三章 突然の出来事1
翌朝、朝食を終えてメグは庭をうろうろしていた。ときおり人を見かけるが、彼らも必死に謎を解こうとしている。カンニングするのはプライドが許さない。けれど相手の動向も気になるという微妙な気持ちが働いて、お互い一定の距離を縮めることはなかった。
白いTシャツにベージュ系のチェックのパンツ。庭を歩いていて、それは正解だったなと思う。そして、キャスケット。そばかすがこれ以上広がらないために、とても重要なアイテムだ。肩掛け鞄に本と手帳を忍ばせて、歩き回る。と、中庭の迷路にさしかかったところで、緑の垣根の向こうに赤い頭を見つけた。背伸びをする。
垣根はメグの身長ほどで、辛うじてカサンドラだとわかった。彼女は垣根の迷路を抜け、東の方へ移動している。そのまま行くと堀へぶつかり、ちょうど橋があるあたりだ。
屋敷の周りをぐるりと囲む堀には、東西南北四つの橋がかかっていた。どちらかと言うと、その先は、魔女の敷地とは言えども手を加えておらず、だんだんと森になっていく。
何をするのか見ていると、振り返ったカサンドラと目が合う。頭を下げたら垣根よりも低くなり、また慌ててつま先立ちになる。
彼女は濃い緑のドレスの裾をはためかせ、メグに手を振り去っていった。こちらも手を振り返すべきかどうか悩んでいるうちに、彼女の背中はどんどん小さくなっていく。完全に出遅れてしまって、少しだけへこんだ。
「どうした、お嬢さん」
後ろでがさがさと音がして、庭師のサイモンが現れる。外で作業をすることが多い彼は、よく日に焼けて麦わらの帽子を被っていた。顔をぐるりと覆うヒゲが最初は少し怖かったが、笑うと人なつっこい顔になる。茶色の髪の毛も日に焼かれて色素がだいぶ抜けていた。ほとんど金に見える。瞳が黒いから、元々は髪の毛も濃かったのではないかと思われた。
「カサンドラがあっちに」
「ああ。週に何度か散歩しなさる。東の方が最近は特にお気に入りで、二時間ぐらいで帰って来るよ」
ふらっと一人で出かけ、ふらっと帰って来る。その時間は邪魔をされるのが嫌なようで、誰も近づかないようにしているそうだ。
「お嬢さんも行かない方がいい。あっちには毒の棘がある藪がある。よく知らんもんがいくと危ない。俺も滅多にあそこまではいかない。第一、屋敷の中だけで手一杯だ。ついてく暇もない」
生け垣をなでると、一つの葉を取り、表裏と、じっくりみつめる。
仕事を邪魔してはいけないと、その場を離れようとしたところへ彼が言った。
「それで、お嬢さんは目星はついたのか?」
「いいえ。なかなか上手くいきません」
首を振ると、彼も首を振った。
「カサンドラ様の気まぐれにゃ、大概慣れてるが、今回のはまた特別だなあ。あんたらも大変だ。おかげで昨日からあいつらが庭を行ったり来たりで作業が進まん」
「……すみません」
「あんたに言ってるわけじゃないが……まあ、そうなっちまうよな。ほら、山査子はもう少し奥へ行って東にある。本物の山査子だがな」
メモを見ると、確かに山査子の一文があった。
「あのトゲは確かに痛いから、見るなら気ぃつけてな」
「ありがとうございます。……茨は、薔薇とかはありますか? 冬に関係したようなもので」
そうだなとサイモンはあごヒゲをなでながら宙を見る。
「茨があるようなものは、だいたい冬には茨だけになっているからなあ。冬に関係がある、か……そう言えば、西の方にモダン・ローズだけを集めた場所があるんだが、モダン・ローズはほとんどが四季咲きで、春と秋に咲く。その秋に咲いた薔薇が、ときには遅れて冬に咲くことがある。そういった薔薇を冬薔薇と呼んだりもするよ」
植物にはあまり詳しくない。薔薇の季節と言えば春だと思っていた。少し汗ばむくらいの、でも夏ほどの日差しがないそんな季節。そう、ちょうど今の時期。
「ありがとうございます!」
お礼を言って、まず山査子を見に行く。小さな白い花が可愛らしい。これが有名な吸血鬼ドラキュラの胸を刺す杭になるのだ。
「きっとこのトゲトゲが痛いから効くのね」
勝手に想像してそう結論を出すと、辺りを見回す。山査子からさらに東へ行けば、橋がある。先ほどカサンドラが使ったと思われる橋だ。
次に進められた通り西へ向かう途中に、トピアリーがあった。
なんの木かはわからないが、たぶんライオン。だがそれに羽が生えている。グリフォンとは違うようだ。鷲ではなく、顔もライオンのたてがみを模している。
そう言えば詩の中に羽の生えた獅子とあったはずだ。これのことを指しているのだろうか? だが、詩ができたのはずっと昔。このトピアリーがずっと羽の生えた獅子をモチーフとして作られてきたかは定かではない。
さらに問題は、羽の生えた獅子が『ヴァルヴァナス・サーガ』に出てこないことだ。
『羽のある獅子が背に』ということは、騎乗するのか。確か、騎士の愛馬の名前がアリエルだった。あれは、どこかの言葉で『神のライオン』という意味を持っていたと、書かれていたはずだ。本で調べなくては。
その点は後で確認することにして、メグはさらに西へと向かう。
薔薇の話をするときのサイモンはとても嬉しそうだった。きっと自慢の薔薇園なのだろうと思っていたが、期待を裏切らない光景に思わずため息を漏らしてしまう。すてきだ。この時期に訪れたことを、心底幸せに思う。
ピンクに黄色。深紅の薔薇がひときわ美しい。
『冬の茨が多かろう』。多かろうに少し躓きを覚えるが、他に茨は山査子ぐらいしかなかった。山査子はすでに文中にあるし、別の茨だと考えて、思いついたのが薔薇だ。だが、冬がよくわからないし、冬薔薇は聞いた限りじゃ数は多そうにない。
他の物を探せるのなら探してみなければと思う。もう三日目だ。アーサーたちはどのくらい手がかりを掴んだのだろうか。夕食の席ではカサンドラから進歩状況を聞かれたが、みんな曖昧な笑みを湛えて首を振るばかりだった。あれでは成果が出ているのかどうかはっきりとはわからない。
薔薇園から真っ直ぐ西に行くと、壁にぶつかった。そのまま壁づたいに北へ。そして、ぐるりと回って今度は南へ。昨日イライザに会ったときと同じルートだ。西の橋が見えた。幅は三メートルほど。長さは六メートルくらい。つまり、堀の幅が六メートルくらいある。
詳しく見ようと、橋に近づく。石でできたアーチ橋は、百年前からそのままだと、そんな話を聞いた。魔女の屋敷は、【禁猟区】でありながら魔法が掛かっている。そんな気がする。
渡って、帰って来たところへ年配のメイド、エノーラが両手にゴミを持って出てきた。目が合うとにっこり笑う。無視するわけにもいかず、メグは近づいた。
「ゼピュロスがどうかしましたか?」
聞き慣れない名称に戸惑っていると、彼女は何度も頷いた。
「そう言えばここは初めてでしたね。ゼピュロスっていうのは西風の名前です。東西南北の橋を風の神様の名前で呼んでいるんですよ。何にでも名前を付けたがるのは、ヴィクターの趣味ですね」
「執事さんの?」
ええそうですと、エノーラはまたも頷く。
「この屋敷は、周りとの構造のせいか、一番風を感じるのが橋の上なんですよ。北には中庭があって、冷たい風を遮ってくれる。その跳ね返りもあって、ボレアスの息が一番厳しいのは北の橋」
ゴミ袋を置いて真っ直ぐ北を指す。
「南はノトス。東がエウロスで、そこの西の橋がゼピュロスですね」
エノーラの説明を聞いているうちに、詩に風伝いという一節があるのを思い出す。
たしか、『夜の息は風伝い』だ。エノーラは風を息とも表現していた。
「屋敷の細々とした名称は、それこそヴィクターに聞いてください。まあ、大変だろうけど、カサンドラ様の気まぐれに付き合ってやってくださいな。あんなに生き生きとしたカサンドラ様は初めてですよ」
「もっと、違っていたんですか?」
「ええ。私はここに勤めてもう四十年になりますがね、今までのなかで一番。ここまでウキウキしてらっしゃる姿は見たことがありませんから。なんだかうちの孫に恋人ができたときみたいでねえ。こっちまで弾んできます。さ、それじゃあ失礼しますね」
自分から話しかけてきたくせに、ああ忙しいと言って屋敷の中へ戻っていく。そんなエノーラの背中を見送ると、またメグは歩き出した。
まばらに生えた芝生を足先でなでながら、先へ進む。何か手がかりを、何かヒントを。ヴィクターと話をするのは、悪くない提案だ。
朝からずっと歩き回って、肌にうっすらと汗をかいている。そろそろ水分補給が必要かもしれない。ちょうどいい。ヴィクターに頼んで、手が空いているようだったら話に付き合ってもらおう。
正面玄関から屋敷へ入ると、運の良いことに彼に遭遇する。
「お暑いですね。何かお飲み物などいかがですか?」
さすができた執事だ。頼む前に勧められるとは。
「お願いします」
笑顔で答えると、彼の頬のしわも少し緩む。
「冷たいアイスミントティーか、珈琲か。何がよろしいでしょうか?」
「アイスミントティーを」
「承知いたしました。お部屋にお持ちしましょう」
それではイライザが持って来ることになってしまう。
「いいえ。少し飲むだけでいいんです。またすぐ歩き回ると思いますし」
「詩の解読ですね。それでは、食堂で」
「はい。あと、実はお聞きしたいことがあるんです」
ヴィクターはわかりましたと言って彼女を食堂へ先導し、自分は厨房へと入って行く。
メグが食堂の定位置に座りおとなしく待っていると、すぐに彼はお盆に二つのグラスを乗せて現れた。
「私も休憩をと思っていたところです」
ミントのすがすがしい香りと、後に残る紅茶の味わい。予想以上に自分の喉が渇いていたのだとわかった。一度に半分以上飲み干す。そんな彼女をヴィクターはにこにこ笑って見ていた。
仕事の合間に付き合ってくれているのだろうと、さっそく切り出す。
「さっきエノーラさんに橋を風の神様の名前で呼んでいると聞きました」
「ああ。私は神話が好きなもので。勝手に付けて呼んでいたのをみんなも呼び出しただけですよ。深い意味はありません」
「ええ。それで、他に何かそんな風に名前を付けている物はないかなと思って」
カサンドラが座っていた場所とちょうど真向かいの席に座るヴィクターは、正面の壁にある詩へ目を向けた。
「そうですね……、あとは詩に符号しそうなものは特にないと思います。ただ……、」
「ただ?」
メグが身を乗り出すと執事は苦笑する。慌てて居住まいを正すが、もう遅い。
「『夜の息は風伝い』の部分がありますよね」
さっきメグが気になったところだ。
「ここは、季節に関わらず夜になると北から風が吹いてきます。ボレアスですね。もしかしたらですが、夜の息というのがボレアスからの風なら、風伝いは、橋づたいにということかもしれませんね」
――凍れる騎士をいざなわむ
北から現れる凍れる騎士。北の方で騎士にまつわる何かを探してみよう。
「もちろん、これが正解かどうかはわかりませんので、その点はミトラ様がご判断ください」
「はい」
「神話といえば、カサンドラ様のお名前もとても暗示的ですよね」
きょとんとするメグに、ヴィクターはご存じないのですかと首を傾げる。目をそらし、少し悩んでいるようだ。
「……忘れてください」
彼のような人は教えてくれとせがんでも、一度決めたら教えてくれることはないだろう。気になるなら、後で調べればいい。ヒントは出ている。
「ありがとうございました」
立ち上がってお礼を言う。お役に立てて光栄ですと、ヴィクターは頭を下げた。部屋を出ようとしてもう一つ思い出す。
「そうだ。この詩はいつ頃作られたものなのですか?」
彼は少しだけ考えると、頷く。
「確か、二十年ほど前だと思います。私の娘に孫が生まれたのがそれくらいでしたから」
ヴィクターに頭を下げて、メグは玄関ホールから中庭へ出た。
まずボアレス、北の橋へ向かう。中庭のほぼ中央にある生け垣の迷路を避けて、西周りでたどり着いた。
――夜の息は風伝い
これは、ボアレスの風が、橋伝いに吹くということ。それに誘われて騎士がやってくる。
つまり、騎士は北にいるのだ。
メグは駆けだそうとして足を止める。橋の向こうから魔法使いが歩いてきていた。白いマントが風に翻り、詩の一文を彷彿とさせる。
――氷の裳裾をなびかせて
彼は一人だった。
「散歩? ク・ルゥちゃんは?」
「さあ。目を離すとすぐどこかへ消える。定期的に帰って来るから気にはしていないが」
嘘っぽい。言いながらも辺りを見回している。
二階から一階へ飛び降りてしまう行動的過ぎる一面を持つ少女だ。彼が心配するのも無理はない。
「あんたは詩の解読か」
「うん。そう。北の橋を渡って騎士がやってくると読み解いたんだけど……、何か向こうに騎士を表すものってあった?」
「いや、特には。ヒースがあったくらいだ。まだ時期じゃないから少しだったが、あそこらへん一帯は全部ヒースじゃないかな?」
その返事に、メグはまさに飛び上がって喜んだ。
「すごい。すごいわ。ヴァルヴァナスの家紋はヒースなのよ!」
やはり騎士が北にいた。ヒースの花言葉は情熱的な愛、自己犠牲など作中の彼ともリンクしているように思える。
――騎士は降り立つ ふたりの女王の間に
ふたりの女王がどれに当たるのだろう。
「ねえねえ、ふたりの女王って言うと、何を思い出す?」
「さあ、なんの女王かにもよるだろ?」
次々話しかけるメグに、その場を立ち去るタイミングを逃した魔法使いは周りをぐるりと見渡す。
「物語を参考にするならば、昼と夜、太陽と月など対になるものなのよね」
前半からずっとこの女王にやられている気がする。ぶつぶつとつぶやくメグをよそに、キィは南へ歩き出した。引き留める理由もないのでそのまま見送ったが、彼はすぐ足を止めた。
「女王、これは?」
彼が指すのは道の脇に生えている薔薇。両側にちょうど二種類。
「花の女王だろ?」
確かに。そう言われればまったくもってその通りだ。
「あ、赤い薔薇と白い薔薇……」
対立するふたりの女王。彼女たちを表す言葉に、白と赤があった。それは彼女たちの生家の家紋が白薔薇と赤薔薇だったからだ。
「そのままじゃない」
やっぱり選んだ本は間違っていなかった。
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