二章 魔女の課題1




   昼から夜へと堕ちゆくを 誰もが一度は望み給う


   冬の大地へ額ずく女王

   望み手に入れたその闇を

   羨む者は多かろう

   悲しまぬ者は少なかろう

   夜の息は風伝い

   凍れる騎士をいざなわむ

   氷の裳裾をなびかせて

   騎士は降り立つ ふたりの女王の間に

   遠くに見ゆるはふぞろいのこびとの群れ

   祝宴の声を背に吹きすさぶ赤の丘へ

   古き女王は天を仰ぎ帳を下ろし

   新たな女王は日中に輝く

   闇の冠いただく女王

   羽のある獅子が背に

   目覚めた氷は歩み出す

   雲雀の唄う春の野へは

   冬の茨が多かろう

   山査子の棘がはばかろう

   朝の夢はひそやかに

   凍れる騎士へいざなわれむ


   いかなる氷も 新たな女王に触れること能わず





 森に囲まれたカサンドラの屋敷は、日差しの割に湿度が低く、気持ちの良い風がいつも吹いている。新緑の季節。心も身体もウキウキと弾んでくる。

 はずだった。

 メグは仕事にも使っている手帳を広げ、短く唸る。

 昨夜思い切り啖呵を切ってしまい、後戻りできなくなった。仕方ないので朝食のときに詩をメモに取り、今に至る。

 入社当時から使い続けている臙脂の皮の手帳は、祖父から就職祝いにもらった物だ。これでカサンドラに一歩近づけたねと、普段気むずかしい祖父の笑顔が思い出される。

 部屋に用意された紅茶を楽しみつつ、詩と向かい合っていた。

 最初のイメージと同じく、何度読んでも暗い印象を受ける。

 闇、夜の息。そういったものが死を連想させるのだ。

 そうやって考えて、メグは一つ目星を付けた。伊達にソウガーズ一のカサンドラファンを名乗ってはいない。彼女の作品の中でこの詩と符合するものを思いついたのだ。

 そうと決まれば突き合わせてみよう。

 部屋を出ると、そのまま突き当たりまで行く。そこは書庫になっていた。

 カサンドラがゲームの開始を告げると、バートが真っ先にカサンドラへ詰め寄った。今までは彼女がふさわしいと思う出版社へ原稿を渡していた。それを、最後の作品だというのに、こんなふざけた方法で決めるというのか、と。

 チャールズも同じようなことを言っていた。バートほど怒りを表してはいなかったが、普段から落ち着き、冷静である彼が珍しく厳しい言葉を投げかける。

 一番最初に動いたのはアーサーだった。彼は真っ先に席を立つと書庫の本を借りて良いかと尋ねた。カサンドラは、最後に本をきちんとあった場所へ戻せば好きにしていいと言った。彼は遅くまで調べ物をしていたようだ。

 古めかしい扉を開けると、本の匂いがした。大好きな匂いだ。昔から親しんできた空気を胸にいっぱい吸い込む。

 本が所狭しと並べられている。管理している人が几帳面なのだろう。カサンドラの作品がかなりあるが、その多くがきちんと年代順に、そして本の大きさで分類されていた。だが、今はそのところどころが抜けている。三人が手当たり次第取っていったのかもしれない。それにしても、一段全部抜けている物もあり、少々やりすぎだ。

 もしかしたらないかもしれないと少し心配に思ったが、目的の物は簡単に見つかった。

「すごい、初版本だわ」

 当然と言えば当然だろうが。そして、献本なのだろう。

 緑色の古めかしい作り。メグはこの装丁が大好きだった。金色の飾り文字で記される、『ヴァルヴァナス・サーガ』の文字。

 大切に扱わなくては罰が当たってしまう。

 両腕で大事に抱え、再び本棚を見回す。抜けている本に、正解があるのだろうか? 彼女の作品にヒントがあると、信じて持っていったのだろうか? もしかしたら、カサンドラの本はまったく関係ないのかもしれない。

 そんなことを考え出すと、焦りに胃の辺りがきゅっとしまる感じがする。

 落ち着けと自分に言い聞かせ、メモ帳を開く。朝から思いつくままに記した単語が並んでいる。

 ヴァルヴァナス・サーガのヴァルヴァナスとは、騎士の名前だ。彼は氷の騎士と呼ばれ、玉座を不当に追われた女王アルメルダと旅に出る。彼らの世界では、巫女が神託によって王、または女王を指名する。しかし、代替わりしたばかりの巫女は、実は神託によって選ばれたのではない、偽の巫女で、金と権力を得る代わりに偽の神託で新しい女王を指名した。そうなると、アルメルダは不要な人物と判断され、玉座を追われて神殿へ閉じ込められてしまう。だが、実は彼女は何百年に一度あるかないかと言われている、巫女と王を兼任する者だった。前の巫女が亡くなった際の巫女の神託が、今の偽の巫女によって上手く彼女へ伝わらなかったのだ。新しい女王が指名されたとき、初めてアルメルダは神託を受け、自分が巫女でもあることを知る。このままでは本当の王であり、巫女である自分が死に国が滅んでしまうと、彼女は自分に仕え一番信用できる氷の騎士に相談する。ヴァルヴァナスは彼女の言葉を信じて、二人で代替わりのときに送られる巫女の印を探す旅にでる。

 この氷の騎士が、詩中の凍れる騎士に当たると、メグは考えたのだ。古き女王と新しき女王もいる。他の小説にもたくさんの騎士は出てくるが、氷や、凍れるといった呼称が付いていたものはなかったはずだ。

 自分の知識を信じて頷くと、メグは書庫を後にした。次はシンボルの照らし合わせだ。

 書庫をそのまま左に折れ、玄関ホールへやってくる。メグはそのままガラスの扉を開けると、中庭に出た。見事な庭だ。

 出てすぐの場所に、大きなトピアリーがある。翼の生えた人の姿に見える。天使かなにかかと思うが、その下に小さな猫もいた。カサンドラの作品に、楽園を守る天使が登場するの思い出す。彼は常に黒猫を従えていた。メグが抱えているヴァルヴァナス・サーガにではないが、この中庭には、小説をモチーフにしたトピアリーがあるのではと思う。

 中庭をさらにすすむと、あった。騎士のトピアリー。こんな細かい部分までよくぞと感心する。庭師のサイモンの腕は、本当にすばらしい。

 これが氷の騎士だと間違いなく言える確証はないが、心に留めておく。

 そこへ、声がかかった。

「おや、メグちゃんもこの騎士に目をつけたんだ」

 タレ目のバートだ。黒のスラックスに水色のシャツ。さすがにネクタイまでは着けていない。

「凍れる騎士の、凍れるって部分がまだよくわからないけど、騎士はエントランス脇の二体とこのトピアリーぐらいしかないからね。あっちは二体で一組のようだし、表現するなら双子のとか詩に入っていそうだ」

「おはようございます」

 朝食はばらばらで、彼とは会っていなかった。

「おはよう。こんなすてきな陽気なのに、僕らはカサンドラに振り回されまくりだ。参った」

 昨日と変わらず少し怒ったような声。彼が三人の中では一番このゲームに腹を立てていた。

「いつもなら、どんな風に過ごしていたんですか?」

 もし、この問題を出されていなかったら。

 もし、カサンドラが書くことを辞めると言っていなかったら。

「そうだなぁ。夜はみんなで食事。そこで今後の刊行予定とかを話したり、最近の出版界の動きをカサンドラに訊かれたり。彼女の本の、世界的な評価とかもね。朝昼は自由で、僕らも日頃顔を合わせることもないから、ほら、二階の階段を上がったところにあるソファーで日がなだらだらと話し続けたり、ここら辺を迷子にならない程度散歩してた。リフレッシュ休暇みたいなもんだったな。仕事だから行き帰りの費用も出るし、宿泊代から食事代ぜーんぶタダ。さらに料理がホテル並みに旨いときてる」

 確かに、朝食の卵のゆで加減といい、焼きたてのパンといい、年配のメイドが指揮をとっているらしいが、すばらしい物だった。昨日の夕飯は味がまったくわからなかったが、たぶん美味しかったのだろう。

「良いことずくめですね」

「だろ? カサンドラの担当で本当にラッキーってヤツだった」

 それも、あと数日で終わってしまう。

 気持ちがそのまま顔に出たのか、バートがメグの頭をなでる。

 完全に子ども扱いだが、なんとなくそれを受け入れてしまった。実際彼は二児の父親だそうだ。今年で四十になると言うが、まったくそう見えない。話し方や雰囲気が彼を若く見せる。標準よりも少し太っているが、反対に貫禄があっていい感じだ。

「魔女だって感情がある。俺たちと変わらない。彼女が辞めるというのを、俺たちが止めるなんてことはできないよ。考えてもみろ。二百年だ。二百年、ずっと書き続けて来たんだ」

 人間には計り知ることのできない長い期間だ。

「ただ、このゲームというのはなんだか俺の知ってるカサンドラに思えなくてね。彼女は自分の作品を餌に、こんなことをする人じゃないと思っていたんだが……。まあ、いたずらじみたことは何度かあったけど。本当にどこの出版社にしようか悩んでしまったのかもしれないなあ。とにかく、一編集者としてはなんとしても原稿は手に入れたいから頑張るしかないんだけどね。結局彼女の手の平の上で踊るしかないのさ」

 バートはじゃあ、と手を振って庭の奥へと消えていった。大きな背中が寂しそうに見える。

 確かにいつまでもうじうじとしているのは情けない。もっと訳のわからない要求をする作家も多い。ソウガーズで最後の作品を出版できたら最高なのは確かなので、メグは改めて気合いを入れると続きの作業に没頭する。

 騎士はいったん置いておこう。他にもまだまだチェックしなければならない物がある。

 何よりも、急務なのは最初だ。

 出だしの一文、『昼から夜へと堕ちゆくを 誰もが一度は望み給う』だ。これを解かねば始まらない。どんな意味なのだろう?

 誰もが一度は望むこと。それが、昼から夜へ堕ちてゆくことだという。この『堕ちる』の字が、堕落といった悪い意味ではまっていく言葉に思えて、昼と夜があまり良い意味で使われていないように受け取れる。

「日の光に当たっていられるような仕事から、あまり人様に言えたもんじゃない裏の仕事へってことかしら? 確かに、『悪』って憧れる子も多いけど、映画じゃないんだから……」

 昼と夜がそのままの意味だったら? 昼から夜になることが嬉しい。でも堕ちるという悪い意味。

「不倫でもしてるのかしら」

 言ってみて、馬鹿らしいと切り捨てる。

 意味から内容が思い当たらないということは、やはりシンボルが何か表しているように思える。小説の中では、玉座を太陽、神殿を月の神殿とも言っていた。

「昼、太陽、光。夜、月、影」

 怪しい独り言をつぶやきながら、庭を西へ行く。

 すぐそばに屋敷を取り囲む堀が見えるが、柵もなくあまり近づくと危なかった。かなり深そうだ。

 西側の一階は、二階よりも少し北へ飛び出ている。完全に左右対称にはなっていない。それをぐるりと壁伝いに回り、一番西側へ出ると、メグを部屋まで案内してくれたメイドが堀のふちで一生懸命草むしりをしていた。

 上を見上げれば、魔女の執筆部屋、西の塔が見える。

 素通りするのも悪くて、声を掛けた。

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