『非愛同盟』謹製『愛の狩人』

解場繭砥

『非愛同盟』謹製『愛の狩人』

 今のところ誰も僕を愛していないし僕も誰も愛していない。それはとても喜ばしいことで、そういうのは感情だから、人生を楽しませる可能性もあるけど、楽しめなかった人にはもれなく人生を縛ったり執着させて苦しめたりするし、要は良いことがなかった場合はろくなことが起こらないようにできているからそれで愛情ってのは厄介なのだ。

 そんなわけで非愛同盟という言葉を作ってみた。作ってみただけで活動内容は特にない。強いて言えば何もしないという逆説的な活動をするのがまあ、キモといえばキモかな。軽い冗談のつもりだった。僕の言葉はいつも吹いて飛ぶように流れていく。そんな限りなく価値の低い言葉の塵芥に過ぎない。ところが今回に限ってそうではなかった。

 一発芸というのか、妙に人の心の琴線に触れてしまったらしく、異常な回数RTされた。これは全俺が泣いた。日頃俺なんて一人称すら使えない性格の僕だがネット用語には流される質だ。しかしスマホがじきに使い物にならなくなり、通知を切った。

 お笑い芸人を見ればわかるように、一発屋は忘れられるのも早く、こんな現象もじきに止むはずなので放っておいたら、ある日ダイレクトメッセージが来てお会いしたいと言う人が現れた。意味がわからないからとりあえず会ってから判断しよう。何かの詐欺だったら全力で逃げる準備だけしておいて。子供の頃から徒競走はビリを守り抜いてきたが、自分のことだから逃げ足は凄く速い気がする。根拠は特にない。


「――わたくし、ネット人類学の研究をしておりまして、この目下最大のウェーブと言っていい現象についてですね、その言葉がもたらした事象でありますとか、人々の意識変革、あるいは総体的無意識の変容といったことを総合的に理解してゆきたいと思っているのですが、そこはそれまず歴史的、発生学的観点からまず、言葉の源流を辿るという、ある種基本に立ち返ったようなアプローチを取ることにしまして、そうしますとこの〝非愛同盟〟という四字熟語の発生源が貴方様の一個のツイートだということが判明しまして」

 まずわからないのはネット人類学という学問が本当にあるのかという点で、いやそれはあってもなくてもどうでも良いことで、肝心なのは僕がすっかり忘れていたその言葉がそんなに重宝されていたのかっていう点で。

「ご存知ないんですか、既に十万リツイートされていて、これはぶっちぎりのリツイート日本最高記録です」

「はあ」

「そんなわけでですね……このようなツイートをするに至るまでに、何が貴方様の中で起こったのか……つまり源流とはそういうことです。電子的に残っている源流というのはもちろんこのツイートがおおもとなんだけれど、その更に前段階、より根源を解明するためには、やはりご本人にお会いして聞き出す必要がある」

 聞き出すも何も、何も覚えていない。とにかく軽い気持ちで呟いたのは確かだ。いや、確かだ、という言い方は忘れてしまった以上おかしいのかもしれないけど、そんなこと言われても何もわからない。しょうがないからその場で適当にでっち上げた。

「そうですねぇ、結局リア充とか非リア充とかいう言葉、後者が劣ってるみたいなそういう区分けで、まあ一種社会的抑圧を感じていまして。そこで愛情なるものがとにかく偉い、というような昔からある誤解、そういうのがネット社会によって加速してしまって、ストーカーだのエロトマニアだのの病理にまで発展してしまう。それらに対する危惧というのは確かにあったと思います。結局はアンチテーゼというか」

 そんなことを考えていた事実はない。しかし思いのほか舌が回って無意味な言葉を紡ぐことができて自分でも驚いた。会社で最近プレゼンが立て込み、これまたハッタリトークで無意味極まりない発表を繰り返した成果だろうか。

 最後のアンチテーゼのあたりなどは高二病用語を取り混ぜた揶揄ですらあったが、相手は大仰に納得して、また無意味な応酬があって、それでチョコレートパフェを奢られて別れた。あんなでっち上げトークにもパフェ代分の価値ぐらいはあったということか。


 またしばらくその件を忘れていると、その学者がインタビュー記事を纏めたらしく、言ったことのニュアンスが変えられたり言ってもいないことが付け加えられたりして、全俺どころか全米が泣いたレベルの感動的な記事に仕立て上げられていた。

 本名こそ明かしていないがその記事にはIDは書かれていたから、連絡が殺到するようになった。いい迷惑だ。ただパフェを奢られた経験から、謝礼をくれるものを選別してそういう取材は受けるようにした。嘘は上手くなっていったが、だんだんと自分が喋っているものが嘘なのかそれとも、気づかないうちに昔から思っていたことで真実なのかわからなくなっていった。

 相手も、社会学者やマスコミだけでなく、多岐に亘り始めた。

「プロゲーマーです」

「ナノマシンの研究者です」

「パチスロ製造会社を経営しています」

「とある著名なオープンソースソフトウェアの主要開発メンバで」

「NPO設立支援を通して社会革命を目指します」

「昆虫生態学が専門でして」

 なんだかよくわからない。一つだけ共通しているのは、みんな誰も愛していなくて誰にも愛されていないということだ。まあ、仲間は沢山居たほうがいい。枯れ木も山の賑わいと言うし。いや、全員凄く優秀そうだからそれは失礼か。

 僕が適当に喋ったことを、言動に含まれる多大な矛盾点やおかしなところを全て解決して美しい文章に纏め上げるゴーストライターを紹介され、本を一冊出版するとベストセラーになってかなりの収入が得られた。あちこちで講演などもすることになって、もはや会社にいる理由もなくなって僕は会社を辞めた。


 一応僕はNPO法人『非愛同盟』の代表ということになっている。活動内容はたぶん啓蒙活動なんだと思う。思いついたことを適当に喋るだけで金になるから、金になるという点では会社にしてもいいのかもしれないが、正直一過性のブームに載っているだけでとても継続的に収益が得られるなんて思えないからNPOにしておく。

 いつの間にか事務所のようなところがあって、そこの一番立派な椅子に僕が座っている。僕は何もしていないのにとてもおかしなことになっているし、それはおかしくない当然のことなんだと何とか思い込もうとしている。


 啓蒙というのは本来、何か行動を起こさせるために行うもので、行動に繋がらない啓蒙などナンセンスだ。そのナンセンスなもので僕は食っていて笑えることこの上ない。高笑いとかじゃなくて、苦笑というか、僕の人生が一種のギャグめいたものになりつつある。

 そう思っていたら、僕の周囲の僕を支える人々――揶揄的に見る人が言えば、取り巻きやら信者と呼ばれる人々――が行動を起こし始めた。

 最初は正攻法というか、選挙出馬について相談があり、さすがに無責任なトークと違って責任のある選挙演説などできないから断った。実際に過去の、少しだけ著名になったような人の、選挙出馬時の得票数や、本の売れ行きなどのデータから実際に科学的な数値シミュレーションをやってくれて、どう考慮すべきパラメータを足していってもまあ無理だろう、という冷静な結論が出てきて、僕はほっとした。

「世界を革命するのは一番には政治です。ですが、その政治に食い込めないとすると、やはり何らかの別の方法を検討しなくてはいけなくなってくる」

 方法って何のための方法だろう。

「脳科学の見地から、脳内物質の調整によって愛という感情の完全制御に成功しました。この手法を用いれば、脳への薬剤注入によって不適切な愛情を完全に恒久的に滅消することができるわけです」

 凄い技術だ。もし望む人がいたら、そんな処置をしてしまうのも立派な選択肢かもわからない。

「男女のSNSの会話を入力として、将来的に関係が破綻するかどうかを高確率で予測するAIシステムを開発しました。これによっていわば愛の真贋が鑑定できるわけです」

 愛の真贋。一見新しい概念だが、ドラマや小説で「そんなの本当の愛じゃない!」みたいなセリフはたくさんあるから、案外簡単に鑑定がつくのかもしれない。高価な美術品などが、専門家などでないと判定できなかったものが、科学の力で簡単に素人でも判断できるようになった。そういうことではないか。

 そしてそれらを実現するのが、愛の呪縛に縛られない冷静で明晰な僕以外の頭脳。僕はただ、ほんのきっかけを作っただけだ。まだほんの数人か、人数もよく把握できていないけど、もしかしたら十数人、いずれにせよわずかな人数で、短期間でこんなに凄い成果を上げる。素晴らしい。

 こうなってくれば、贋物の愛情を抱く人間の脳内を調整して、邪な感情を除去してやれば、平和なユートピアが訪れる。もちろんそんな人を見つけても、ひとりひとり手術を受けさせるわけにもいかないから、結局は妄想でしかないけれど、こんな理想の世界をイメージしているのといないのとで、それだけで未来は少しだけ変わってくるはずだ。

「血液の脳関門を突破可能なナノマシンを開発しました。これによって、外科手術無しにナノマシンを体内に静脈注射するだけで薬剤を脳内に運搬できます」

 おいおい。

「ナノマシンの限られたメモリ内に、その人が行っている会話を音声入力して、件の愛の真贋判定ルーチンを組み込んで、判定まで全てナノマシン内で行える実装に成功しました」

 おいおいおい。

 静脈注射ってところだけがネックだけど、ユートピアが完全に出来ちゃうじゃないの。まあさすがに静脈注射なんかして回れるわけないし、よく出来た夢物語ってところか。

「蚊の体内にナノマシンを配置して、その蚊を一斉に放つことによって効率的に全国民の体内に送ることができます」


 材料が全て揃ってしまった。

 いいのだろうか。問題はそれに尽きる。できるのだろうか、ではなくなった。今までの僕は出来ないことに安心していた。甘えていた、と言ってもいい。

 これは革命だ。今まで、たかが恋愛していない、結婚していない、それだけで日陰者扱いされてきた人々が正当に評価される素晴らしい世界。今までいわば世界の裏側にいたような人たちが、一躍世界の表舞台に立つようになる。

 僕が、ただ首を縦に振るだけで、それができる。


 ……こんな状況で僕が思い出すのはやはりかつて毒ガスを撒き散らした宗教団体のことで、僕たちは全く同じようなことをしようとしているんじゃないだろうか? でも僕たちは殺人を犯すわけでも何でもない。誰一人苦しまず、明らかに世の中は平和になる。まさに無血革命だ。

 正確には蚊に血を吸われるので、一応血は流しているんだけど、蚊に刺されることを流血事件と表現する人はいない。

 僕は言った。


「いいんじゃないでしょうか」


 どこかの教祖と違って、とても奥ゆかしい言い方だと思った。


 放たれたナノマシン入りの蚊の群れ、通称「愛の狩人」はたちまち効果的に感染していった。感染していったかどうか、最初の計画では検証ができないというので、さらにナノマシンにWiFiの回路と暗号クラックの論理を組み入れ、アクセスポイントのある場所からインターネット越しに状況を報告させるようにしたのだ。

 資金的な協力者もいるから増産も捗り、地道な拡散だけが唯一の面倒な作業だったが、日本全国の鉄道駅約一万全てを手分けして半年かけて巡回した。僕には何も能力がないから、せめて技術の要らない拡散部隊に加わるようにした。あるいは事務所でふんぞり返っていれば良かったのかもしれないが、それではまるっきり教祖だ。我々は宗教団体ではなく、飽くまでNPO法人でしかない。僕たちは福祉のために存在している奉仕的な集団だ。

 感染数は一億二千万となった。同一人物の中にナノマシンは複数あるが、重複カウントをしないロジックが組み込まれており、まさにリアルな数字だそうだ。つまりは国民総感染ということになる。

 効果は徐々に現れ始めていた。報道が離婚件数の上昇と婚姻件数の低下を告げていた。一見ネガティブな効果だが、望まない、破局が予想される結婚を事前や事後でも早期に回避したということで、むしろ喜ばしい変化といえる。保守的なメディアは御用学者を呼んで様々に原因を議論した。ネット社会の影響、という定番の論調はもちろん登場して、その中で僕のツイートや僕の著書も取り上げられた。

 だが僕が注目したいのは、むしろストーキングの統計だ。もっともこの統計は警察庁に頼る他ないから、年に一回しか発表されず、確認には年単位の時間を要した。

 それを待つ間、僕は新しい著書やら講演やら、はたまたテレビ出演やらを精力的にこなした。御用学者と戦うこともあったが、活動を続けていくうちに僕のなけなしの正義感はしっかりと育ってゆき、僕もいっぱしの識者として論争ができる人間になっていた。

 しかし、著書は一冊目ほど売れず、講演の回数も減っていった。保守の執拗な層から論敵として呼び出される回数こそ増えたが、肯定的に呼ばれる回数は減ったのだ。それは結局、僕たちの「愛の狩人」の効果が上がっている何よりの証拠だ、と思うことにした。僕を歓迎する人々は、愛という概念がもたらす抑圧が憎いわけだから、その抑圧自体がなくなってくれば僕の出番はなくなる理屈だ。

 そして、注目のストーキング事案の件数だが、二万件あった数字がいきなり翌年には半減した。そして、さらに翌年、二千件にまで低下した。これは劇的と言ってもよかった。僕たちのしたことは全く間違っていなかった。歪んだ愛情というものが、どれだけの悲劇を引き起こしていたことか。

 殺人事件被害者数も、四百人から三百人に低下していた。殺人はもちろん、愛情とは無関係なものも多く、ストーキングほどの数字は出ないがそれでも大変な数字だ。

「あまりにも劇的ですね。大変に喜ばしいことです。ただ……」

「ただ?」

「若干の副作用が。その、既婚率がまだ低下し続けていて、そっちも相当に劇的なことになっていまして、既婚者は二年前の半分になってしまいました」

「別にそれは構わないんじゃないだろうか。結婚しなくてはならないという呪縛から人々が解放されたということなのだからね。愛し合う必要もない者が、わざわざ愛し合うことがなくなった。それだけのことだ。教育などにも良い影響を与えるはずだ。不幸な家庭に生まれつく子供がそれだけ減るんだ」

「しかし、その結果出生率に影響が」

「そうか、それは確かに問題だ。しかし結婚が半減したのなら、幸せな結婚をした家庭が二倍産むように仕向ければいいだろう。国がそのための補助金を出すよう、法律を整備するべきだ。そうすべきだと、テレビなんかでも訴えかけるようにしよう」

「お願いします」


 僕が訴えるまでもなく、国はその政策を取る以外に選択肢がなかった。子供一人あたりの養育にかかる費用だけでなく、それを上回る額を提供し、心理的負担まで軽減しなくては歯止めはかからなかった。所得税も消費税もびっくりするほどの増税となった。それでも愛の呪縛から解放された人々は、思考能力が奪われたわけではなかったから、それをしないと国家が成り立たないことは皆納得して増税に耐えた。


 十年間が経過した。さらに既婚家庭は、活動開始時の四分の一にまで減ってしまい、一方既婚世帯の一世帯あたりの子供の数は五人にとどまった。政策の理想は八人にならなくてはいけない計算だから足りていない。おまけに、新規の婚姻数はかつての百分の一にまで低下して、この先の子供の数はさらに低下することが確実だった。度重なる増税も限界になりつつあった。

 業を煮やした政府は、遂に新たな政策を打ち出した。独身の国民にも等しく、生物学的能力があれば子供を作る義務を課したのである。違反した国民には罰則もあるということだが、今さら結婚を強いることも出来ないし、恋愛感情が失われた国民に恋愛のノウハウも能力もなく、国がどの相手といつまでに関係を持たなければならないか、割り当てを通知することになった。そしてもちろん、出産した女性側が産んだ子を全て育てるわけではなく、その半数は男性側に引き渡されることになった。

 僕はこの政策には反対だった。せっかく、子供たちが正しい愛のある家庭でのみ生まれることができる世界を作ったのだ。これでは昔の不幸な日本に逆戻りしてしまう。そうテレビで論陣を張って見せても、では子供の数を維持する代替案を出せ、と詰め寄られると黙り込むしかなくなってしまう。

 さりとて、今の多くの独身者が愛という感情を全く喪失している事実を説明することはできない。そんなことをしたら僕は逮捕されてしまうだろう。


「取り戻せませんかね」

「何をです」

「愛をです」

「間違った愛でもですか?」

「それでもです」

「無理ですよ。変化は不可逆なので。あるいは地道に研究して、取り戻すような薬物の発見があれば、ナノマシンの仕組みはそのまま使えますけど、どれだけの労力がかかるか」

「国の存亡がかかっていても?」

「国が滅び始めたのであれば、その滅びる方向に任せればいいんじゃないでしょうか」

「あなたは……日本が滅んでもいいと?」

「だって、それって愛国心でしょう」

「無論です」

「国を愛すると書いて愛国心。愛は失われています。対象が国であってもね」

 僕は愕然とした。予想だにしない答だった。急に自分の行動やら存在やらの全てに自信が持てなくなった。そして――絶望が支配した。

「僕たちは……結局間違ったんだろうか。破綻する未来をなくすための行動だったはずですが」

「あるいはそうかもしれません。男女の愛だけに限定して研究を定めてしまった。男女の愛としては破綻する者も、国を破綻させずに愛することはできるかもしれないし、逆もまた然りです。おそらく愛する対象に向き不向きがあるんです。そういう意味では、親がまともに愛し合わない家庭でも、まともに育つ子供も少なからずいたかもしれません」

 しかし……やはり解せない。こんなにも急激に独身者ばかりになるとは予想だにしていなかった。ずっと感染率のデータはチェックしていたが、それだけで安心してしまい、の発動率のデータは全くチェックしていなかった。慌ててチェックしてみると、発動率は、会話から推定されていた年齢で統計し直してみると、少なくとも結婚年齢の範囲に限れば九割を超え、ほぼ全発動といって良い状況だった。

「……この判断アルゴリズム、本当に合ってたんだろうか……」


 アルゴリズムの開発者や実装者に頼んで、そもそものアルゴリズムのデータ推論に誤りがないか、実装は想定どおりかの再検討をしてもらったが、何一つ間違いは発見できなかった。

 開発者と話をした。

「愛ってそもそも宿命的に破綻するものなのかもしれませんね。特に日本では熱情的な恋愛など期限つきの気がします。子はかすがいと言いますけど、かすがいによってのみ繋がっている家庭が大半なのかもしれない。それはとても不幸なことかもしれなくて、我々は不幸を取り除くことはできたかも知れないんです。でも、結局、国家は国民の不幸によって支えられていた。そういうことなんじゃないでしょうか」

「……国民が幸福になった結果、国家が滅ぶと?」

「あるいは、そういう解釈もできるということです。世の中の大抵の事象は多面的です」

「そんな国家なんか、意味がない!」

「意味がないから滅んでるんじゃありませんか?」

「……そんな……こんな船に乗り合わせたら、もう諦めろと、そんなことって」

「まだ滅ぶと決まったわけではないですよ。愛情は無くても子供は育つかもしれません。今まで、正しい愛情の親か、歪んだ愛情の親か、そのどちらかに子供は育てられてきたのだとすると、その二つしか人類は経験していないので。そのどちらでもない親に育てられた子供が、曲がって育つかどうかは、これは実験してみないとわかりません」

「……我々は子供をモルモットにしてしまったんですね」

「人類は――全ての生物は進化論のモルモットですよ。良心の呵責を感じる必要は何もない。人間より神のほうが遥かに残虐なんですから。有名な話ですけどね、聖書の中で、悪魔が殺した人間は十人ですが、神が殺した人間は二百万人だそうで。あ、でも日本潰せば一億二千万でそれも上回るか……でも緩慢に死んでいくわけですから、誰も誰かが殺したとは思いませんよ」


 僕たちは一体、何をしてきたんだろう。僕は何をしてきたんだろう。僕のしたことは何か役に立ったのか、立たなかったのか。そういうシンプルな問いすら、全く答が出なくなってしまった。

 僕たちは、NPO法人『非愛同盟』は、一体何によって繋がっていたのか。少なくとも同胞愛のような〝愛〟ではないとすると、連帯感? 連帯感ってそもそも何だろう。一緒に何かを成し遂げること? 一緒に何かを守ること? それとも、一緒に何かを憎むこと? 最後の一つだけが妙に説得力があるように思えた。

 僕たちは愛を憎むことによって連帯していた。そうして愛を滅ぼして国家も滅ぼしましたとさ。とんだ悪魔だ。あ、悪魔は十人きりだっけ。悪魔を超え神を超え、どこかの宗教団体もびっくりの大悪党。国が滅べばね。滅ばないほうに賭ける。この国で生きていく方法はそれ以外にはない。

 あ、よく考えたら僕も子育てするのか。他人事じゃないや。その前に行為に及ぶのか。童貞なのに。最初からなかったかもしれないけど恋愛感情はない状況で、それでも性欲はちゃんとあるから、行為自体はできるのかな。

 で、迎えた子供を育てるという、よくわからない難事業に挑むわけか。

 こんな状況になってしまっては、NPOも解散だから、職を探さなきゃいけない。といっても、下手に顔が売れてしまって、活動家や評論家としては使えず、さりとて活動家や評論家としてしか使いようがないという、まあ八方塞がりの状況から解決しなくてはいけない。こんな大それたことをしながら、僕が成し遂げたわけではなくて、周りのみんながやってくれて、僕がしたことは首を縦に振ることだけだ。そんな僕が何かを解決できる? 悪い冗談だろう。そんな冗談みたいな親に育てられる子供はとても不幸に違いない。


 それでも、何か不幸中の幸いがあるとすれば、活動を世界展開する前に気づくことができたことかな。蚊たちも海を超えて渡ってはいかないだろうから。少数の個体が飛行機に紛れ込むことはあるかもしれないが、ナノマシンのに自己増殖能力がなくて良かった。最悪の場合、人類が滅んでしまうところだった。

 ふと、部屋に季節外れの蚊が迷い込んできて、僕の視界と聴覚を撹乱した。この蚊はナノマシン入りなのかそうでないのか、多分その世代は死に絶えてしまっているから入っていないとは思うけど、何かの拍子に入ってしまうこともあり得なくはない。だが、はっきりしているのは、入っていようがいまいが、もうどうでもいいということ。間抜けにもその蚊は僕の真正面に飛んできて、僕は反射的にそれを潰した。 

 僕はちょうど合掌するみたいな手の形のまま、こんなことを考えた。日本が滅亡するかしないか、まだわからないけれど、日本という国家がなくなってしまったら、悲しんでくれる国ってあるんだろうか? もしかしたら映画を見ているようなノリで、全米が泣いたりくらいはしてくれるかもしれないね。でも、ハリウッドなら、ハッピーエンドがウケると思うんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『非愛同盟』謹製『愛の狩人』 解場繭砥 @kaibamayuto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ