二章 魔女の課題2
上を見上げれば、魔女の執筆部屋、西の塔が見える。
素通りするのも悪くて、声を掛けた。
「大変ですね」
足音でわかっていたのか、彼女は突然話しかけたわりには驚くこともなく、ゆっくりと顔を上げた。
「今の時期、放っておくとすぐ伸びてしまうので。ミトラ様は詩の解読ですか?」
軍手の甲で額の汗を拭いながら笑う。紺色のワンピースに白いエプロンで、メイドの中のメイドスタイルだ。金髪をしっかり結い上げて鼻の頭にメグと同じそばかすが見える。
「そうなんです」
肩を落として言うと、イライザは再び笑った。
「そちらも大変ですね。進みませんか?」
ずっと見下ろす形が何となく嫌で、メグもしゃがむ。
「実は、昼と夜のシンボルが見つからなくて」
「ああ、最初の一文ですね」
イライザはうんうんと頷く。
「屋敷の中にはいくつか符合しそうなものはありますけど、あの堕ちるを望むのがうまく当てはまらなそうですよね」
「そうなんです」
さすがは屋敷に勤めているだけある。詩をそらんじているのだろう。
「そういえば、あの詩はいつ頃作られたものなんですか?」
せっかくだから色々情報を聞きだそうと、本をそばの石の上に置くと、メグも草むしりを始めた。
「私が勤めだしたのが五年前なんですが、そのときにはもうありましたからね。普段から掃除をしてますが、あの額縁の後ろ側の壁紙が、微妙に色が変わっているのでかなり前のものだと思いますよ」
「今回のために作った詩じゃないのね……」
「ええ。朝、エノーラとも話していたんですが、ああ、もう一人のメイドです。彼女も、まさかあの詩が特定の場所を示していたなんて思いも寄らなかったって言ってました」
ということは、さすがのカサンドラもこれを狙って何十年も前から詩を作ったわけではないということか。
騎士のトピアリーが凍れる騎士を表しているかも、少し怪しくなってきた。それよりも、銅像や屋敷の装飾といった、普遍で変わりない物と思った方がいいのだろうか?
「他の部分は見当は付いているんですか?」
「一応、あの詩に合う小説があるなと思ってはいるんだけど……」
「もしかして、ヴァルヴァナス・サーガですか?」
驚いてイライザを見ると、彼女は軍手の指で石の上の本をさす。
「実は私も小説家カサンドラのファンなんです。石の上の本に見覚えがあったし、ヴァルヴァナス・サーガも大好きなんですよ」
「私も! あのお話大好きで」
どちらかというと、カサンドラ作品の中でもマイナーな物になる。ハイ・ファンタジーだ。今まで彼女のファンだと言っても、このヴァルヴァナス・サーガを挙げる人はいなかった。嬉しくて、声が弾む。
「氷の騎士が女王を抱いたまま滝壺に落ちるシーン! あそこがとっても好きなんですよ」
「わかります、わかります! あのシーンのヴァルヴァナスは本当にかっこいいですよね。それを信じる女王もステキ。私は最後、新しい女王に引き留められるけど、氷の騎士が前の女王とともに去って行くとき思わず泣いちゃいました」
キャーと、二人でひとしきり盛り上がる。イライザの茶色の瞳がきらきらと輝いている。
いつの間にか草むしりの手は止まり、本を置いた石に二人で腰掛けていた。
「前に勤めていた屋敷の主人が、カサンドラ様と懇意にされていて、カサンドラ様から誰かメイドはいないかと言われたらしいんです。魔法使いですから仕方ないんですけど、色々偏見があって、なかなか新しいメイド募集が難しいらしくて。そこで白羽の矢が立ったのが私なんです」
イライザは誇らしげに胸を反らす。
「私、今までに出版されている作品をほとんど読んでいて、自他共に認めるカサンドラの大ファンです。前の主人に、嫌なら嫌と言ってくれと念を押されましたが、誰が嫌なんて言うもんですか! って感じですよね」
「うんうん。私があなたの立場だったら喜んで飛びついちゃう!」
「ですよね。おかげで絶版で手に入らなかったいくつかの本を、こちらの書庫で読むこともできたし。私ってば果報者」
やーん、いいな! と心底羨ましく思う。
「私も小さい頃からカサンドラの小説が大好きで大好きで。出版社に勤めようと思った理由の一つなの」
二人は顔を見合わせて、互いの功績を認め合う。そして、ため息。
「イライザさんも断筆の話、昨日聞いたの?」
「イライザ、でいいですよ。寝耳に水どころの話じゃありません。びっくり仰天。天地がひっくり返った気分です。昨日までの最高だった日々はいったいどこへ消えてしまったんだろう」
二人の上に雲ができてしまいそうなほど、どんよりと肩を落とす。
「何でカサンドラは書くのを辞めることにしたんだろう? これからどんな風に暮らしていくのかしら」
すると、今までの彼女とは違い、少し困ったような顔をする。
メグが首を傾げて促すと、イライザは口元に指を当ててささやいた。
「私が言ったって言うのは内緒ですよ?」
もちろんと、頷く。
「このところカサンドラ様も色々あって。実は、彼女の孫だと名乗る人がやって来たんです」
「孫!? 魔女に子どもが、孫がいるの?」
神妙な顔をして、イライザはさらに声を落とす。
「ええ。私も突然やってきた彼女にびっくりですよ。カサンドラ様はさすがですね、当然のように屋敷に受け入れたんです。ちょうど一年半ほど前。それから一年、半年前まで彼女はこの屋敷に居座りました」
イライザの表現の端々から、あまり良くない印象を受け取る。
「名前がジラ・ケヴェックと言うんですが、これがカサンドラ様とは正反対。あの美しい緑色の瞳はなく、真っ黒な、闇のような目。それを黒くて長い髪で隠して、いつも下を向いてぼそぼそと話すんです。たしかに、カサンドラ様のように自信に充ち満ちた態度でいろとはいいませんがね、本当に魔女の血を引いているのかと問いたくなるような、陰気な女なんですよ!」
彼女の気持ちに呼応するかのように、雲が太陽を隠し、日が陰る。
「カサンドラ様もまあ、かなり気まぐれなお方です。変に怒られるようなことはありませんが、朝と夜、言ってることがまったく違っていることなんてざらです。でも、ジラはそれ以上にわけがわからない。自分の思い通りにいかないと、周りに八つ当たりして、ヒステリーを起こすし、あの一年は散々でした」
「カサンドラは、それに対しては何も言わなかったの?」
イライザは肩をすくめる。
「ごめんなさいねと謝るだけで、ジラを止めようとはしませんでしたね。我慢してくれと、一番当たられてるカサンドラ様がおっしゃられたら、私たちも頷くしかありません」
イライザは、たぶんそれが一番腹立たしいのだろう。自分たちが何かされるよりも、カサンドラのその態度に理不尽さを覚え、怒りを覚える。
「いったい、そのジラさんは何をしに来たの?」
「私にはよくわかりません。結局金目当てだったんじゃないですか? カサンドラ様は大富豪ですからね」
重版に継ぐ重版で、我が社から出ているものの印税だけでもとんでもない年収になる。カサンドラが関わっている主な出版社は合わせて二十ほど。とんでもない年収の二十倍。もう見当も付かない。
「で、それが突然出て行った。半年ほど前です」
朝から二人は揉めていた。大声を出していたのは主にジラで、昼過ぎに荷物を持って彼女は屋敷を後にした。
「カサンドラ様がじきじきに送って行ったんです。わざわざそこまですることないのに!」
「半日かけて!?」
行きに六時間、帰りに六時間。魔法を使えない魔法使いは、人間と同じように行くしかない。
「いえ、カサンドラ様がいるなら、北に行けばいいんです。北へ一時間ほど歩けば、【禁猟区】が終わる。【禁猟区】さえ終わってしまえば、人のいる街へひとっ飛び」
北は人が踏みいるには厳しい山が連なっている。だが、魔法使いならそんなものは関係ない。彼らは万能の存在なのだ。
「帰って来たときのあの方は、だいぶ疲れていたようです。私はその日はもうカサンドラ様をお話する機会がなかったんですが。あれから少し雰囲気も変わったし」
「そんなことがあったんだ」
それが、断筆を選択させたのだろうか。
「それで、一ヶ月前ですよ」
さらに、イライザは声を落とす。メグの耳元に口を寄せて、最高の秘密を漏らそうとする。
が、邪魔が入った。
「イライザ! 草むしりは終わったのかい? そろそろ昼食の準備をしないと間に合わないよ!」
反射的に彼女は立ち上がり元気よく返事をする。
「ごめんなさい。ここで喋ってるの、食堂とか厨房に結構聞こえるの。ばれちゃった」
彼女は再びごめんねとささやいて、走り去って行った。
残されて、そばの本を取り上げる。ふと、先ほどの会話を思い出す。
女王を胸に、滝壺へ落ちる氷の騎士。彼はあれで決定的に逃亡の道へと走ることとなった。物語を読んでいるメグたちには胸を震わせるすてきな決断だったけれど、実際物語の中、彼の気持ちをわからない人々から見たらどうだろう。
「あ、でも、堕ちゆくを、望むなのよね」
誰もが一度は望み給う。あの決断を、メグも一読者として、望んだ。
つじつまが合うような気がする。だが、納得がいかないとも思った。
「やっぱり、一応昼と夜を探そう。イライザも屋敷の中に見かけたと言っていたし」
気持ちを新たに、メグはそのまま玄関まで行く。扉をゆっくり開けた。
昨日入って行くときに気付いていた、二階への吹き抜け。その上の天井にあるフレスコ画は太陽をモチーフに描かれている。こんな場所にフレスコ画を作るのはとても大変だっただろう。それだけに、何か意味があると思えてくる。
「ミトラくんもこれが怪しいと思いますか。目の付け所は悪くないですよ」
階段を下りてくるのは、アーサーだった。初日と同じくぱりっとしたスーツをしっかり着こなしている。それがよく似合っていて、彼のラフな格好は想像がつかない。
「この屋敷に入って、誰もが目を奪われる太陽と神の絵。昔カサンドラに聞いたところ、だいたい五年かかったそうです。ここは不便な場所ですからね」
そう言う彼の手には『夕闇と薔薇の騎士』があった。メグは本のタイトルが彼に見えないように抱え直す。
確かに、彼が持っている本にも符合する点が多い。数あるカサンドラのスペースオペラの中でも、特に人気のある作品だ。だが、あくまで薔薇の騎士であって、凍れるや、氷といった話は出てこなかったはずだ。それとも、覚えていないところで出てきたんだろうか。
「健闘を祈ります」
自信があるのだろう。ニヤリと笑い、一階の右手奥へ消えていった。
負けず嫌いの血が騒ぎ出す。
これはなんとしても、詩の指し示す場所を見つけなければ。
「昼はこれだと仮定しても、夜が見つからないのよね」
しかも、堕ちゆくを望むのだ。
他の三人はどの程度詩の解読ができているのだろうか。出遅れている分焦りが募る。彼らを出し抜いて、原稿を手に入れることができるのだろうか?
と、車のエンジン音がし、クラクションが二度鳴る。
なんだろうと思っているうちに、執事のヴィクターとエノーラが厨房の方からやってきた。玄関の扉を開くと、ちょうど男が庭師のサイモンに車のキーを渡すところだ。
「お帰りなさいませウッズ様」
「うん。ただいま」
身長は百八十以上。赤みの強い金髪に、透き通った青い瞳。笑顔がまるでモデルのようで、メグは思わず見入ってしまう。慣れ親しんだ我が家のように堂々とした振る舞いで彼は荷物の一つをエノーラに預けると、メグに少しだけ笑いかけ二階へ上がって行った。
「あの人は?」
メグがヴィクターに尋ねると、彼は食堂へ戻りかけていた足を止めて一礼する。
「ドナルド・ウッズ様です。もう十分ほどで昼食ですので、食堂へいらしてください」
それだけ言うと、足早に去る。
きっと彼自身も、答えになっていないことはわかっているのだろう。
なんとなく不安な気持ちを押し隠し、メグはおとなしく食堂へ向かった。
そして、予感は的中する。
アーサーたちからキィまで、全員がそろっているところへカサンドラとドナルドが親しげに登場した。
誰もが思ったことだろう。
カサンドラの断筆は、こいつのせいかと。
イライザがあのとき言いかけていたのはこのことだったのかと、メグは心の中で深くため息をついた。
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