥まで届くことはないが、それでも気分が良い。太陽の光は、人を元気にさせる。
思い切り伸びをしてベッドから抜け出すと、シャワーを浴びた。普段はこのシャワーの時間も惜しいとぎりぎりまで寝ていることが多い。仕事に追われていないこともあるが、やはり環境の違いだろうなと思う。家を出て一人暮らしをして思った。起きたら朝食が準備されていることのすばらしさといったらない。
ドライヤーで髪を乾かし、歯磨きを終える。次は着るものだ。
荷物をひっくり返し、持って来ている服の中でも割と暗めの組み合わせを選ぶ。やっぱり葬儀なのだからそうするべきだろうと、昨日の夜眠り際に考えた。
グレーのシャツに、黒のロングスカート。黒のショートブーツ。シャツに赤いラインが入っているが、カサンドラの色ということで許してもらうことにした。
鏡の前で最終チェックを行い、最後にカーテンと窓を開け、空気を入れ換える。少し水分を含んだ風が気持ちいい。
時計を見ると八時半。時間だ。
食堂へ入ると、半分くらいがそろっていた。
「ミトラ様、おはようございます」
「おはようござます」
昨日とはまるで違う元気な挨拶に、ヴィクターは眼を細める。
「卵はどうされますか?」
「スクランブルでお願いします」
メグは席に着くとクロワッサンを二つもらった。アプリコットジャムとバターをたっぷりつけて食べる。南瓜のポタージュスープがほんのり甘くて美味しい。そんな彼女を見て、皆が何も言わずに、それでも口元に笑みを浮かべる。
フルーツジュースをお代わりして、ほぼ完食したころには全員がそろっていた。昨日の朝のように、大きな声で談笑することはないが、誰もが穏やかな表情をしていた。
早々に食事を終えたメグは、隣のク・ルゥのサポートにつとめる。あれこれと言われるままに取ると、最終的にはメグの倍近い量を食べていた。その分おなかがぽっこり出ている。さすがに後で腹痛にでもなりはしないかと心配になるが、キィは慣れているのかまったく口を出さない。成長期なのだろうが、不安だ。
そうして、全員が食事を終えると、ヴィクターが参りましょうと促した。
アーサーたちも、ドナルドも、メイドたちも。暗めの服を着ていた。めいめいができる精一杯の服装。ク・ルゥでさえ黒いドレスを着ている。が、白の魔法使いと呼ばれるキィは、その名に違わずやはり上から下まで徹底した白を着ている。むしろ、昨日と衣装が替わっているかが微妙なくらい同じものに思える。クローゼットを開けたらずらりと同じ服が用意されているのかもしれない。そう思うとおかしくなって、笑いを堪えるのに必死だ。
ぞろぞろと階段を上がる。先頭はいつの間にかヴィクターからドナルドへ替わっていた。一番後ろがキィとク・ルゥで、その前がメグだ。
魔女の部屋の前に着くと、ドナルドがドアを開ける。鍵は閉まっていなかったようだ。 順番に中へ入って行く。メグも扉の前に来たところで、ドナルドの大きな声が聞こえた。
「いない! いないぞ!?」
え? と固まるメグを押しのけ、キィが中へ進む。
入ってすぐの居間には、先に入った男たちが留まっていた。窓際で、レースのカーテンがふわりと揺れる。風がそよぎ、彼のマントの裾が翻る。
奥の寝室へそのままの勢いでアーサーたちより先へ入ると、ク・ルゥもその後ろに続いた。
前のイライザと顔を見合わせる。先ほどまでの雰囲気と一転し、緊張した面持ちだ。
「どこだ! どこに隠した!」
半狂乱のドナルドの声。
驚きの第一波を越えると、メグも足早に後に続く。
「まさか」
アーサーが漏らすつぶやき。バートは息を飲み、チャールズは十字を切る。
彼らの隙間から、メグもベッドを見た。
そこに魔女(カサンドラ)の姿はなかった。
「うっそ……」
そうこぼさずにはいられなかった。
何がどうしてこんな事態になったのか?
一番早く動き出したのは、やはり魔法使いだった。
キィはベッドのシーツに手を置く。
「昨日より乱れてるな」
男が四人がかりで彼女をきちんと寝かしつけた。そのとき余計なしわは、イライザがしつこいほど丁寧に伸ばしている。メグもそれを見ていたので覚えている。たしかに、カサンドラが寝ていた形をとっているが、その周りがぐちゃぐちゃと荒れていた。
キィはそのままベッドの下をのぞき込み、クローゼットを開け放つ。
が、カサンドラはいない。
バートが隣の部屋へ行った。だがもともと、大の大人が隠れられるようなところは魔法使いが探したクローゼットくらいしかないのだ。
メグは窓から身を乗り出し外を見る。下には何もない。魔女の部屋からの窓は、全部中庭に面しているが、真下は厨房と食堂で、ここから落ちたとしたら下の日差し避けに当たる。ベランダはなく、全て窓でしかない。助走を付けて飛んだとしても、落ちるだろう場所には生け垣があり、それらは荒らされていなかった。
「どこに、どこにやったんだ! カサンドラを返せっ!」
ドナルドがキィへ詰め寄るのを、ヴィクターが慌てて止める。
カサンドラの部屋をあらかた見て回ると、みんな無言で顔を見合わせた。
わけがわからない。なぜ、わざわざ、カサンドラの遺体を隠す必要があるのか?
「いたずらにしても悪質すぎるだろう!」
閉鎖された空間だからこそ、犯人はこの中にいるわけだ。アーサーの怒気を含んだ言葉に、みんな本気で首を振る。
犯人の立場になって考えてみようと思うが、正直まったく意味がわからない。
いつもは冷静なヴィクターもすっかり困り切っている。
誰が犯人とも思えない。
「まさか……、カサンドラは死んでいなかった、とか?」
一番可能性が高い。
だが、そんなメグをみんなが憐れみの目で見る。キィも同じだ。肩を落として首を振った。
「それはない。間違いなく彼女は死んでいた。脈もとまっていたし、何より昨日言っただろ? 身体の機能的には人間と変わらないんだ。首の骨が折れて生きてはいられない」
「そっか」
本気で言ったわけじゃないけれど、そうだったらいいなと思った。すぐさま否定されて、残念だ。
「とりあえず、屋敷の中探してみるか」
このままじゃあまりに不可解でだんだん気味悪く思えてくる。
「では手分けしましょう。お客様は、お互いの部屋を見てもらえますか? 私たちは他の部屋を見て参ります」
「僕も君らについて行く」
魔法使いがク・ルゥを抱き上げサイモンの後を追う。
「ドナルド様は……」
「いやだ。俺はここにいる! 部屋を見たいなら勝手に見るがいい」
ベッドに跪いたまま、ドナルドは動こうとしない。それでは、とヴィクターはメイドたちを促す。
「じゃあ俺たちも行こう」
アーサーが声を掛け、バートとチャールズ四人でまず二階の部屋へ行く。
「僕の部屋も調べておいてくれ!」
西の塔へ登りかけているキィが、こちらに向かって叫んだ。
「あ、ああ。それじゃあ一番奥の彼らの部屋から見てみようか」
二階も一階と同じ作りだった。
ちょうどメグの部屋の真上に当たる魔法使いとク・ルゥの部屋は、作りも広さもそっくり同じだった。人が隠れられるところといえば、クローゼットかシャワールームくらいだ。ベッドの下は足が短いタイプなので子どもでも入ることはできない。
メグは少しワクワクしてクローゼットを開ける。
「すごい」
タキシード、燕尾服、フロックコートまである。それら全てが白。靴も他に三足あった。シルクハットも、もう二つ。もちろん真っ白。
「徹底してるなあ。白が好きなのか、意味があるのか」
「ここまでしよう思ってもなかなかできないぞ」
みんな興味津々でのぞき込む。
「彼の服もすごいが、おちびさんのドレスの数も半端じゃないな」
どこの売り場だと突っ込みを入れたくなるように、グラデーションに並べられたドレスが全部で十五着あった。魔法使いと言えども、【禁猟区】ではその力が使えない。つまり、彼がこれを持って来たのだ。北に一時間歩けばと言っていたから、もしかしたら車で迎えにきてもらったのかもしれない。どっちにしろ、ずいぶん頑張っている。確かに、ク・ルゥみたいな可愛い女の子がいたら、思う存分着飾らせたいと思うのが人情ってものだ。
そこで、ふと思いつく。まさか、ク・ルゥはキィの子どもということはないだろうか?
まさか、と心の中で笑い飛ばす。
でも、と心の中でつぶやく。
昨日彼は言っていた。人間と身体機能は変わらない、と。彼は魔法使いだ。見かけよりずっとずっと年上だ。好きな人の一人や二人、今までに出会っていないとも限らない。それで、キィが、子どもを……。
「どうした? メグちゃん」
「えっ」
肩を突然叩かれて、びくりと身体を震わせる。
「いや、ニヤニヤしてたと思ったらしかめっ面になるし。なに百面相してるのかなあって」
そんなこと、――していたのだろう。
このすぐ顔に出る癖はなんとしてでも改善しないと、後々困ることになりそうだ。
「何でもないです。はい」
勝手な妄想で突っ走るのはやめよう。
結局二人の部屋にカサンドラの遺体はない。
「じゃあ次は俺の部屋だ」
アーサーが部屋を出て、すぐ右手のドアを開ける。入ってすぐに、違いに気付く。
「あれ、シャワールームはないんですか?」
「そうだよ。シャワーとトイレは共同で、階段の向こうにいかないとないんだ。まあ、いつものことだし慣れてるから平気だけどね」
バートがそう言いながらクローゼットを開けた。中は几帳面な性格そのままにきれいに整えられている。整えてあるというだけでは正確ではない。すべてがきっちりで、整列していた。ハンガーは均等に位置を保ち、靴も同じ向きで、そろっている。
「やっぱりないか」
「あったらあったで怖い」
探すときにずれたシャツを、元の位置に戻しながらアーサーが言う。
自分に記憶がないのにカサンドラがいたらいたで怖い。
ベッドや他の調度もメグの部屋と変わりない。むしろ、ユニットバスがない分広く感じられた。
「次はバートだね」
チャールズが言うと、彼は肩をすくめる。
「調べるのはいいが、鞄の中まで漁らないでくれよ?」
「そりゃもちろん。男の鞄を漁って楽しいわけがない」
「カサンドラが入る大きさの鞄なら話は別だ」
アーサーのコメントにみんな笑う。
この作業が無駄であると思っているのだ。
「むしろ、ミトラくんの部屋の隣三つ。あそこは今使ってないだろ?」
「だね。ウッズさんはカサンドラの部屋の方だ」
談話スペースの向かい。吹き抜けの向こう側に一部屋あった。ドナルドはそこに陣取っているそうだ。
「勝手に調べてくれと言ってたが、どうする?」
「ヴィクターたちがやるんじゃないか? まあ、最後にカサンドラの部屋に戻るだろうし、まだ調べてなかったら調べればいい。先に東の棟を終わらせてしまおう」
アーサーがまとめると、バートの部屋をぐるりと見渡す。隠す余地などない。
「と、僕の部屋は一分待ってくれ」
「おやおや、怪しいなあ」
バートがニヤニヤと笑う。
「じゃあ、せめて三十秒。散らかしたまま出て来たから、女性が入るならせめて片付けたい」
早く行けとアーサーが言い、チャールズが入って、すぐまたドアを開けた。
「どうぞ」
メグが入らなければいいのだが、彼らのやりとりへは口を挟む暇がない。
散らかっていると言ってたが、ベッドメイキングも済ませてある。部屋はきれいに片付いているように見えた。三十秒でどれだけ頑張ったのか? それとも、見てはいけないものがとっちらかっていたのだろうか? 反対に興味深い。もちろんクローゼットにはカサンドラの影も形も見られず、ベランダから外を覗いても何もなかった。
「それじゃ降りるか」
ついでに書庫も見て回るが、二日前に入った時のままだった。
「メグちゃんの部屋は別にいいか」
「そうだな」
バートの提案に、アーサーもすぐ同意する。だがそれでは公平さに欠けた。
「片付いてるんで大丈夫ですよ。一応見てください」
部屋に鍵は付いていない。メグの知らない間に担ぎ込まれている可能性はゼロじゃない。調べられるならきちんと調べておくべきだ。
「そうかい? じゃあ」
と、探すも何もでない。当たり前だ。
同じく隣の三部屋も何もでなかった。本当にどこに行ったんだと言いながら、階段のところまで戻ると、ヴィクターたちもやってきた。どうやらあちらも収穫なしだったようだ。
再び魔女の部屋に集合する。
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