第2話

 まずは近場の教会から攻めることにする。


 で、そこで思った。教会は聖なるもので、つまり悪魔憑きの天敵だ。簡単に立ち入ることができない。まずは教会を破壊して、教会が内包する聖性を無効にしなくてはいけない。それでどうやって教会を壊そうか? 悪魔憑きの力――異能は通じない。教会を破壊するには異能に頼らない力が必要だ。


 俺と夢果は教会の前で立ち尽くす。街中にぽつりとある教会。周りが店やらビルやらマンションという中に一つ教会があると言うのは異質なものだ。


「教会の中に入るには教会を破壊しないといけない」


「わたしたち悪魔憑きだからね。このまま中に入ったら眩暈を起こすもんね」


「で、壊すとしても異能は通じない。悪魔に憑かれたことで得たこの異能は悪魔の力であり聖性を内包する教会には通用しない」


「つまり……どうするの?」


「どうしよう?」


 物事は簡単には進まない。先ほど甘木先輩が言っていた言葉を思い出す


 本当にどうしよう。銃火器でもぶっ放したいところだけど、そんなものを俺も夢果も持っていない。でも、銃火器があれば目の前の教会を破壊できるのだろうな。


「銃火器ってそこら辺のコンビニで売っているもんかな?」


「いや、さすがにコンビニには売ってないんじゃないかな。でも、それなりのお店とかあるんじゃないの?」


 それなりのお店。ガンショップとかだろうか。あるのか。こんな場所に。明らかに平和な街並みを繰り広げているこの場所に。……ないだろうなー。絶対、ないだろうな。服を売っている店ならいっぱいあるけど。服じゃ教会は壊せない。


「あ」と夢果が何かを思いついたのか声を上げる。「爆弾を作るとかは?」


「誰が?」


「夜刀が」


「俺、爆弾の作り方知らないけど」


「ネット調べれば作り方わかるんじゃない?」


「忘れていないか。ここは地上だ。基本的にここに住んでいる人は善人なんだ。まず善人は爆弾を作ろうとはしない。だから、作り方がネットに流布されていると思えないんだけど」


 地上の世界は複数の市民共同体が存在し、その市民共同体によりこの地上の世界が成り立っている。地上に住む人間はいずれかの市民共同体に属さなければならないし、市民共同体に属することで人間は最高最善の状態を保てるために属する以上は善人でなくてはいけない。爆弾なんていう野蛮な物、善人が作るとは思えない。作られることのない物の作り方が世に出回っているなど考えにくい。


 それに俺にはとんと化学の知識がないのだ。たとえ作り方を知ってもその作り方を理解できる頭を俺は持ち合わせていない。


「どうするの?」と夢果が訊いてくる。


 銃火器を得る方法も爆弾の作り方もわからない。どうやって教会を破壊して、侵入をしたものか。


「無理して突入」


「もし敵がいたら対応できないと思うけど」


 どうすればいいのだろう。どうしたら教会を破壊できるだろう。


 建物を壊す。言っていることは簡単なのだ。やることだってわかっている。爆弾があればそれを放り投げればいい。鉄球があればそれをぶつければいい。教会はただの建物なのだ。強い衝撃さえ加えれば壊れてくれる。


 まったく。どうしてこんなに悩まなければいけないのだ。そもそも。ここに灰ヶ峰椿姫がいるとは限らない。祓魔師協会が所有する協会はここを含めて四件だ。灰ヶ峰はこの四つのうちの一つにいる……かもしれない。結局、すべてが可能性のうちの話に過ぎない。こんなにもあやふやな状態で行動するのはどうにも気持ち悪い。くそ。失敗したらどうしよう。そんなことばかり考えてしまう。自分を勇気づけるためにも確実な情報が欲しい。そうすればいいのだ。そうすればすべて万事解決なのだ。最初の一歩でこうやって躓くこともないのだ。教会をどうやって破壊しようとかで悩むこともないのだ。


 なんかうだうだ考えていたらイライラしてきた。


 物事は簡単には進まない。ああ確かにそうだ。その通りだ。認めよう。しかしここは、この場面は簡単に進んでもらわなければいけないのだ。灰ヶ峰椿姫を保護する。しなければならない。そのためには早く彼女のもとへ行かねばならない。


「ねえ、夜刀」と夢果が不意に俺を呼ぶ。その声は思索に耽っていた俺を呼び戻す。


「なに?」


「わたし、思うんだけどさ。椿姫ちゃんを確保した祓魔師協会は悪魔祓いをするわけじゃん。祓魔師協会側からすれば悪魔祓いの邪魔ってされたくないよね。てことは、悪魔祓いは秘密裡に行う可能性が高い。となると、わざわざ律儀に自分が所有する教会に椿姫ちゃんを置いておくかな? わたしだったらばれないような所ですると思うけど」


「つまり、祓魔師協会が所有していない教会?」


「かもしれない」


「けど、それもそれで候補はたくさんある」


「そうなんだよね」


 結局、何も進んでいないではないか。灰ヶ峰がどこにいるかはわかっていない。


「ああ、もう!」


 思わず声を荒らげる。


「夜刀。あまり落ち着いて」と夢果は言うが、どうにも俺はイライラしている。


「こうなればこの教会に突入して、祓魔師協会の関係者に訊けばいいんだ。灰ヶ峰はどこにいるかって」


「でも、無闇に入ってもわたしたちは悪魔憑きだから……」


「知るか」


「いや、さすがに返り討ちに遭うんじゃないかな」


「なんとかなる」


 言って、俺は歩き出す。目の前には教会だ。階段を昇り、扉に手をかける。


 夢果の制止の声も聞かずに俺は扉を押し開け、教会の中に入った。夢果はついて来ない。


 入った瞬間に眩暈。くらくらしてふらふらして、それでも踏ん張り立つ。


 頭を抑えつつ、俺は前を見た。


 そこに広がる空間は聖なるもので溢れている。座席が並び、正面には十字架クロスが掲げられていて、全体的に黄金色で、それでいて厳か。


 正面、十字架を背に一人の男性が立っている。この教会の神父であろうか。


「迷える仔羊よ。いったい何用で参った?」


 神父が言った。その声には包容力が感じられた。


 俺は単刀直入に質問をする。今は変な言い回しをするほど余裕がない。そもそもそんなのは面倒だ。


「灰ヶ峰椿姫はどこにいる? ここが祓魔師協会の所有する教会だってことはわかってるんだ。てことは、お前は祓魔師協会の人間。なら、灰ヶ峰の場所も知っているんじゃないか?」


 くく、と。笑い声が響く。笑ったのは神父だ。


「さすがというかなんというか。《熱心者のシモン》様の言う通りではないか」

《熱心者のシモン》。どこかで聞いた単語だ。〈十二使徒〉が一人、《熱心者のシモン》。この二つ名を持つ者は確か……ローズ=デュラン! 灰ヶ峰を連れ去った祓魔師協会の祓魔師。


 神父の言い振りからするに俺がここに来ることがわかっていたということか。つまり夢果の言っていた『祓魔師協会の所有する教会ではないところに灰ヶ峰がいるという説』は正解らしい。


「灰ヶ峰の居場所を知っているな」


「知っているから何ですか? それを教えることはできない。そして、あなたを《熱心者のシモン》……ローズ様の場所へ行かせることはしない」


 直後。上手袖の方からぞろぞろと武装した修道士たちが出てくる。


「我々は祓魔師協会。殺しはしない。するのはただの救済です」


「黙れ。何が救済だ」


 悪魔憑きを悪と見做している時点でお前らは俺の敵だ。


 俺は刀を出現させる。眩暈は止まない。頭の奥でズキンズキンと響くように鈍い痛みが続く。眩暈の所為か、刀を持つ手は覚束ない。


 だけど。それでも。だから何だ? 目の前には敵がいる。戦いは避けられない。


 この刀はアバドンの毒針。この刀で少しでも傷つけられたものは死さえも許さない激痛に苦しむ。


 別に殺さなくてもいい。少しだけ傷をつければそれでいい。


 だから眩暈で手元が覚束ないこの状況でもきっとなんとかなるはずだ。


 大勢の武装した修道士たちが襲ってくる。武装と言ってもその手に持っているのは刺又で殺傷能力は見込めない。ただそれを見るに奴らは俺の動きを止める気満々だ。大勢で襲いかかられれば、確かに俺は刺又の餌食になるだろう。


 ここまで来て後退する気はない。だから俺は前へ駆ける。修道士たちに立ち向かう。刀を振りかざし、そして振って、斬って、刺又で胴を突かれても斬って、分け入るように修道士の群れの中を突き進む。


 しかし、俺の頑張りは虚しく、俺は刺又で雁字搦めにされて身動きが取れなくなる。


「ええい、クソ!」と喚いたって状況は変わらない。


「一人で乗り込むからですよ」


 悠然とした神父が靴音を鳴らしながらこちらへ歩いてくる。その手には聖書が握られていた。


「ここは教会です。なんですから今回は特別に悪魔祓いをしてあげましょう。喜びなさい。迷える仔羊よ、あなたを人の子にしてあげます」


「やなこった」


「なぜですか。人は人でなくていけない。悪魔憑きは人ではないがゆえに、その存在は神をも赦さぬものです。悪魔憑きなど総じて人になるべきだ。そうでなくてはいけない」


「なるほど。それがお前ら祓魔師協会の矜持か。結局、お前らもアド・アボレンダムと同じじゃねえか」


「その言葉は聞き咎めます。あのような野蛮な組織と同列に扱うなど。奴らは悪魔憑きを人として認めず虐殺をする。しかし、我々は奴らとは違い優しい。あなたたち悪魔憑きを殺しはしない」


「だけど、悪魔憑きの意見は受け付けない」


「悪魔憑きは総じてただの人になるべきなのです。いちいち悪魔憑きの意見など聞き入れていては、悪魔憑きから悪魔を祓うことなどできない」


「悪魔憑きを悪魔に憑かれた人だと定義するなら、最低限の人として人間としての権利は守っていただきたい。俺たちだって思考する。意見する。考えを発する口がある」


「だから、いちいちそんなものを聞いていてはいつまで経っても悪魔憑きから悪魔を祓うことなんてできないじゃないですか」


 わかり合えない。どうやら、いや、やっぱり悪魔憑きとただの人間はわかり合えることはできないらしい。


 こちらの権利を否定する奴に優しさを語る資格があるのか。アド・アボレンダムを野蛮だと言う資格があるのか。


 悪魔憑きにとってみればやはり多くの市民共同体に所属する人間は怒りの対象に過ぎない。


 とはいえ、いくら反論をしても神父の魔の手は迫ってくる。


「――、――、――」


 まずは聖書を読み上げる神父。俺には理解できない言語を発する神父。その口から紡がれる理解できない言語は俺の頭にさらなる強烈な眩暈を与える。眩暈というよりはもはや痛み。その眩暈/頭痛は俺の意識を削ぎ落しにかかる。瞼が重くなってきた。やばい。


「……っ」


 歯噛みをする。ここでくたばるわけにはいかない。


 しかしやはり瞼は重くなる一方だし、視界はひたすらにぼやけてくる。


 教会という空間が内包する聖性に加え神父の唱えた聖書の一節が相乗効果となって俺にのしかかってくる。刀の形がぶれ始める。能力が弱まってきているのか。


 俺は、まだ……まだ、こんなところで……。


 神父が聖書を俺の額に押し当てる。そしてさらに聖書の一節を唱える。それから数滴の聖水をふりかけ、またさらに聖書を押し当てその一節を唱える。


「や、め……」


 舌もろくに動かなくなってきた俺。


 神父は首にかけていたネックレスを取り出す。十字架が飾られているネックレスだ。


 と――刹那のことだった。


 教会の扉が開かれる。轟音と共に。


 目の前の神父がどうやら驚愕の表情をしていた。俺は重たい頭を動かし振り返り玄関の方を見る。


 車だった。


 セダンが玄関を突き破り突入してきた。それは止まることなくこちらへ走ってくる。ブォン、と。けたたましくエンジン音を上げながら突進してくる。


 人がいようと関係ない。修道士たちを轢きながらまっすぐこちらへセダンが迫る。


 暴走車の様子を見て、喚き散らしながら修道士たちは避けようとする。なんとか避けられる人もいれば、運悪く轢かれてしまう者もいた。


 俺を刺又で拘束していた修道士たちも刺又を放り投げ逃げる。目の前の神父もいつのまにか横へ跳び、逃げていた。


 このままでは俺が轢かれる。俺も避けなければ――なんて考える暇もない。俺も横へ跳ぶようにして突進してくるセダンを避けた。


 セダンは正面の十字架が掲げられている祭壇に激突し、停止。祭壇は破壊され、十字架もその形を留めていない。


 俺を悩ます眩暈が少し和らいだ気がした。


 煙を上げるセダンの扉が開く。


 ゆったりと、セダンから出てきたのは――少女だった。


 長い黒髪を持つ少女。春海夢果がそこにいた。


「夢、果……?」


 え、と。夢果って車の運転できたっけ。てか、どこで車を調達したんだ?


「いてて……」と夢果は首をさすっていた。「夜刀。大丈夫?」


 彼女は俺の方を見て、そう訊いてきた。


「あ、ああ。大丈夫……だけど」俺は立ちあがりながら言う。「え、どうしたんだよ。その車?」


「盗んだ」


「どうやって?」


「コンビニの駐車場でキーを刺したまま車を出た人を見つけたから、その人のをね、拝借したんだよ」


 それはまたよく見つけたな。運がよかったと言うべきか。


「でも、運転は……?」


「マニュアル車だったらまず無理だったけど、これオートマ車だから。オートマならなんとかアーケードゲームの要領で運転できた」


「すげーな、お前」


 いやまあ確かにオートマ車はマニュアル車に比べれば操作は簡単なのだろうけど、それでも訓練なしで運転できるのはすごいだろ。


 なんであれ助かった。夢果が車を盗み教会へ突入し、破壊してくれたことで教会に内包されている聖性が消滅したらしい。眩暈が確実に軽くなった。


「さて」


 俺は神父を見下ろした。神父は床に腰を下ろしている状態で、そのまま持っていた聖書を掲げその一節を唱えようとするけど俺がそうはさせなかった。俺はすかさずサッカーボールでも蹴るように脚を振り、神父の持っていた聖書を蹴飛ばした。聖書は神父の手を離れて床を滑る。次に神父はネックレスの十字架に手を伸ばすが、俺はその前に刀を振った。俺の振った刀は無造作に上げられた神父の手の甲に傷をつける。


「ぐ」と神父は呻くけど、呻くだけでは済まされない。それが俺に憑いている悪魔――アバドンの持つ力の一つ。死さえ許さない苦痛を五か月間与える毒針。


「ぐ、ぐぁあああああっ!」と呻いた次に神父は大声を上げてその痛みの大きさを示す。


「ぐぁ、がっ、ぐぅ……うぇ」


 叫び過ぎで呼吸がおろそかになり、あまりの痛さからなのか嗚咽をする神父。


「いったい、なにを……?」


 苦痛にゆがんだ表情をこちらに向けて神父は俺に問う。俺は答えてやる。


「死さえ許さない苦痛を与えてやっただけだ」


「はぁ?」


「わからないならそれでいい」


「いいわけ、ない。どうにかしろ!」


「してやるさ。俺の質問に答えたら」


 そして俺は質問する。


「灰ヶ峰椿姫はどこにいる?」


「……」


 何も言わずぎりりと歯噛みをする神父。


「言わなきゃいつまでもその痛みは続くぞ」


 神父は苦痛にのた打ち回って、けれども口を開かない。


「知らないなら知らないと言え。こっちは忙しいんだ」


 そう俺は言う。神父は俺を憎たらしく睨みつける。


「知らないと、言えば、この痛みはどう、なる?」


「ずっとそのままだ。当然だろ」


「本当に知らなく、ても?」


「ならもったいぶらずさっさとそう言えばいい。言わないってことは実は知ってるんじゃないのか。嘘はよくない。神に仕える神父様だろ。それともあれか。ローズ=デュランはお前にとって神よりも偉い人なのか?」


 目が泳ぐ神父。何かを逡巡しているようなそんな感じで。


「……天に、まします我らの、父よ。どうか、私を悪より救いたまえ。私の、罪を……赦したまえ」


 神への言葉を呟く神父。俺は顔を歪めた。


 そして神父は言うのだった。


「ここより南、三キロ進んだ所にセントジョージ教会」


 その教会は祓魔師協会所有の教会ではなかった。


「お前らの所有する教会じゃないな」


「ここや、ほかの祓魔師協会所有の教会は、お前らを、騙す、ブラフ、だ」


「そうか」


「さあ、早く! この痛みをどうにかしろ! ここまで情報を開示した。お前の質問には答えた! 早くしてくれ!」


「ああ、そうだったな」


 俺は立ちあがる。欲しい情報は手に入れた。ここにいる必要もない。それに……。ちらと祭壇に激突したセダンの方を見る。セダンは依然煙を上げていた。炎上しそうで、もし炎上したら爆発する。早めに出た方が何にしたっていい。


 俺は言う。


「アバドンの毒針に刺されたら、五か月間続く死さえ許さない激痛に苦しむ。つまり、五か月経てばその痛みは退くってこと」


 まあ、悪魔の能力による痛みだから聖水を傷口にかけるというのも一つの手だと思うけど、そこまで教える義理はない。


「五か月……」


 神父が地獄でも見たかのような顔をしているが俺の知るところではない。


 行くぞ、と夢果に声を掛け、俺たちは教会を出た。


 南に三キロ。そこに目的地がある。

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