第四章 悪意ある予知 1

 中庭の中央には噴水がある。

 よくある寂れてポンプが止まり、水が濁ったものでなく、とりあえず見た目はきれいな透明の水が噴き出している、きちんとした噴水だ。

 白の石でできていて、大理石ではなさそうだがすべすべしていて気持ちがいい。中央のてっぺんにはラッパを吹いている天使の像があった。とはいえ、そのラッパから水が噴き出しているわけではない。

 アフタヌーンティーでかなりしっかりとケーキやサンドウィッチを食べてしまったので腹が減らず、夕飯はパスした。どちらにしろ、あまり食欲はない。

 無理矢理参加すれば、また手が止まっていると心配をかけることになってしまう。お互いそんなやりとりにはうんざりするだろうから、それなら夕食を断りほんの短い間心配される方がましだった。

 それでも、あのお茶を飲んでいたときと今とでは、少し気持ちが変わってきている。あとほんの一押しで、いつもの自分に戻れる気がした。

 あたりはすっかり日も暮れて、明かりは空にある月と星、そして屋敷の窓から漏れる光のみだった。

 都会では見ることのできない満天の星にうっとりする。宝石箱からこぼれたような黄色や赤、青のきらめきが空を覆っている。人里離れたこんな場所だから、静かなのかと思えばそうでもない。北からボレアスの息が漏れ、吹き寄せ、木々がこすれあいざわざわと騒がしい。噴水からあふれ出る水も、水面だけではあきたらず大気に音を広げる。そして、虫の声。秋になればもっとたくさんの音が聞こえてきそうだ。

 そんな場所だから、そっと忍び寄られると本当に近くに来るまで気づけない。

 だが、彼の声は隠れているつもりなのかもしれないが、声が風に乗って丸聞こえだった。

「やめろよ、ク・ルゥ。よせって!」

 魔法使いだ。

「僕に何を……て、押すな!」

 何をしているのだろう? 噴水から腰を上げようとすると、彼が生け垣の向こうから現れた。白ずくめの姿は、闇夜に浮かぶ。いつもは肩にいるはずのク・ルゥも、今日は自分の足で彼の後ろを歩いている。

 ばっちりと目が合い、彼はよう、だとかおう、だとか、小さな声でぼそっと言って横を向いた。

 すると、足下のク・ルゥが彼の向こう臑を蹴る。

「っ! ク・ルゥ!」

 顔を盛大にしかめ足を抱える彼は、少女をキッと睨み付ける。

 だが彼女はそんな視線をものともせずに、メグの隣に進み出て自分も噴水の縁に座った。

「もう宝探しはやめたのか?」

 シルクハットのつばを動かしながら、キィが横を向いたまま言う。

「あきらめがいいんだな」

「キィ!」

 間髪入れず、ク・ルゥの鋭い叱責が飛ぶ。五月蝿い、と言って彼はシルクハットをク・ルゥにかぶせる。真っ白な髪が、夜の風に吹かれる。

 少女は大きさの合わない帽子を横へ置くと、ふくふくとした手を伸ばし、メグのそれに重ねた。無表情な金色の瞳の奥に、ちろちろと感情の炎が見える。真っ直ぐのぞき込んでくる金の瞳に、メグが目をそらす。

「詩を解くのが、カサンドラのためになるのかな?」

 魔法使いは立ったまま肩をすくめた。

「さあ。死んだやつが何を思っていたかなんてわからない。結局自己満足だろ?」

「自己満足?」

 そうさ、と彼はかくかくと首を前後に揺らす。

「この世の中誰しも自己満足のやりとりで生きている。死んだ者相手だと、その押しつけもいっそう激しくなる」

「なんか嫌な言い方」

 口が尖る。

「いいじゃないか。それで世界は上手く回っている。こうしたら相手のためになる、こうすることを相手が望んでいる。相手はきっと喜ぶだろう。相手が喜べば自分も嬉しい。みんなハッピー。だろ?」

 魔法使いはその場でくるくると回る。マントの裾が風に乗りひらひらと舞う。

「僕はそれが悪いとは言ってない。上手くいくときといかないときはある。上手くいけば互いにハッピー。いかなければ関係がもつれるだけ。互いの自己満足が折り合ってなかっただけ。誰しも自分が嫌だと思う状況にあり続けるのは辛い。けれど、そうやって自分が辛いことにより他の誰かが辛くない。自分は代わりに請け負って、あげている。他の誰かのためになっている。自己満足の欠片が生まれる」

 真っ白な手袋の人差し指を、メグの鼻先に突きつける。

「自己満足の欠片は大切だ。それがなければ人は生きていくことができない。もちろん、魔法使いだって同じ。ちょっと尺度が違うけどな」

 次から次へと繰り出される言葉に翻弄される。

「カサンドラが失われた。突然の事態。しかし、慌てず騒がず屋敷の人間も自己満足の欠片を生み出すことにした」

「自分たちが悲しみに暮れていたら、カサンドラが悲しむ?」

「そうだ。それでいい。心ってのは簡単に崩壊するからね。そうならないために自己防衛の自己満足。人は、それでいいんだよ」

 魔法使いの笑顔と言い方が優しくて、心が落ち着く。

「詩を解けと言うカサンドラの遺志を尊重すること?」

「そう! 彼女の遺志だ。それを遂行すれば、人間的な言い方だと、『天国で彼女が喜ぶ』となる。魔女に天国があるかは知らんが」

 原稿を世に公開することがカサンドラへの餞(はなむけ)だと、バートたちが言った。それは、自分勝手な解釈に過ぎない、自分の都合だけだと、そんな風に思っていた。

 自分たちの都合を優先するような、そんな人たちだと思っていなかったからショックだった。

 けど、キィの言う自分を守るための自己満足の一部だと開き直って言われると、逆にすっきりした。

 みんな、理由を述べはしているが、カサンドラが亡くなって悲しい。その悲しみを埋めるために彼女がきっとこう思うだろうと意味づけをして、悲しみを紛らわそうとしている。

 メグの表情が変わったのをキィも、ク・ルゥも察知する。

「ありがとう。そうね。私も明日からまた詩の解読頑張ってみようと思う」

「君がそう決めたなら反対するいわれはない」

 素直じゃない。

 それでも、彼がメグを慰めようと色々言ってくれたのはわかるので、もう一度お礼を言う。

「ありがとう。ク・ルゥちゃんも、ありがとうね」

 少女はぎゅっと目をつむって、メグの膝の上に倒れ込む。

 相変わらず感情の表現の出し方が謎な子だ。でも、元気づけてくれようと、キィをけしかけたのは他ならぬこの子だ。メグの太ももの上でごろごろはしゃぐので、脇腹をくすぐってやると、嬉しそうに首をすくめた。

 それはそうと、せっかくのチャンスなので彼に聞いておきたいことがあった。

「ねえ、カサンドラはなぜ自分の死を回避しなかったの?」

 お役ご免と背を向けて歩き始めていた彼の背中に投げかける疑問。

「なんだって?」

「言ってたじゃない。彼女の固有魔法が予知だって。予知できるなら、カサンドラはなんで? それとも、予知だけで未来は変えられないの?」

 あらかじめ知るだけで、それは確定されたことなのだろうか? それじゃあ未来は決められているということか? 運命論者ではないけれど、ついそんなことを思ってしまう。

 ヴィクターの言っていた神話のカサンドラの話。書庫に神話の本があったので調べたら、信じてもらえない予言能力を授かった悲劇の女王の名前だった。なんだかとっても、暗示的だ。

「未来は、変えられる」

「じゃあ……」

 彼女は死にたかったのか?

 考えがそのまま顔に出たのだろう。慌ててキィは違うと否定した。

「違う。違うんだ。確かに誰よりも生と死には関心を持っていたやつだが、それは絶対に違う」

 隣のク・ルゥも一緒になって頷いた。

 彼はぐるぐるとその場を歩き回った。難しい顔をしながら、何かを思い切るために歩き回る。

 少女はその姿をじっと見つめ、待った。

 だからメグも、待った。

 何周したかわからなくなったころ、やっともといた位置に戻る。

「知っている人間もいるが、知らない人間の方が多い。だから基本的に他言無用だ」

 彼の迷い方で、話して良いものか悩んでいるのはわかっていた。だが、その基本的というのは謎だ。

「僕だって悩んで結局あんたに話すんだ。だから基本的に。絶対話すなとは僕も言えない」

「彼女の、その――名誉を守るためならいいってこと?」

「相手見て話せよ? しょーもないやつなら『彼女にも色々あったのよ』とかなんとか適当に言って想像させとけ。人によっては、悪い風に解釈されかねない」

 よくわからないが、とりあえず頷いた。彼の話を聞けばそれがわかるのだろうから。

「僕ら魔法使いには、確かに人と違う万能の力がある。空だって飛べるし、何もないところからものを出すことができる。遠いところを一瞬に移動することも可能だ。できないのは、過去や未来に時を行き来することと、死者を生き返らせること」

 ああ、やっぱりだめなんだ、と思う。

 もしできるなら、人間はきっと、大切な人の遺骸を抱え、魔法使いを捜して歩くだろう。

「ただ、得手不得手がある。いや、得意なものがあるって方が当たってるかな」

「あなたなら憑依(ダウンロード)」

「そう。他の魔法使いも死者の身体から情報を断片的に読み取ることができる。けれど、あくまで断片的だ。僕のようにはいかない」

 どんな風に読み取るのだろう。

 とても興味があるが、今はそのときではない。

「カサンドラの場合は予知だった。未来を視ることのできる魔法使いは少ない。だから、彼女は本当に特殊な能力を持っていたといえるだろう」

「そうなんだ。あなたも少しならできる、とかだと思った」

「時の流れが関わるものは、魔法使いにだって制限が付いてくる。未来が視えれば、今度は未来を変えてみたくなる。そうだろう?」

 きっと、そうなんだろう。そして魔法使いは簡単に変えられる力を持つ。

「だから、彼女の未来を視る能力にも制限があった。カサンドラは、自分のその能力を【悪意ある予知】と呼んでいた」

「悪意?」

 キィはそうだよ、と後ろを向いた。

 こちらに背を向け天を仰ぐ。

「あれは悪意としか言いようがない」

 キィはク・ルゥと反対側の、メグの隣に座った。

「カサンドラの予知は、確かに変えられる。でも、変えるとさらに酷い事態になる」

 彼は難しい顔をしていた。瞳の奥が揺れている。

「どんどん悪い方向へ進むんだ。彼女はそれを嫌と言うほど過去に繰り返した。繰り返して繰り返して、ようやくここ数百年で手を出さないことを学んだんだ」

 数百年という単位をさらりと語る彼は、やはり魔法使いなのだ。

 見かけや言動から、自分よりも年下か、同じくらいにしか見えない彼は、かなりの人生の先輩なのだ。つい忘れてしまう。

「たとえば、大昔、大きな事故が起きた。大勢の人間が死に、怪我をする。カサンドラはそれを予知し、事故を未然に防いだ。大勢の人間が助かったと思った」

 けれど、未来を変えればさらなる悪夢を呼ぶ。

「その事故で亡くなるはずだった人間が、その一ヶ月後、さらに大勢の人間を巻き込む事故を起こした。死ぬはずがなかった人間が死んだ」

「それを、予知はできないの?」

「できるさ。そしてまた」

「――さらなる悲劇を呼ぶ?」

 それには、彼は答えなかった。

「人間が関わることだけなの? 自然とか、そういったものは?」

「あったよ。竜巻で被害が出るとわかったカサンドラはその竜巻自体を消した。その一週間後、今度はその一帯を大地震が襲う。未来では、竜巻のせいで復興作業をしており、住んでいた住民のほとんどは親戚の家や、避難所で生活していた。地震の被害に遭うことはなかった」

「地震で大勢の人がなくなったのね」

「そう。竜巻で死ぬ人よりさらに多くの人間が死んだよ」

 悪意の予知。言葉の意味がわかる。キィが、メグに話すことを悩んだのもわかった。

 カサンドラは予知に翻弄され、何度も繰り返した。つまり、多くの被害者を出したのだ。それを知れば、彼女を罵る者もいるだろう。

 けれど、目の前で今死にそうになっている人を助けたら、さらなる悲劇が生まれると知っていても、その手をふりほどくことができる人間はいるのだろうか? 魔法使いと人とは違うと言えども、あのカサンドラならきっと悩み抜いたことだろう。

「よかれと思ってすることが、さらなる悲劇を生むのね。ことごとく裏目に出る。そんな予知、辛いだけだわ」

 ああ、と彼も同意する。

「百年ほど前、カサンドラは子どもを孕んだ。だが、彼女は身体の時間が止まる【禁猟区】に長く留まった。なぜだと思う?」

 話の流れから、答えは一つだ。

 けれど、それはとても、辛い。

 息を詰めキィを見るメグに、彼も少し寂しい笑みを口元に浮かべた。

「子どもを成長させないようにするため。子どもを産めば悪いことが起こるのを知ってしまったそうだ。【禁猟区】に留まれば、その最初の悪夢は避けられる。だが、その先さらに悪いことが起こる。自分の子どもに、だ。悩んで悩んで、そして未来を変えることを選んでしまった。予知に反することが、どれだけ辛いことかを知りながら」

 カサンドラの孫、ジラのことを思い出す。

 イライザは彼女がカサンドラと似ても似つかない陰気な女だと言っていた。もちろん、生来持って生まれた気質かもしれない。だが、この話を聞くと、もしかしたら彼女をそうさせてしまったのも、この悪意の予知が引き起こした何かのせいではないかと、考えてしまう。

「結局何が起こるかについては口を閉ざしたままだったな」

 キィがク・ルゥに同意を求める。だが、少女は足をぶらぶらさせて彼の問いには答えなかった。

 魔法使いが聞いていないのだから、当然と言えば当然だが、いつも一緒にいる彼らだ。屋敷の人たちも彼女を可愛がり、カサンドラも友と言っていた。色々と聞きかじっていただろう。そう言えば、今更だが一番最初にカサンドラを見つけたのも、ク・ルゥだった。こんな小さな子が見かけだけは普段と変わらずにいるのに、一人落ち込んで悲しんでるアピールをして、今思えば恥ずかしい。

 なんとなく、隣のク・ルゥを抱きしめると、彼女も同じようにぎゅっとメグに抱きつく。小さな身体がいとおしい。

「カサンドラから引き出せたのは一言だけ。『これが最悪の事態を引き起こしたのさ』ってヤツだけだったな。いったいどんな最悪だったのか、そこまで話してはもらえなかった」

 打って変わって不機嫌そうな魔法使い。

 よっぽど教えてもらえなかったのが心残りなのだろう。

「まあ、カサンドラの能力が単なる予知でなかったのは、本人も当然のことだろうと言ってたな。僕もそう思う」

「なんで!?」

 驚いて、声が裏返る。

 それはない。なぜ今更そんなことを言うのか。

「言ったろ? 魔法使いは未来や過去にはいけない。死んだ者を生き返らせることはできない」

「うん……でも」

 彼は全部を言わせない。強く左右に頭を振る。

「もし、カサンドラの予知が単なる普通の予知だったら、この二つの大原則に、大いに反する」

「あ……」

 そうだ。未来を見て、未来を変えてしまう。死ぬはずの人を死なせない。

「そりゃもちろん目の前でおまえが崖から落ちそうになってたら、さすがの僕も助けてやるよ。だけど、それとカサンドラの予知で知った死をくつがえすのは根本的に違う。死にそうになっている人間が、偶然魔法使いに出会ったらラッキーだった、未来がそうだったということだ」

 魔法使いはなんでもできる。彼らに悩みなんてあり得ない。そう思っていた。

「世界は上手くできてるよ。バランスを取る能力に長けている。万能なんてことは絶対にない。それなりに制約がつきまとう」

 横顔しか見えない。青い方の瞳が笑っている。彼の言い方が、カサンドラに向けてだけではないことに気付いて、思わず聞く。

「あなたにもあるの?」

 だが、キィはそれに答えなかった。

 黙って立ち上がると、ク・ルゥを抱きかかえ肩に乗せる。

 結構重いのに、よくやるなと思う。

「さ、そろそろ屋敷に戻ろう。風が冷たくなってきた。ク・ルゥが熱を出してしまう」

 確かに、ずいぶんと冷えてきた。水場のそばで、北風が空気をさらに冷やすからだろう。メグは自分の腕を抱く。ひんやりと冷たくて、少し鳥肌が立っていた。思ったより長く話し込んでしまった。

 キィは自分の頬をク・ルゥのふくふくほっぺたにくっつけて、冷たい冷たいと騒ぐ。面倒見が良い、仲の良い兄妹のように見えるが、彼とク・ルゥはどういった関係なのだろうとあらためて不思議に思う。

「あ、そう! みんな当然のように話すからそのままにしてたんだけど、魔法使いも子どもを産めるのね」

 メグが言うと、キィは心底呆れたような顔でこちらを見る。

「当たり前だろ? 身体のつくりは人間と変わらないんだから。それとも、魔法使いは木の股から生まれるとでも思っていたのか?」

 思ってた。

「もともと魔法使いは人の変種みたいなものなんだ。僕にだって母親はいたさ。親はタダの人間だったからもうずっと前に死んだけどな。反対に魔法使いから普通の人間だって生まれる。現に、カサンドラの娘は能力を持っていなかったらしい」

 感心し、聞き入るメグに、キィは眉をひそめる。

「編集って仕事は、知識がなけりゃやっていけないものだと思ってたが、最近は違うのか? おまえ、そんなんで仕事やってけるのかよ」

「だって! 魔法使いなんてレア過ぎて、カサンドラがそうでなければ私はおとぎ話だと思っていたくらいなのよ? 一生出くわさずに生きる人だっているくらいなんだから! まあ、会ってみたら……たいしたことないわよね。私たちと変わらない」

 最後はいやみったらしく笑って言ってやる。

 怒るかと思ったが、彼も不敵な笑いを返しただけだった。

「そうだ。連絡。夕食の席で決まった。明日朝食の後、簡単に葬儀のようなものをやるそうだ」

「わかった」

 きっと、泣かずに別れを告げることができる。

「ありがとう」

 もう一度感謝の言葉を述べる。

 彼は聞こえているのか聞こえていないのか、ク・ルゥを肩に乗せて屋敷へと戻って行った。

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