第4話
その場の時間が止まったみたいに感じられた。それくらいの衝撃はあった。
ローズ=デュランは目の前の状況にいささか混乱していた。
「なんですか、これは。あなたは誰ですか? 何者ですか?」
目の前にいるのは黒瀬夜刀……のはず。ローズの敵。倒すべき相手。
しかし、目の前のこれは黒瀬夜刀であり黒瀬夜刀ではない。そんな感じがする。
禍々しい黒い霧が辺りに漂っている。これはこの黒瀬夜刀が発生源らしく、彼から霧が放出されている。
彼を中心に渦巻いている黒い霧はやがて収束し、繭のように黒瀬夜刀を包む。
息を呑むのはローズだった。一方の御手洗清二も作業の手を止め、夜刀の方を見ていた。
黒き繭にひびが入る。ぴきぴき、と。音がして、そして繭は開かれる。
羽化。
そこには、真っ黒な、どこまでも真っ黒な翼を生やした黒瀬夜刀がいた。
「……」
彼は何も言わない。ただ息を吸い吐くだけ。
圧倒的な悪。
凄まじいまでの圧。
ただの悪魔憑きとは思えない。もはや人間の枠をはみ出していると言っても過言ではない。
「本当に、なんなんですか。あなたはいったい……」
黒瀬夜刀が一歩足を踏み出し、前へ出る。
ローズは咄嗟に聖書のページをめくり、一節を読み上げる。
「ヒソプを以てわたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。
(Asperge me, Therion, hysoppo et mundabor. lavabis me, et super nivem dealbabor.)」
言って、それからローズはヒソプと呼ばれる植物を取り出し、掲げる。
しかし。
横に一振り。夜刀が手に持っていた刀を振る。
それだけでヒソプは木端微塵になった。
次に夜刀は刀を振り上げ、振り下ろす。ローズは咄嗟に聖書でその斬撃を防ごうとするも、夜刀の刀はその聖書を両断した。
後退するローズ。
驚く。
悪魔の力は聖なるものには通じない……はず。なのに、どうして、夜刀の刀はヒソプを微塵にし、聖書を斬った?
聖書を、聖なるものを凌駕する悪魔の力。
「いったい……」
いったいそれは何だ?
どんな悪魔だ。
そもそも黒瀬夜刀に憑いている悪魔は低級悪魔ではないのか。
「もし、聖なるものが通用しない悪魔がいるとしたら、それはつまり……悪魔の王。神と対となる存在。……まさか!? いや、そんな。でもしかし、もしかすると……」
一つの可能性。信じられないこの可能性。
だが、これ以外に思い浮かばない。
だから、ローズは口に出してみた。
「あなたはサタンに憑かれているのですか!?」
問うたところで、夜刀は何も言わない。ただにやりと不敵な笑みを浮かべているだけだった。
だけれど、ローズは確信してしまった。
この悪を体現したかのような姿を見て、この息が詰まるような圧を感じて、ローズは確信した。
「あなたは、サタンだ。サタンの悪魔憑きだ!」
やはり夜刀は何も言わない。彼は刀を振る。ローズは横に跳び、それを避ける。が、避けた先に夜刀がいる。
「速いっ」
再び刀が振られる。避けようとするが、避けきれず腹に浅く切傷ができた。
血が数滴床に散った。
「神よ、私をお守りください」
そう発したローズの声は震えていた。
ローズは思う。臆してはいけない。相手は悪魔だ。こちらは祓魔師だ。ならば、自分は強いはず。恐怖は自分を弱くする。だから恐怖をするな。臆するな。退くな。進め。前へ出ろ。
この相手はもう祓魔師協会の教義に納まらない。悪魔憑きを超え、人間の枠組みをはみ出し、もはや人間と定義することは難しい。
ならば、これは、目の前のこれは――悪魔だ。
悪魔と定義してもいい。
「目の前の敵を通常の悪魔祓いでは祓魔不可能と認定する」ローズは言う。「致し方ないですが、これは祓魔師協会のルールでは裁けない。――これより強制的に祓魔を行います」
ローズは、壁に掛けてあった剣を掴む。それを鞘から引き抜き、構えた。
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