第五章 魔女は歩く2
再び魔女の部屋に集合する。
「どうだった!」
顔色が悪いドナルドが、こちらの姿を見つけると噛みつくように聞いてきた。キィが代表して答えると、カサンドラの恋人はまたベッドに顔を埋めた。
「しかし、謎だな。死体を隠してどうするんだ?」
寝室から出て、ふかふかのソファーにどかっと腰を下ろしたアーサーが問う。チャールズは首をひねり、バートは手のひらを天に向ける。彼らもそれぞれソファーに座った。メグは窓の近くで立ったまま、外を見る。中庭の緑が目に痛い。
「まったく見当がつかない」
誰か意見は? という彼らの振りに、メグはハイと手を挙げた。
「例えば、原稿を探しにここに忍び込んだとか?」
それだと犯人が自分を含めて四人に絞られるわけだが、みんな気を悪くした様子はなく、続きを促される。
「それで、えー、ベッドのカサンドラが寝ている下を探そうとして、身体を動かした」
「ミトラくんの考えは面白いけれど、遺体を隠す必要性まで出てくるわけじゃないな」
確かに。考え込むメグに、チャールズが助け船を出す。
「そのとき遺体を破損してしまったとか。その、……腕がもげるとか」
「別に、隠す必要まではなさそうだけどなあ。ヴィクターさんたちはしばらく彼女をそのままにしておくって言ってたし、シルクの掛け布団をしていたから、みんなめくってまでは見ないだろ? 血ももう流れていなかったから、ばれやしない」
そう。アーサーの言う通りだ。顔に損傷を与えてしまったとかならあるのかなと思うが、遺体を隠すことまでするだろうか?
「まさか……」
思わせぶりな台詞を吐いて、黙り込んだバートにみんなの目が集まる。
「いや、事故死じゃなかったのかなと思ってね」
「何を言うんだ。事故死じゃなかったら、殺人だとでも?」
チャールズが眉をひそめる。
「そこでいきなり殺人に行くのは、さすがミステリー出版社らしい」
キィが壁に寄りかかり面白そうに顔をゆがめる。
「だが、彼女の遺体は見かけだけは転落死の様相を示していた。それは君らも確認しただろ?」
ああ、うん、と口々に頷く。正直メグはあまり覚えていなかった。
「だから、それ以上遺体を調べようなんてことは誰も言い出さなかった。こんな風に遺体を隠せば何かあると勘ぐられてしまう」
「死後、時間が経って何か証拠が出て来てしまうとか。ほら、圧迫痕は死後数時間してから表皮に現れるし、毒殺で唇や皮膚に変化が出るのも時間が経ってからってものもあるから」
「メグさん、それは無理だ。ほら、彼女の身体は時間が止まっている。つまり、死後数時間後に現れるという諸処の現象は起こらない」
「あ、そっか」
チャールズが言うと、キィはその通りと人差し指を立てる。
「と言うことは、遺体を移動させることはもし殺人だった場合とても不利になるんだ」
移動したことで、死因に不信感を抱かせてしまう。本末転倒なのだ。
そして結局、話が止まってしまう。
カサンドラが生き返り、一人で動いたのでないならば、誰かが彼女を移動した。
その目的が、わからない。
「カサンドラの身体に懸賞金でも掛かっていたとか、見せ物にするつもりとか」
「馬鹿だなバート。彼女の遺体を【禁猟区】から出したら消えてしまうんだぞ?」
「そりゃそうだ」
アーサーの一言で、彼は引き下がる。
じゃあ、【禁猟区】から出さなきゃいいじゃないという言葉を、メグも飲み込む。それではまるで、この屋敷に住む人が犯人のようだから。いつも気遣いを絶やさないヴィクターや、この庭を、屋敷を愛してるサイモン。元気でカサンドラを敬愛していたイライザに、美味しい、心がうきうきするような料理上手のエノーラ。彼らがカサンドラの遺体をどうにかするなんて考えたくない。
いや、違う。
それならこんな風に隠すことなんてなおさら必要ない。キィにヴィクターが言っていた。しばらくはこのままにしておくと。メグたちが帰ってからゆっくりどうするか考えればいいのに、騒ぎにしてしまっては結局マイナスになる。
つまり犯人は、昨日の今日で遺体を動かしたかった者。そうせざるを得なかった者。
物理的な理由で絞られるのが、私たち外部から来ている者たち。そうそう長くは留まっていられない。
または、カサンドラの遺体に何かがあるとき。何かはまったく見当がつかないが、それを人目にさらすわけにはいかず、昨日思い切って行動を起こした。
「いつ消えたのかしら?」
メグが誰となく聞くと、バートが仕方ないと立ち上がった。
「後で揉めるのも嫌だし、この際ここではっきりさせよう。まずは――、カサンドラの遺体が消えた時間。みんな一番最後にこの部屋に入ったのは?」
いつの間にか寝室の扉は閉められ、ドナルドも含めて皆が居間へ集まっている。
「ちなみに俺は昼食の後に一回来てる」
「僕も昼食後、一時間くらいしてからかな。そのときアーサーにも会ってる」
「そうだな。入れ違いで、俺がチャールズの後だった」
バートと目が合い、メグは首を振る。みんなでこの部屋を出てから、二度目に訪れたのは今朝あの瞬間だ。
「僕とク・ルゥはこの部屋に立ち入ってはいない」
エノーラとイライザ、サイモンも首を振った。彼らもまた、今朝が二度目の訪問だった。
「俺は……、昨日の夕方。夕食の前に一度来た」
ドナルドが続け、最後にヴィクターが夕食後、窓の戸締まり確認に入っていた。つまり、ヴィクターで最後だ。
「そのとき扉の鍵は?」
「締めておりません。基本的にこの屋敷内で施錠は外に向けてのみです。カサンドラ様のお屋敷で、悪さをするような方はいらっしゃいませんでしたので。昨日西の塔の鍵をしたのは、窓が危ないと思ったので一応」
「そうか。もちろん、そのときカサンドラの遺体はあったんだよね?」
「ええ。ございました」
「朝は来なかった?」
「特に準備する物もございませんし、必要がありませんでしたので」
葬儀といっても、カサンドラの宗派がわからないし――というか、それ以前に宗教的なものを信仰しているとは思えない――、牧師も神父もここにはいない。みんなで祈りを、それぞれに捧げるだけだ。そう、自己満足のために。
「ま、当然か。てことは、彼女の遺体は昨日の――、」
「二十時です」
「うん。二十時以降から、今朝朝食を終え、みんなでここへ来る九時までの間に消えたと。朝は人通りが多いからきっともっと早い時間までだろうけど。昨日夜はずっと誰かと一緒にいたってことは、ないよね? てことは、みんなにアリバイがない」
アリバイ。不在証明。ミステリーにおいて重要な要素の一つだ。
「誰でも遺体を運べるってことだ」
「だが、女性には無理なんじゃないか?」
アーサーが言うと、バートは首を振る。
「甘い甘い。別に一人じゃなくてもいいんだから。まあ、こればかりは追求してもわからないし、もう一つの方もやっておくか」
「もう一つってなんだよ」
チャールズが眉をひそめると、バートは面白そうに笑う。
「カサンドラの死亡時刻限定とそのときのアリバイ」
「おい!」
怒気を孕んだチャールズの声に、バートは不思議そうな顔をした。
「カサンドラの遺体が消えて、謎が噴出している。できる限り事実を明らかにしておくのは悪いことじゃない。そう思わないか? 魔法使い殿」
我関せずを決め込んでいたキィへ話を振るが、彼はシルクハットの先を少し揺らしただけで、だんまりを続けた。
「犯罪のエキスパートに意見を求めたかったんだが、まあいいじゃないか、もやもやするよりはっきりさせよう。最後に生きているカサンドラを見たのは誰だ?」
あの日は朝食の席でカサンドラに会い、その後屋敷の中を回った。そして、二階でドナルドとカサンドラがキスをしていた。
「私、かな? ドナルドさんとカサンドラが部屋から出てくるのを見て、彼女はそのまま西の塔に行っていたから」
「ああ、そう言えばそうだね。僕らはその後ずっと一緒に行動してる」
ドナルドも同意する。
「十一時くらいだったと思う。それで、アーサーさんに階段の上で会って、降りたところでチャールズさんたちが。そのあとク・ルゥちゃん探しに出た」
そして、カサンドラの遺体を見つけた。
「ふうん。案外ぎりぎりの時間まで彼女の生死が確認されてるのか。そろそろ昼食にと言ってた頃だったな。十一時から、十二時の間、か。その間に、彼女の転落場所に行った者はいないかな?」
誰も反応はない。つまり、ク・ルゥが発見するまでの間あの場所は無人だったわけだ。これ以上、死亡推定時刻を狭めることはできない。
「メグちゃんはその後どう行動したの?」
「えっと、まず私の部屋を見て、その後中庭へ行って探したけど、その間お互いに離れたのは五分もなかった。で、西側へぐるっと回って、ク・ルゥちゃんのところに」
「てことは、メグちゃんとウッズさん、魔法使い殿に犯行は無理と」
「私たちは厨房で昼食の準備をずっとしておりました」
エノーラが言い、イライザもうんうんと頷く。
「ヴィクターも手伝ってくれていたわ。姿が見えないのは常に五分なかったから、西の塔まで昇って降りてくるのは無理よ」
「残りは俺と、アーサー、チャールズにサイモンさんか。あ、ク・ルゥちゃんもかな」
口調が柔らかいので、誰も本気に取れない。だから怒り出す者もいなかった。
「サイモンさんとずっと話し込んでいたけど、メグちゃんに話しかけられた後別れてしまったからな。惜しいね、サイモンさん」
「ですがケンブルさん。我々が共犯であったらそれも無駄です」
「ああ、そうか。これは一本取られたな」
彼が笑い、みんなも釣られて笑った。だが、どこか元気がない。
釈然としない気持ちはさらに強まる。
いくら大きい屋敷だとはいえ、人ひとりを担いで人目に付かずに移動するのはかなり神経を使うだろう。途中見られでもしたら言い訳がきかない。かなりのハイリスクだ。それを押してでも、移動させなければならなかったこととは、いったいどんなことなのだ。
「他に何か昨日の夜とこの部屋が変わってることはないのか? 物の位置が変わっているとか、なくなっているとか」
バートがヴィクターに話しかける。
ヴィクターは周りを見回し、寝室にもう一度かえり見るが、さあと言うばかりだった。
普段部屋を掃除しているイライザとエノーラも特になくなっている物はないと思うと答えた。
メグも朝の状態を必死で思い出そうとする。
だが、最後の方をついてきていたので、部屋へ踏み込んだのは最後だ。叫び声が聞こえて、キィがメグより前に出た。彼が駆けだし、マントが宙に浮く。――いや、マントは彼が走ったからではなく、風が……。
「そうよ、窓が開いていた」
ヴィクターは戸締まりの確認をしにきたのに、鍵をかけ忘れたならともかく、窓が全開になっていて、それに気付かないわけがない。
「そういえば、寝室の窓も開け放たれていたな」
チャールズがそちらの方を見ながら言う。メグは自分のそばの窓から下を覗いた。しかし、さっきと変わらず、何か落ちたような痕跡は見られない。日差しよけは布製だが、人が落下するのに耐えられるようなものだとは思えない。
「つまり、この謎の犯人の行動は、なぜかカサンドラの遺体を運び、なぜか部屋の窓を全開にした」
なぜかなぜかでまったく動機が見えて来ない。
結局また詰まってしまった。
「じゃあ、そろそろいいかな。こうやって角突き合わせていてもカサンドラの遺体が出てくるわけでもないし、彼女の遺体がなけりゃ葬儀もへったくれもないだろ?」
キィは寄りかかっていた壁から身を起こすと、ク・ルゥを抱える。
「僕はこれで失礼する」
彼の言うことは感情が追いつかないだけで至極真っ当だ。
迷いない足取りで部屋を出て行く彼を見送り、みんなもカサンドラの部屋を後にすることにした。ヴィクターたち屋敷の使用人には、やることが色々と溜まっていたし、ドナルドも誰とも口を聞かずに部屋へ引き上げる。
残った三人の編集者と、メグはたらたらと鈍い歩みで談話スペースまでやってきた。
「普通は、隠さないよな。普通は」
メグが自分の部屋に戻るため、階段を下りようとしたところで、思わせぶりな発言をしたのはアーサーだった。
「なんだい? 名探偵アーサーくんのご登場か?」
茶化すバートに彼は不敵な笑みを浮かべる。
「いいか、普通ならあんなことはしない。どう考えても下策だろう。理由があったとしてもだ。だがな、普通じゃないヤツには普通じゃない理由があるのかもしれないだろ? 俺たち人間なんかでは思いも寄らない理由がな」
彼が示すのは明らかだ。人間じゃない、魔法使い。
「何を……」
「ほら、さっきも付き合ってやったと言わんばかりにさっさと引き上げて、遺体が出て来ないから仕方ないって態度だったじゃないか。なんというか、元々探す気もないというか」
「そんな風には見えなかったわ」
彼は率先して自分の部屋を調べろと言い、ヴィクターたちと西の塔に上がって行った。見つける気がないのなら、それにも参加しなければいい。
「そりゃある程度気にしている態度は必要だからさ。率先して自分の部屋を調べろと言ったのは、彼の演技だ。ないことを知ってるから、そう言った方が無実に聞こえる」
「むちゃくちゃよ」
何の根拠も見られない。そう、絶対に。
「でも、彼がカサンドラの遺体を隠した犯人なら、いろいろと可能性が出てくるぞ」
すっかりバートとチャールズは彼の話に聞き入っている。メグ一人が不満を表に出していた。
「例えば、【禁猟区】から遺体を持ち出すと、塵となって消えてしまうということ自体が、嘘」
「えっ?」
「でも俺もそれは知ってたぞ?」
バートが突っ込むと、アーサーは甘いなと笑った。嫌な笑い方だ。
「おまえは見たわけじゃない。だろ?」
「そりゃまあ」
この世に魔法使いの死を見られる人間が早々いるとは思えない。と考えて、その場に居合わせた私たちの運の強さを思い知る。
「どうせ魔法使いが死ぬとってのは、噂の域を出ないんだろ? それか、魔法使いたちが故意にそう広まるように仕向けているとか」
「出たよアーサーの陰謀説」
チャールズが困った顔をして笑う。
「魔法使いの遺体は、二十四時間とか、次に朝日を浴びたときとか、何かすごい変化が起こって、それを人間にはさらしたくないから、魔法使いは隠した。何せやつらは秘密主義の変人の集まりで……」
限界だ。
「いい加減にしてください」
生まれてこの方、年上を怒鳴りつけたことなどあっただろうか。
三人はきょとんとしてメグを見る。
「たとえ話だとしても、言っていいことと悪いことがあります! キィさんとク・ルゥちゃんはカサンドラが友人だって言っていたじゃないですか! 友達が死んで悲しくないはずがないでしょう! それなのに、冷たいだの、嘘をついてるんじゃないかだの。悲しんでるかどうかなんて、本人に聞いてみないとわからないじゃないですか」
言ってから、昨日の自分がまったく同じことをやっていたと思い出す。
なんだかとても悔しくて、ぶんっと音がしそうな勢いで踵を返すと、階段を駆け下りる。そのまま自分の部屋に入ってしまおうと、右へ曲がったところで、ぶつかった。
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