三章 突然の出来事3
男たちの手によって、カサンドラは彼女の部屋のベッドへ寝かされた。
屋敷の主の部屋は入ってすぐの場所にソファーとテーブル、奥がベッドルームで、そのさらに奥がバスとトイレだ。
大きなベッドに横たわるカサンドラの目は、今は閉じられていた。
それでも、あの驚きにあふれた緑色の瞳は忘れられない。
「肩の骨折と頸椎が折れている。あと後頭部と額にも損傷が見られる。直接の死因は頸椎骨折による呼吸機能障害、だろうな」
キィの冷静な言葉に誰も反応しない。
イライザはエノーラの肩にしがみつき震えながら、涙で濡れた茶色の瞳をカサンドラへと向けていた。
ドナルドは先ほどから彼女の足下で、ベッドへ顔を沈め声を上げて泣いている。
「カサンドラが死ぬなんて」
アーサーの掠れた声に魔法使いは肩をすくめた。
「【禁猟区】に住むリスクだ。彼女だって承知していただろう」
無神経な言葉に、誰もがキィを睨む。
だが、人としての感情を持っていない彼に対してはどこ吹く風だ。まったく気にした様子がない。部屋をぐるりと見渡し、天井を見上げる。
そして歩き出した。
「どこに行くの?」
答えは返ってこない。その後ろをク・ルゥがちょこちょことついて行くので、メグも思わず後を追った。
メグが動き出すと、結局全員がぞろぞろと続く。
彼はカサンドラの部屋を出て、廊下のつきあたりにある扉を開く。そこは西の塔に続く階段となっている。
予想外に急な階段を登り、魔法使いは塔の部屋のドアを押した。鍵はかかっていなかった。
大きなテーブルと本棚。トロフィーがいくつか。それだけの部屋。メグが泊まっている部屋より小さく、ク・ルゥも含めて十一人が入ると狭い。あまり身動きは取れなかった。
窓は二つあったが、そのうちの西向きの出窓へキィは近づく。開け放たれた窓は、メグの脇腹ぐらいの高さからあり、そして大きい。
「ここから落ちたんだな」
えっ、と声が上がる。
「カサンドラ様は窓辺に腰をかけてよく外を眺めていらっしゃいました。外側の縁が腐ってきていて、修理をせねばと申し上げていたところです。しばらくはあまり身を乗り出したりしないようにとお願いしていたのですが」
ヴィクターは、残念ですと最後に付け加えた。
「事故か。なんてことだ、カサンドラ」
チャールズが顔を覆う。その肩をバートが叩いた。
「三階なら死なないことも多いのに。当たり所が悪かったな。身を乗り出してなら、頭から落ちたのだろうし、運がなかった」
初めて直にカサンドラに出会い、その日のうちに彼女は小説家をやめると宣言。そして今日、彼女はこの世を去った。
カサンドラに運がなかったのだろうか?
それとも、メグに運がないのだろうか。
ついさっきまで、ドナルドと幸せそうにしていた彼女が、動かぬ人形となってしまった。あんなに生にあふれ、生き生きとしていたのに。
「そうだ、あれはどうなった?」
突然バートが声を上げる。狭い部屋で、皆の視線が彼に集まる。
「ほら、彼女の最後の作品。いや、遺作となってしまうのか」
「カサンドラ様の作品は、書きかけも完成品も、出版社に渡す前は全てその本棚の下に収められています」
ヴィクターの言葉に、バートは失礼と言って棚へ駆け寄る。一番下の開き戸を開けるが、中は空だった。
「ヴィクター、ないよ?」
「手直しをしていたとすれば、そちらの机か……」
引き出しを開けるのに少しだけためらっていたバートだが、作品の有無が気になって結局中を覗く。だが、見つからない。
「おかしいな」
上から下まで、全ての引き出しを確認する。
アーサーは本棚を調べた。
棚や引き出しはきれいに整理されていて、引き出しにおいてはほとんど空っぽだった。何も入っていない引き出しもある。
「二階の部屋に置いてあるのかな?」
「見てみよう」
二人が部屋を出て行く。サイモンがすぐその後を追った。
メグは、カサンドラが落ちたと思われる窓から下を覗く。
まばらな芝生の間を縫って、少しだけ赤黒いシミが地面についているように見えた。この距離だ。彼女の出血は少なく、気のせいかもしれない。
だが、もうあの場所には近づきたくない。
頭を振ると、少しめまいがした。
この三日間、あまりにいろんなことがありすぎた。
とっさに壁に手をつく。
左腕をとられた。
「気をつけろ。おまえまで落ちる」
魔法使いが、見かけに似合わぬ強い力で彼女を引き戻す。
「生き返らせることってできないのよね」
聞いてはいけないと思いながらも、口をつく。
「それはできないし、やろうとも思わない。死は与えられるものだ。それをくつがえす気はない」
「ごめん……」
やれるのなら、やってもらいたいというわけではない。
それは、ダメだ。
絶対にダメだ。
「せめて重症なら、【禁猟区】から出てしまえばよかった。すぐに治療し、彼女は元通りになった。だけど、死んだらできない」
「うん。ごめん。私が間違ってる」
生死をもてあそぶことは、魔法使いでさえやってはならないこと。わかりきっていること。
ク・ルゥがメグの足につかまる。
首を左右に振っている。
メグもしゃがんで、彼女の目線に合わせて抱きしめた。
自分より高い体温が心地よい。生きていると感じることができる。
「残念だわ」
本当に残念で、哀しい。
こぼれそうになる涙をぐっと堪えてク・ルゥを抱いたまま立ち上がった。
初日も思ったが、結構重い。
魔法使いが肩に乗せているのがすごい。
気付けば部屋には三人とヴィクターだけだった。みんな降りてしまったようだ。
いつまでもここにいるわけにいかず、外へ出る。
ヴィクターが、今度はしっかりと鍵をかけた。
「危ないですからね」
「そうですね」
急な階段を気をつけて一歩ずつ降りる。
抱きかかえているク・ルゥがハンディだなと思ったところを、キィが後ろから彼女を受け取った。
ありがとうと言いかけた。
「君だけ落ちるのはかまわないが、ク・ルゥまで巻き込まれるのはたまらない」
ありがとうを言わないでよかった。
なぜこんな生意気な口を聞くのだろう。わざと怒らせているとしか思えない。
メグは頬をふくらませて足音高く下へ行く。
魔女の部屋はちょっとした騒ぎになっていた。
アーサーたちは当然だが、イライザやエノーラも戸棚の中を探している。
「何をしているんですか?」
少し厳しさを含んだヴィクターの言葉に、メイド二人は手を止め顔を見合わせた。
慌ててバートが割って入る。
「いや、これは無理矢理僕らが頼んだことです。さすがに女性の持ち物を引っかき回すのはまずいだろうってね。……原稿が見つからないんです」
上にはない。あそこは探すと言ってもほとんどその必要がないくらい隠せる場所がない。
第一、カサンドラは隠す気なんてなかっただろう。
ヴィクターも怪訝な顔をする。
「彼女たちに一通り探してもらったが、やっぱり見つからない」
「困ったなあ」
チャールズも部屋をぐるりと見渡しながらそう言う。
と、アーサーが手を打った。
「そうだ、白の魔法使い殿に憑依(ダウンロード)をしてもらえばいいんだよ!」
「だうんろーど?」
首を傾げるメグとドナルド。ドナルドはまた魔女のそばに跪いていた。顔だけアーサーへ向けている。濡れた瞳が、不安にあふれていた。
「まさか、知らないのか?」
馬鹿にした彼の台詞にむっとするが、すかさずチャールズが説明をする。相変わらず気が利く人だ。
「魔法使いには、我々のできないさまざまなことをする力があるんだけれど、その中でも特化した特別な能力を持つ魔法使いもいるんだ。固有魔法と呼ばれているけれど、ここにいる白の魔法使い殿は、憑依(ダウンロード)と呼ばれる他の魔法使いには真似のできない能力がある。それは死者と語る能力なんだ。その力で、今まで数々の殺人事件を解決してこられたんだよ」
へえ、と当の本人を見るが、彼はなんとも渋い顔をしたままだ。
その能力があれば、死者に原稿のありかを聞くことができるというわけだ。
だが、ドナルドは首を振る。
「だめだ、そんなことさせない!」
キィからの断りはあるかも知れないと思っていたが、予想外な人物からの否定にアーサーは驚きを隠せない。
「なぜだ? 君も最後の別れができる」
だが、ドナルドは首を振る。そして、さらに何か言おうとしたアーサーを、バートの一言がとどめた。
「だめだよ。無理だ」
「何?」
バートはカサンドラをちらりと見てから無理だと繰り返す。
「魔法使いが死んだら、どうなるか知らないのか?」
どうなるもこうなるも、今目の前にある。
人と同じ。動かなくなるだけだ。
「違う。彼女はたまたま【禁猟区】で死んだ。魔法使いにも一応寿命はあるらしいから、もし、【禁猟区】でない場所で死んだらどうなるか」
バートはキィを見る。白の魔法使いは頷く。
「魔法使いも老衰で死ぬらしいというのは、聞いたことがあるよ」
まるで他人事のように魔法使いが言った。
「で、ここは【禁猟区】だ。【禁猟区】では魔法使いの成長は止まる。魔法の能力もなくなる。死んでも、死んだ瞬間をとらえたまま身体は腐ったりしない。ただし、【禁猟区】から連れ出せば、その身体は塵となって宙に消える、らしい」
「遺体が腐らない!?」
食いつくドナルドの勢いに、バートは気圧されたように何度も顎を揺らす。
「そうだよ。白の魔法使いの力は今回は無理だ。ここは【禁猟区】。【禁猟区】で魔法は使えない。だが、【禁猟区】から出れば肝心の遺体が消えてしまう」
そうかと、アーサーは悔しそうに拳をぐっとにぎりしめた。
悔しいのか、と思う。
何が悔しいのだろう。
カサンドラと話せないことが? それとも、カサンドラの最後の原稿がどこにあるのかわからないのが?
身勝手で、その考え方にぞっとする。
「残念だ。カサンドラにいろいろ聞けると思ったのに」
うつむくバートに怒りを覚える。
イライラする。
カサンドラの死を嘆くよりも先に、原稿の行方を心配するなんて。どうかしている。
何かひとこと言ってやろうと口を開くが、先にチャールズが声を上げる。
「まさか、彼女はこのことを予知していたんじゃないか?」
「何を……いや、そうかもしれない」
「ああ。彼女ならあり得る」
アーサーに、バートまで三人でうんうんと頷く。
「そうであれば、すべてのつじつまが合うと思わないか? 部屋に原稿がないのも、西の塔がやけに片付けられていたのも」
いったい何の話をしているのかと、周りを見れば、みんながなにやら納得がいったような表情をしていて、一人取り残されたメグは何が起こっているのかまったくわからない。
「確かに彼女の予知は他の魔法使いとまた違って特別なものだったからな。僕でも彼女ほど確実な未来を視ることはできない。僕の憑依と同じように、彼女の予知もカサンドラ固有魔法だ」
現役の魔法使いに支持されて、チャールズはさらに勢いづく。
「考えてもみろよ。常に連載を抱えていた彼女が、この五年ですべての連載を終わらせた」
「ああ。うちは三年前にシリーズが終わってしまって、普段ならこちらから言わずとも、目処が立ち始めたころか、遅くとも半年以内に次の提案を持ってきてくれるはずなのにずっと何もなかった。バートのところもそうだったよな?」
アーサーが所属する、コーネル・ライブラリーから一年に三度出ていた素人探偵の人気シリーズ。メグも楽しみにしていたものが、三年前に大団円を迎えていた。ファンの間では孫が次の主役だとささやかれていたからこそ、音沙汰なしで残念に思っていた。
「うちは二年前に終わった。それだけじゃない。常に十以上の出版社から定期的に出していたシリーズが軒並み終了だ。変だ変だとは言っていたんだ」
それが、自分の死を予知してのことなら、わからなくはない。
むしろ、理解できる。
「彼女は、作家の鏡だ」
人間の作家にはできない。いや、作家だけじゃない。音楽家でも、普通の人間は誰しも己の死期はわからない。だからこそ絶筆という言葉も生まれるのだ。
「死期を知った彼女は、最後の作品としてこの間の原稿を作り、渡せるときまで自分の命がないと知っていた」
バートが歩き回りながら話し続ける。
「知っていたから、あの詩に託した」
「ということは、詩の場所を当てればそこに原稿があるということか?」
アーサーが言うとそうだと三人は盛り上がる。
「そうだ、絶対にそうだ」
「彼女の遺志がそうならば、このバート・ケンブルは従うまでだ。よし、詩を必ず解読してやる」
燃え上がる彼らを後に残し、メグは部屋を出た。
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