第48話『ばらゆり-⑤-』

 鷺沼の心にあった負の感情は相当なものだったようで、彼女が泣き止むまでには相当な時間を要した。彼女が泣いている間、私がずっと彼女を抱きしめ続けていた。

 泣き止んだときの鷺沼の目元はとても赤くなっていた。

 私が何か声をかけるべきなのか。鷺沼が語り始めるのを待つべきなのか。私がそんなことを考えようとしたときに、鷺沼の口がゆっくりと開いた。

「……一人になることが怖かった」

 そう言う鷺沼の声はとても弱々しい。

「でも、誰かに本心を伝えることも怖かった。だから、鷺沼彩乃というオフラインの私は、誰にも嫌われないことばかり考えて過ごしてきた。クラス委員っていうのは絶好のポジションだったわ」

 確かに、鷺沼の第一印象は頼れるいい奴、だったからな。それは今でも変わらない。

「安藤さんに近づきたい。付き合いたい。けれど、鷺沼彩乃として行動する勇気が生まれなかった。だから、ネット上で同性に恋をしている仲間を集めることにしたの。そのために私は同性愛を比喩する二つの花の名前をくっつけた『ばらゆり』という名前を付けて、同性愛推進グループ『ホモ・ラブリンス』を立ち上げたのよ」

「そして、鷺沼の想定通り、ホモ・ラブリンスの参加メンバーは増えていった。『ばらゆり』への信頼度も上がり、忠誠するメンバーも現れたわけだ」

「ええ。私は女の子へ恋をしたことはあっても、恋愛経験はない。相談されたときは、漫画や小説を読んで必死に答えを考えたわ。そうしたら、上手くいきましたっていう人が多く出てきてね。私についていく、っていうメンバーまで出てきて。そんな自分に……酔っちゃったんだろうね。同性愛は正しい。正しい方向に導いている私は凄い。そんな私に従うのは当然なんだ、って」

「だから、ホモ・ラブリンスを抜けようとしたり、自分の考えに反論したりするメンバーには酷い仕打ちを与えたんだな」

 そうしていくうちに、ホモ・ラブリンスはリーダー『ばらゆり』による独裁という構成が出来上がってしまったのか。

「……自分の側から離れることが怖くてね。どうしても、それだけは避けたい想いで必死だった。でも、それはかつて私を襲った男達と同じことだったんだよね……」

 沙織さんの話では、ホモ・ラブリンスから抜けようとした女性は、複数人の男性に襲われたそうだ。恐怖心を植え付けることで、自分への忠誠をより強いものにしていった。

「……どんなに時間がかかってでも、どんなにぎこちなくても……自分の口でちゃんと言わないと駄目だって、きっと分かっていたはずなのにね」

「鷺沼……」

 そして、鷺沼は爽やかに微笑んで、

「……あなたのことが好きよ、安藤さん。でも、私の恋はこれで終わり。あなたにはもう想い合っている人がすぐそこにいるんだもの。誰にも敵いっこないわ」

 そう言うと、彼女は由貴の方を見る。

 彼女の様子を見る限り、私への恋心について一つ、けじめをつけることができたみたいだ。長い間できなかった、自分で想い伝えるということができたから。


「……そして、ホモ・ラブリンスはこれで解散よ」


 突然の解散宣言に、ホモ・ラブリンスのメンバーがざわつく。戸惑うメンバーもいれば、呆然としているメンバーもいる。

「私はみんなを騙してきたわ。さっきも言った通り、ホモ・ラブリンスもリーダー『ばらゆり』も、安藤真央という一人の女の子を結ばれるためにあったの。そんな存在はもともとあっちゃいけないものだったのよ。実際に私は多くの人を傷つけてきた」

 確かに、ホモ・ラブリンスは鷺沼の個人的な理由で設立されたグループだ。鷺沼が私のことを諦めた今、ホモ・ラブリンスの存在価値はなくなる。それに、人を傷つけるようなグループは存在しない方がいいくらいだ。

「安藤さん。ホモ・ラブリンスを壊すというあなたの目的は果たされたわ。いえ、同性愛推進グループなんて端から存在しなかった、という方が正しいかな」

「……私から見れば、ホモ・ラブリンスは『ばらゆり』が絶対、みたいな……一つの宗教のように思えたんだ。そんなグループは一度、壊れてしまった方がいいと思ったんだ」

「安藤さんの言うとおりだよ。こんなグループは――」

「でも、どうしてこんなにもホモ・ラブリンスのメンバーはいるんだろうね」

「それは、脅迫とかして私を恐れていたから……」

「違うと思う」

 解散する、と鷺沼が言ったときのメンバーの反応を見れば一目瞭然だ。

「中にはお前に恐れを抱いて、っていうメンバーもいるだろう。でも、お前はちゃんとメンバーの恋心のために行動していたじゃないか。その積み重ねで、ホモ・ラブリンスはここまで大きくなったんだ。『ばらゆり』というリーダーを信頼するメンバーが、こんなにもたくさんいるんだよ」

「安藤、さん……」

「……まあ、他人に危害を加えるようなことをしなければ、ホモ・ラブリンスがどうなろうが私には興味ないんだけどね」

 私はあくまでも、人を傷つけるような団体を壊したいだけだから。そこさえ改めてくれれば、続けようが解散しようがどちらでも構わないと思っている。

「……ホモ・ラブリンスのリーダーは鷺沼、お前だ。さっき言った通り解散するか、撤回して続けていくか。それはお前の自由だよ」

 部外者である私に言えるのはそのくらいだ。

 けれど、ホモ・ラブリンスの未来は何となくだけど見えている。きっと、どうにかなるってね。


「また始めればいいじゃないですか」


 そう言ったのは沙織さんだった。

 沙織さんは鷺沼のすぐ側まで歩み寄って、両手を握る。

「……確かに、あなたは多くのメンバーに、そして真央ちゃん達にたくさん迷惑をかけてきました。けれど、同性が好きな人にとって、ホモ・ラブリンスという存在があることがとても励みになっているんです。実際に私もそうです」

「月島さん……」

「今までのことを皆さんにちゃんと謝りましょう。そして、また始めましょう。もし、できたら……一緒に新しい恋をしましょうよ。私、真央ちゃんに振られた今でも、やっぱり女の子の方が好きなんですよね」

 沙織さんの厳しくも優しいアドバイスを受けた鷺沼は、涙を流しながらもしっかりと頷いていた。

「……うん」

 そして、確かに笑っていた。

 一度、解散して……そして、復活か。もちろん、リーダーは『ばらゆり』のままで。今度こそ本当に同性愛推進グループとして、ちゃんとしたグループになるんじゃないだろうか。沙織さんが鷺沼を支えるようだし、ひとまずは安心して大丈夫かな。


「そうですよ。これからもホモ・ラブリンスはホモ・ラブリンスです!」

「俺はずっと『ばらゆり』様についていくぞー!」

「ただ、周りのことはちゃんと見ていかないとな……」


 鷺沼、分かるだろう? お前は孤独じゃないって。最初の目的が自分勝手なものでも、その過程で色々と頑張った結果が、ここに繋がっているんだ。たくさんの人を傷つけてしまったと同時に、たくさんの人を救ってきたんだよ。


「ありがとう。ありがとう……」


 同性愛推進グループ、ホモ・ラブリンスのリーダー『ばらゆり』という人間の花は今日も立派に咲き誇り、枯れることはずっとないだろう。

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