第13話 ナースコールの重さ
脚の麻酔はだんだん切れてきたようで自分の脚に戻ってきたようだ。唯一自由な右手を腰の辺りにもっていた時、尿道から繋がっている管に触れた。思っていた以上に太い。このままの太さで尿道に入っているとは思えないが、それ相当かもしれない。
術後2時間くらい経っただろうか。仰向けのまま寝返りができない姿勢がだんだん苦痛になってきた。そして腰が痛くなってきた。これは手術とは関係なく、寝返りが打てないために腰に負担がかかっている状況によるもので、人間は一晩のうちに何回も寝返りをして無意識のうちに体に負担をかけないようにしている。それが制限されてされてしまったため、腰一点に痛みが集中した。
最初のうちは何とか我慢できていたが、そろそろ限界になってきた。
ナースコールのボタンを押せば看護師さんが来てくれるが、どうも押すことに気が引ける。というのも入院をした時から何人もの看護師さんと会話をしているのだが、そのほとんどの会話の途中で看護師さんたちの胸元に入っているPHSのバイブが何度も振動して呼び出されているのを見ている。患者からのナースコールがPHSに直結しているのであって、些細なことで呼ぶのも申し訳ない。本当に困っている人、危機的状態の人がいる場合もあるので”安易に救急車を呼ぶべきではない”と一緒である。自分は手術とは直接の関係ない寝返りが出来ないがための腰痛である。次の巡回まで我慢しようと思った。
術後1時間おきに尿の色と検温、血圧を見るために看護師さんの巡回があり、前回の巡回からかなり時間が経っているように思えるのだが来る気配がない。おそらく先程の巡回を最後に1時間おきの流れではなくなったのであろう。さすがに次がいつかわからない巡回を待っていては腰はもたない。そんなに大したことではないかもしれないが、自分にとっては自らどうすることも出来ず苦痛のほか何もないので、申し訳かなったがナースコールをした。
*「じゃあこのタオルを折りたたんで腰の下に敷きましょうか。」
体を少し左側に回転して右の腰の下にタオルを挟んでくれた。違う姿勢になれたことで少し痛みから解放された。
*「水分、摂られましたか?」
手術当日は朝から食事も水分も摂る事ができず、術後4時間になってから初めて水を飲むことが許される。しかし動けないベッドの上では、台の上の時計を見ることも出来ず、カーテンで仕切られているので外の状況もわからない。看護師さんの「術後〇時間の検診に来ました。」が時計代わりだった。
*「もう時間も経ってますので水分は摂ってもいいですからね。」
動けない、空腹、腰痛が一緒になって、かなり気分的には重々しかったがようやく許されるものが一つ出来た。21時間ぶりに水を飲んだ。おしっこをたくさん出すために積極的に飲むようにと言われたが、2口しか飲めなかった。自分でも元気がないとわかった。
当たり前でやれていることが当たり前でなくなった時に、永久に失うものなのか、それとも時間が経てば元通りになるものかのどちらかになる。今のところ自分は後者だ。退院する時はいつもの体に戻っているはずだ。そう思えば、積極的に水分を取って回復に向かって努力すべきだ。今は頑張って水を飲もう。
(・・・・ない。)
手の届くところに置いていたペットボトルがなくなっていた。ちょっと頭を上げると台の向こうのほうにペットボトルの青いキャップが見える。さっき飲み終わった時に看護師さんに渡した際、遠くに置かれてしまったのだ。
(・・・・取れない。)
手を伸ばした先20cmにあるペットボトルに触れない。なんとも虚しくなるとタオルの甲斐もなく腰痛はピークを迎えた。
自分は時間が経てば元通りになる。しかしそうでない人もいる。今の医療では限界があったり、技術が確立していないもの、原因がわからないものもある。それに直面した人たちは、絶望を味わい、生きる望みを失ったりする。私自身原因不明の呼吸障害になりパニックを起こしかけたこともある。呼吸が満足に出来なかったので、そのまま息が吸えなくなってしまうのではないかという恐怖心しかなかった。あの時は医者に息を吸っても肺に入ってこない感じがすると訴えたのだが、医者からは「息を吸えばいいじゃないですか。」と相手にしてもらえない扱いを受けた。まだ寝れば翌日の午前中は治まっているという状態にあったので多少は
例え難病であったとしても病名がわかるだけで救われる気がする。原因不明よりましだとさえ思うからだ。しかし本当の絶望が待っていたりもする。それでもそんな状況になっても這い上がってくる人はいる。本当に強い人なんだろう。
動けないから水が飲めない。
動けないから腰が痛い。
なんなんだろう。
自分の立ち位置がわからない。
痛いことを素直に痛いと言っていいのだろうか。
思いのまま再びナースコールをしてもいいのだろうか。
自分自身がよくわからなくなってきた。
*「どうですか?腰が痛いとのことですが。」
執刀医の先生の巡回だった。
*「おしっこの色もきれいですから、ベッドを起こしましょうか。」
すばらしきかな、パラマウントベッド。上半身が30度程起き上がった。
*「次は膝ね。」
おおおおおおおおお、膝のところだけ尖がって勝手に膝が曲がった。
*「これくらいにしても大丈夫でしょう。」
(膝曲げてもいいんですか?曲げるととんでもないことになるんじゃ?)
*「おしっこの色がきれいですからね、これくらいなら大丈夫です。」
主治医のお墨付きが出た。そして腰の痛みが一気に引いていった。腰と膝を少し曲げた程度とはいえ、体が動かせるってこんなに素晴らしいんだと思わざるを得なかった。
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