第9話 歴史は学ぶな、感じろ

 3Fには手術室が何部屋もあり、手前のホールには大勢のスタッフが待ち構えていた。私と同じ時間帯で手術をする人も何人かいる。病室から寝たままの方も私のように自力で歩いてこれる人も。ここで患者の取り違いがない様に名前と自分の受ける手術を申告し確認する。そして看護師さんから執刀助手の方々に引継ぎされた。

 *「今日担当する〇〇です。」

 *「〇〇です。」

 *「〇〇です。」

(もはや名前を聞き取る余裕もない。)


 なな、なんと助手の方々は三姉妹ではないか。


 何だ、この安心感は。


 普段ならスーパーのレジでわざわざ若い女性のレジ係の列に並ぶじゃないか。さらにはその列に狙って並んでいるのではないかと悟られないように、タイミングを計りつつ、レジ前のガムを物色しているではないか。そしてベテランのレジ係の列が空いてしまって、こちらにどうぞと呼ばれた時に何もなかったように列を移動しても心の中では号泣しているではないか。


 にしても、この安心感である。


 ”歴史はやすらぎ”


 執刀医は外来の時からずっと診てもらっている男の先生で、助手はベテラン三姉妹である。帯同する息子を晒すことには変わりないが、同性と歴史というオブラートに包まれたことで若干ながら持ち直した気がする。だがなぜか、言い訳したくてならない感じがする・・・・。


 なんなんだ、この言い訳がましい気持ちは。


 ・・・・・


 そうか、そういうことだったのか。


 晒すことは恥ずかしい。しかし、言い訳する心理状態とはちと違う。



 ”貧弱であることに申し訳ないという気持ち”だったんだ。



 病室から履いてきたスリッパにはすっとぼけた”くまもん”の絵が描いてある。


 *「このスリッパ、ポイント高いですねぇ。」

 *「あら、かわいい。」


 ベテラン三姉妹は手術前の不安を取り除こうと努めて明るく振舞ってくれている。かわいいのはスリッパだけじゃないんですよ。帯同する息(以下自粛)


 相対的若者46歳はテレビで観るような切開手術とまではいかないが、初めて手術らしい手術を受ける。小学生の時に扁桃腺の、30歳前半で大腸ポリープの手術をしたが、今回とは比較するにあらずの軽装備だった。


 いよいよホールから手術室に入る。角を曲がった最初の部屋だ。大小さまざまな機器が置いてあるが、何がどんな機械なのかは全くわからない。やさしいBGMが流れている。少しでもリラックスできるようにということか。


 *「ではベッドの上に上がって仰向けに寝てくださいね。」


 手術台の上に寝かされると四方八方からベテラン三姉妹たちの手が「千手観音」のように飛んできて、あっという間に右手には血圧、左手には点滴、胸には心電図の吸盤が装着された。手術着は肩口からマジックテープが外され、いつの間にか前身頃がなくなり、上からバスタオルが掛けられているとはいえ、最後の砦、トランクスもあっけなく千手観音に奉納された。


 *「最初にをしますので、横向きになって背中を丸めてください。」


 背骨と背骨の間に注射をするらしく、背中を突き出すように丸くなったほうがいいとのこと。でもお腹の肉が邪魔なんですが。


 *「少しちくっとしますからね。」


 麻酔がかかってしまえば痛みを感じなくなるであろう、ならばこの注射さえ乗り切ってしまえば。


(ん?思っていた程の痛みじゃない。)


 個人的には最初の麻酔注射がド太い針でぐさっと突き刺さるんだろうな、痛いだろうなぁとかなり警戒していたのだが、思いの外、針が細いような感じがする。痛みも許容範囲内だ。


 最初の難関をひとつクリアした。


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