第47話『ばらゆり-④-』
好きな人の声は、暗闇の中で彷徨い続ける私に道筋を付けてくれているようだった。
「由貴……」
由貴は真剣な表情をして私達の方を見ている。
「真央は信念を今、曲げようとしてる! 僕達のことは気にしないで、まずは自分の信じていることを貫き通して!」
「うるさい! 岡本君は――」
「鷺沼さんはこんな形で真央と付き合うことになっても、幸せになれるの? 真央を幸せにできるの?」
「……幸せになるし、安藤さんを幸せにさせるに決まってるじゃない! そうなるに、決まって……いるわ……」
由貴の問いかけに対し、鷺沼は震えた声で答えた。自分の放った言葉を無理矢理に正すかのように、吐き捨てるような口調で。
「……何よ、自分だったら安藤さんを幸せにできるって?」
「……そうだよ。僕は真央を幸せにしたいと思っているし、真央と一緒に幸せになりたいと思ってる。それが僕の……真央に対する好きっていう気持ちだよ」
既に何人も恐れ抱いている鷺沼に対して、由貴は堂々と自分の気持ちをしっかりと口にしている。
2人は同じような言葉を口にしているのに、光と影のように思えた。
「……へえ、やっぱり岡本君って安藤さんのことが好きだったんだね」
淡々と喋ると、鷺沼は口角を上げて、
「好きなら、死んじゃってよ」
そのフレーズが合言葉となっていたのか、ホモ・ラブリンスのメンバーと思われる複数の女子生徒が由貴のことを取り押さえる。
「ごめんね、安藤さん。あなたの決断なんて関係なく、殺したい人間を見つけちゃった。岡本由貴。ただでさえ男は大嫌いなの。全員消えちゃえばいいって思えるくらいにね。見た目は可愛いから、女の子にしちゃえばいいかな、って思ったんだけれど……安藤さんが好きならそういうわけにはいかないね」
「鷺沼!」
「このままだと、安藤さんが岡本君に傷つけられちゃう。ねえ、岡本君。死ぬ前に一つ、覚えておいて。安藤さんを幸せにすることも、傷つけることも私だけが許されたことなの! 私に謝って、安藤さんに金輪際関わらないと約束してくれたら、女の子にするだけで許してあげるよ。私、自分の言うことを聞いてくれる人にはとっても優しいの」
鷺沼の冷たい笑みはとてつもない恐怖を与えている。
由貴を女の子にするということは、男の子として持っているものを排除すること。それは鷺沼自身を傷つけたものでもある。
このままだと、鷺沼達によって由貴が処刑されてしまう。そうはさせるか。
「鷺沼! これは審判なんだろう? 自分だけ好き勝手に言っておいて、私の言葉を聞かずに由貴に対する処刑をしようとしないでくれるか」
「……ということは、私の提案に対する答えが決まったって認識でいいのね?」
「その通りだ」
この状況を脱するためには、正面から私の気持ちをぶつけるしかない。その気持ちはもちろん、嘘偽りのない本心を。
「私は鷺沼と付き合うつもりはないよ。ホモ・ラブリンスにも入らない」
これまでどんな状況になっても、由貴が好きだという想いは全く消えなかった。それを無理矢理に押さえ込むことなんてできない。そして、好きな人を傷つけられるようなことだけは絶対に避けたいんだ。
「鷺沼。お前が私に抱く好意がどれだけのものなのか分かった。辛い目に遭っていたことも分かった。だからって、それが多くの人を傷つけていい理由になんてならないんだよ! お前のやっていることは正しくも何ともない。人を物のように見ているから、こういう傲慢なことができるんだ!」
「……何を言っているの? 私のしていることが正しくない、ですって?」
「ああ、その通りだよ。鷺沼のやっていることは、お前が男達に襲われたことと同じだ」
「だって! 私は……こういうことをしないと、あなたと一緒にいられないんだもの! 安藤さんにとって、私はその程度の存在でしかない」
涙を零しながら、鷺沼は首を横に振った。
そんな彼女の目の前まで私は歩み寄る。
「鷺沼、もう分かってるよね。私とこうして話せるようになったんだ。もちろん、鷺沼の想うような……その、私と恋人同士にはなれないけれど。男達に襲われたときのように、私を少し遠くで見ているだけの鷺沼じゃないんだよ」
これまでの話を聞いている限り、鷺沼にとって私と一緒にいるということは、私と付き合うという認識なんだ。幼い頃の私と梓を見てきていたから。
「……私、はっ……!」
鷺沼は俯きながら、全身を震わせていた。きっと、彼女の心が揺らいでいるんだ。今から由貴に処刑をして、私と一緒にいられるのかと。それが本当に自分の望んでいたことだったのか、と。
「……私は離れないよ」
「えっ……」
「もう、昔味わったような寂しい想いはさせないよ。だから、もう……こんなことはやめよう。由貴が処刑されたら、私……凄く悲しくなって、後悔し続けると思う。どうしてこんなことになったんだろうって。幸せには……なれないな」
そして、自分本位で誰かを傷つけてしまうかもしれない。鷺沼に復讐してしまうかもしれない。それだけは絶対に避けたい。
「もう、お前が女王様で、お前のためにあるホモ・ラブリンスは今日で終わりだ。それがこの審判で下る決断だよ」
周りを見ていると、戸惑っていたり、迷っていたりしているように見える生徒が多い。果たして、『ばらゆり』の考えが正しかったのだろうか。由貴を取り押さえている女子生徒達さえも、彼を取り押さえるときのような強気な表情は消えていた。
「さあ、こんなことはそろそろ終わりにしようか。でも、その前に……鷺沼にはどれだけ多くの人に痛みを与えたのか、ちゃんと教えないといけないよね」
そして、私が右手を振り上げた瞬間、
「あなたの好きな岡本君は暴力が嫌いだって言ってたよ! 暴力を振ったって何もならないことは、暴力女って呼ばれているあなた自身が一番分かっていることでしょう?」
最後の抵抗なのか。それとも単に痛みを味わいたくないだけなのか。鷺沼は由貴の名前を使って、私にとって一番痛いところを突いてくる。
だからと言って、私は鷺沼に痛みを教えるつもりであることに変わりはない。
「……きっと、そうだろうね。暴力はいけないことだよ。でも、私……馬鹿だからさ、好きな人を守って、鷺沼に止めるにはこれしか方法が思いつかないんだ。だから、ごめんね。全力で頬を叩くから。覚悟しておいて」
例え、由貴に嫌われてもいい。暴力女と呼ばれて、孤立してしまってもいい。
私は鷺沼が逃げないように、彼女の左肩を思い切り掴んで、
――バシンッ!
宣言通り、全力で彼女の左頬を一発叩いた。
彼女を叩いた右手はとても痛く、叩いた際に響いた音はとても鈍かった。
鷺沼は私に叩かれて赤くなっている部分に手を添えて、ただただ俯いている。
しかし、程なくして、
「う、うううっ……」
静かに、泣き始めた。
ただ、その声は次第に大きくなっていく。何年間も溜めた悲しさ、寂しさ、切なさを全て吐き出すかのように。悲痛に響き渡っていく彼女の泣き声は、これまで彼女が伝えたくても伝えられなかった気持ちそのものに思えた。
今でも鷺沼は私と距離ができてしまっていると思っているのだろうか。それは違うとすぐに伝えたいけれど、それを言葉に乗せることが正しいとは思えなかった。喉まで出かかっていた言葉を出すことはできなかった。
鷺沼に必要なもの、それはきっと……。
「……鷺沼」
私は鷺沼のことをそっと抱きしめる。
すると、鷺沼も私のことを抱きしめてきて、頭を私の胸に埋めた。依然として泣いている彼女の声は私の中で確かに響いていた。
こういう状況になり、ホモ・ラブリンスのメンバーに襲われるかもしれないと思ったけれど、誰一人としてそんな雰囲気の人間はいなかった。それは、私達の考えが正しく伝わったことを意味していると思う。
私達はひたすらに待つのであった。鷺沼が泣き止むその瞬間を。
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