三章 突然の出来事4

 十五年前、大好きな祖母が亡くなった。泣きじゃくるメグに、その伴侶である祖父はそんなに悲しむことはないと言った。祖母は、みんなに囲まれて逝った。幸せだったと。

 病を患っていた祖母は、その死期を子どもであった自分にもわかるよう映し出していた。会うたびに痩せていく彼女に、いなくなる日を自然と思うようになっていた。

 だから、その日がとうとうやってきたと、どこか納得していた自分がいた。

 けれど魔女は。

 魔法使いに死の影はあまりに似つかない。

 想像もしていなかった事態に、自分だけが取り残されているように感じる。

 きちんとベッドメイクが済んでいるその場所に、自分の形を残す。

 白い清潔なシーツが気持ち良くて、メグは両手両足を思い切り伸ばし、目を閉じる。泣きたいのに泣けない。さっき西の塔で我慢してしまったのを今更ながらに後悔した。泣いてしまえば、きっとすっきりする。このもやもやとした気持ちも晴れるだろうに。涙にはそういった効果があると思う。悲しいこともそれにまつわる辛いことも全部押し流してしまう。

 なぜみんなは泣かないんだろう。泣かなくても、自分の中で処理できるから? いや、イライザは泣いていた。大人だから? 大人になれば、泣かなくても済むのだろうか……。

「ミトラ様?」

 ノックの音とともに、イライザの声がする。

「はい?」

 返事をすると、彼女が失礼しますと入ってきた。先ほどまで赤く濡れていた瞳が、今ではほぼ元通りになっている。

「これから執事さんたちとお茶にするんです。お昼も食べていらっしゃらなかったので、一緒に食堂へいきましょう」

 言いながらメグの腕を取る。

 まるで拒否することを許さないように、どうですかという誘いではない。

 さあさあ、と無理矢理メグを立ち上がらせ、先導する。

 手をつないで廊下を歩く。誰かと手をつないでどこかへ行くなんて、久しぶりだ。

「スコーンと、クッキーと、あとケーキです。エノーラご自慢のレモンケーキ。とっても美味しいですよ」

 廊下の窓は東向きで、この時間は日が差し込んでこない。だが、そとは明るく、屋敷の中は暗くはなかった。けれど、昨日とはまるで違うように思える。主をなくしたこの建物全体が色あせて見える。

 角までくると折れて中庭が見える玄関ホール。そして西の棟。こちら側は日が差し込んで明るい。だが、オレンジ色の光が寂しげな色に思えた。

 食堂に入るとみんながテーブルを囲んでいる。中央にはティースタンドが三つ。スコーンとサンドウィッチが盛られている。さらにクッキーやケーキが大皿にのっていた。クロテッドクリームや色とりどりのジャムが並びとても美味しそうだ。

「いらっしゃいませミトラ様。紅茶の種類は何にしましょう」

 ヴィクターが進み出て彼女の椅子を引いた。夕食時、アーサーたちが座っていた席に、サイモンとエノーラが座っており、イライザも同じように席に着く。キィとク・ルゥはいつもの席に。カサンドラの正面の席がヴィクターのもののようだ。

「みなさんと同じもので」

「ではミルクティーを」

 たっぷりのミルクに濃いめに出した紅茶を注ぐ。その間にエノーラがケーキを皿へ取った。

「これだけは絶対に食べてくださいね」

 隣でイライザがうんうんと頷いている。

「ありがとうございます」

 メグの横ではク・ルゥが皿を三つ抱えて無心でケーキにかぶりついていた。この小さな身体にどれだけの甘味を詰め込むつもりなのだろう。キィは少女を見てうんざりしたような顔をしている。彼の前には空の紅茶のカップだけがあった。

 淹れてもらったミルクティーを一口飲む。普通のストレートティーよりもミルクを入れた方がメグは好きだった。口当たりがまろやかで優しい。

 皆が口々にケーキを褒める。

「やっぱりこのレモンケーキは風味と言い甘さと言い最高だよ」

「私も、エノーラのケーキの中ではこれが一番好きだわ。もちろんチョコレートたっぷりのやつも好きだけど」

 エノーラは賞賛を真っ向から受け、そして当然さと笑顔を見せる。

「褒めても今日はこれだけだよ。まあ、明日新しいのを焼くのはかまわないけどね」

 ク・ルゥも相変わらず一言も話さないし、表情に起伏もない。だが、お代わりの要求が激しく、彼女がたいそう気に入ってるのはよくわかる。

 まるでカサンドラの死などなかったかのように、和気藹々とした雰囲気に戸惑う。

 ケーキを小さく切って食べる。美味しい。とても美味しいが、手が止まる。

「レモンは嫌いだった?」

 それをめざとく見つけたエノーラが心配そうに言う。メグは慌てて首を振った。

「いえ。とっても美味しいです」

 けれど、周囲と自分の温度差に違和感を覚えてしまう。

 彼らは無理に明るく振る舞っているようには見えない。とても自然だ。

「そうかい?」

 エノーラは、じゃあなんでとは問わなかった。問われれば楽なのに。そうはさせてくれない。

 手が止まるメグに、みんなの視線が集まる。

「みなさんは、その……」

 言いよどむメグを、誰もが待つ。

 なんと問えばいいのだろう。どうすれば当たり障りなく、この胸のつかえを解き明かしてもらえるのか。

 ついこの間も同じようなことを悩んでいた気がする。

 そして結局、抽象的にも何もなく、直球で聞く羽目になったのだ。上手くたとえ話で話を聞くことは、自分には向いていない。

「みなさんは、悲しくないんですか?」

 誰もが初めはきょとんと目を丸くして、怒るわけでもなく、少し寂しそうな表情をする。

 そうして、次は宙を見つめ、隣と複雑な顔をするのだ。

 最初に口を開いたのはやはりヴィクターだった。

「悲しいですよ、我々も」

「でも……」

 その先を言いよどむ。

 まったくそんな風には見えない。すごく、そう、穏やかで安定している。

「もちろん、悲しいです。でも、カサンドラ様は望みませんから」

「望まない?」

「ええ。悲しみに暮れ塞ぐ私たちを、望みません」

 なぜそんな風に断言できるのだろう。

 ヴィクターの立派なヒゲをじっとみつめる。すごく、不思議なものを見る目で。

 彼は困ったように首を傾げた。

 すると、イライザがメグに話しかける。

「カサンドラ様は、屋敷が常に明るいようにといつも言っていました」

 さっきの泣きべそとは対照的な満点の笑顔。

「こんな場所だから、暗くなればあっという間に屋敷全体が重く沈んでしまう。だから常に笑顔を」

 確かに彼女の笑顔は周囲を明るくする。

「あんたは調子に乗りすぎるけどね」

 得意になるイライザを、すぐさま横からエノーラが釘を刺す。

「ひどい、エノーラ! カサンドラ様に『イライザはいつも元気でいいわね』って言われてたんですよ」

「そりゃおまえ、騒がしいと暗に言われてたんじゃないか?」

 サイモンも一緒になって笑った。

「そんなことないわ! 失礼しちゃう」

 ひとしきり揉めて、そして、笑う。

「ミトラ様。私たちはカサンドラ様を慕っておりました」

 あたらめて、真剣な面持ちで、ヴィクターがメグに向き合う。

「人里離れた土地でやっていくには、カサンドラ様のことを嫌っていては続きません。いくら主従の雇われの身だといえども、これだけ長い間お仕えできたのはカサンドラ様だったからこそです。このようなことになり、とても残念に思っています。悲しみはあります。ですが、嘆くことではないと思っています。カサンドラ様はこのお屋敷を愛していた。みなが笑顔であるこの屋敷を」

 ヴィクターの言うことは、わからなくはない。たぶん、わかっている。

 けれど、受け入れがたいのも事実だった。

 自分が何を拒んでいるのか、それの正体がつかめないでいる。

 彼らの普段と変わらぬ姿に、拒否感が募る。

 ドナルドの、あの嘆き悲しむ姿が一番まともに見えた。あれが、メグの中では今の正常なありかただった。

「ヴィクター、今後はどうするんだ? カサンドラから何か指示は受けているのか?」

 キィがク・ルゥに新しいケーキとクッキーを取り寄せながら聞く。少女の腹の中には、メグが確認したものだけでもケーキが三つとスコーンが四つ。スコーンはたっぷりとジャムや蜂蜜をかけて食べていた。

 洋服の下に何を潜ませているのだろう。

「カサンドラ様は、すべてあるがままにとおっしゃっておりました」

「あるがまま、か……」

 魔法使いは何か考える風にヴィクターの言葉を繰り返す。

「また彼女らしい意味深な言葉だな」

「抽象的な言い回しが大好きなお方でしたから」

 にこにことヴィクターが応じる。

「遺体をどうしろとは、何も言ってないんだな?」

「ええ。普通なら墓地に埋めるのでしょうが……、魔法使いに作法はないのでしょうか?」

 キィは笑う。

「作法も何も、魔法使いが死ぬのに出くわすことが珍しすぎて。前に会ったのは塵となったし」

「そうですね。腐ると言うなら早急に考えなくてはと思うのですが、あのままお変わりがないと聞けば、あるがままにというカサンドラ様の言葉を思い出してしまって」

「だろうなあ」

「屋敷は、しばらくこのまま維持していこうと思っています。ですから、ご遺体も何かあるまではしばらくそのままに。そのうち立派な墓碑でも建てましょう」

 そうか、と魔法使いは頷いた。

「私もこの年じゃ新しいところで働くのは大変だからねぇ」

 エノーラが言うと、サイモンもそうそうと同調する。

「俺の庭を捨てていくなんてできねえよ。執事さんじゃ俺の芸術的なトピアリーを管理までできねえしな」

「そうですね」

 にこにこと、彼の言葉に頷く。

「老人ばっかりじゃ心配だからね。しばらくはみんなに付き合ってあげるつもりよ」

 イライザが言うと、年寄り二人はそろって肩をすくめた。

「ここなら書庫があればぜーんぜん退屈しないし!」

「そっちが目的じゃねえのか?」

「目を離すとすぐに消える悪い癖だよ」

 耳の痛い突っ込みを、彼女はつんとそっぽを向いてやり過ごす。

「それじゃあ、たまに俺たちも寄ろう」

「ク・ルゥちゃんが来るなら腕に寄りをかけて甘いものをたくさん作らないといけないねえ」

 エノーラが嬉しそうに言う。それ以上にク・ルゥはフォークをがんがんとテーブルに叩きつけて悦びを表した。行儀が悪いと、キィが横からフォークを取り上げる。

「ただ、期待はしないでくれ。俺たちの時間の尺度はあんたたちとは違う」

「承知しております」

 ヴィクターが静かに頭を下げた。

 そして、午後のお茶会は終わりを告げる。

 誰よりも一番食べていたク・ルゥが、目をとろんとさせて動きが鈍くなる。

 メグも紅茶のお代わりをもらって、すっかりおなかがふくれた。昼ご飯を食べなかった分も取り戻した感がある。

 ただ、ここに招待してくれた皆が望んだような結果は、得られなかった。心は晴れるどころかさらに暗雲が立ちこめてしまったように思える。

 窓の外を見ると、バートの姿がちらりと見えた。

 自分の眉間がきゅっとしまるのを感じる。

「ミトラ様は、ケンブル様たちが冷たいと思いますか?」

 突然の執事の言葉に、メグははっと目を見開く。

 イライザとエノーラはテーブルの上を片付けており、サイモンはそうそうに部屋を出て行った。キィはク・ルゥの世話で精一杯の様子で、こちらまで気にしていない。彼の言葉はメグにしか届いていない。

「聞いてみてはいかがですか? 彼らが何を思って動いているのかを」

「え……?」

 でも。

「そんなことを聞くのは失礼ですか?」

 考えを見透かされる。

「それはミトラ様がどこかで彼らの真意を理解しているからではないでしょうか」

「私が、理解?」

 ええ、とヴィクターは肯定する。

「悲しんでいる姿をしていても、本当に悲しんでいるかは本人にしかわからない。同じように、悲しんでいないようでも本当に悲しんでいないかは、周りの人間にはわかりません」

 真剣な彼の顔が離れて行く。

「さあ、ミトラ様」

 促されて、立ち上がった。キィがちらりとこちらを窺う。

「お茶、美味しかったです。ありがとうございます」

 辛うじてそれだけ言うと、メグは頭を下げて食堂を出た。

 廊下へ降り注ぐ西日がさらに厳しいものとなっている。あかね色に染まった通路を、メグは頭を垂れたまま歩いた。

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