第46話『ばらゆり-③-』

 動画の一件を作り上げた人間が香坂梓である。

 それは、私にとって、ホモ・ラブリンスのリーダー『ばらゆり』が鷺沼彩乃であったことよりも衝撃的だった。

「本当、なのか? 梓……」

 それが事実であっても、私の中ではまだ『事実』として受け入れることができていない。だから、今一度、梓に問いかける。

「……そうだよ。学校で岡本君に好きな人がいるっていう噂を流したこと。真央ちゃんが小田桐君を殴った瞬間を撮影したこと。その動画をネット上にアップにしたこと。それは全て私がやったことだよ」

「……そう、なのか……」

 ようやく、動画の一件についての事実が体の中に染み渡り、すっと力が抜けていく。

「ふふっ、ふふふっ……」

 鷺沼の笑い声がやけに響き渡る。

「どうかな、安藤さん。怒りが湧いてくるでしょう? 自分の好きな人を傷つけた張本人である香坂さんが許せないでしょう? そうさせることが私の復讐なのよ!」

 一瞬にして笑みから怒りの表情に変わっていく様は恐ろしく思える。それだけ、鷺沼にとって梓への恨みや執念は根深いということか。


「『ばらゆり』様が怒っていらっしゃる……」

「香坂さんって実は私達の敵だったのね……」


 豹変した『ばらゆり』こと鷺沼に恐れを抱くメンバーもいれば、彼女の気持ちに賛同して梓へ鋭い視線を浴びせるメンバーもいる。

 だが、そんなのはどうでもいい。周りは気にせずに、今はとにかく鷺沼の心に問いかけるんだ。

「……梓は昔から私に好意を抱いていたかもしれない。私から排除したければ、沙織さんや花音と同じ扱いをすればいいのに、どうして梓だけは『復讐』なんだ」

 私のことが好きであること。

 私との距離が近いこと。

 それだけを考えれば、梓と沙織さんと花音は同じだ。梓が一番付き合いの長い女の子だけれど、それでも私の側から離れさせるだけなら、復讐という名目で梓に動画の一件を遂行するのはおかしい。

「……分かるわけないじゃない」

 鷺沼は震えた声でそんなことを漏らしたのだ。

「分かるわけない、ってどういうことだ」

 そう言ってはみるが、分からないことは事実。鷺沼とは縁高校に入学してから出会った人間だし、それ以前に彼女と会ったり話したりした記憶は一切ない。

 しかし、鷺沼の中ではおそらく、私に絡んだ理由で梓を恨んでいる特別な理由がある。走でない限り、ホモ・ラブリンスまで結成して今回のようなことをするはずがない。

「だって……」

 鷺沼の目には涙が浮かぶ。


「だって、香坂さんのことは助けたのに、私のことを安藤さんは助けてくれなかったじゃない!」


 私の知る中で一番の大きな声で、鷺沼はその理由を語った。

「鷺沼のことを、助けなかった……?」

「そうよ! 私は小学生の時から安藤さんのことがずっとずっと好きだった! 一度も同じクラスになったことはなかったけれど、安藤さんのことをずっと見てた。それなのに、虐められっ子の香坂さんを一度助けたら、彼女のことばかり構って! 2人だけの世界に入っていって……」

 そう言いながら、鷺沼の目からは大粒の涙をボロボロとこぼれ落ちてゆく。

 梓と仲良くなった理由は私が彼女を虐める奴をやっつけたからだった。

 けれど、そのことが、それまでにも言われていた「暴力女」という印象を更に強くさせることになり、私は孤立していった。梓の虐めはなくなっていったけれど、思い返せばそんな梓は私にベッタリとくっついていた。二人だけの世界、と鷺沼が言いたくなるのも無理はない。

 孤立していたことや、他人に興味がなかったからか小学生の時に誰がいたかなんて全然覚えていなかったし、梓も私だけいればいい、と言っていたこともあったので、梓も周りに誰がいたのかはあまり覚えていないかもしれない。ましてや、一度もクラスになったことのない人間なんて。その証拠に、鷺沼が同じ小学校の出身だったという事実を聞いて目を見開いている。

「ほら、やっぱり。安藤さんも香坂さんも私のことなんて知らない。そんな私だから、誰にも助けられることなんてなかったのかな……」

「何があったんだ。お前に……」

「……小学校を卒業する直前だったわ。その日もあなたと香坂さんの様子を見ながら、学校の外を出たときに……高校生くらいの男数人に強姦されたの」

「何だって……!」

 もちろん、その事実を初めて知るが、鷺沼に傷を負わせた男達が許せないな。

「……今みたいに怒ってくれるなら、当然嬉しかったよ。でも、あの時は違った! あの時、安藤さんは香坂さんと一緒に歩いていて、こっちには気付かなかった! 口を押さえられたけれど、あなた達に気付いて貰えるように必死に抵抗したのに、気付きそうな感じすらなかった!」

「だから、梓は助けて、自分は助けないって……」

 虐められている梓を助けた私のことを見ていたから、尚更に感じてしまったんだ。自分を助けてくれなかったんだと。悲しさや寂しさ、恐ろしさとともに。

 知らないから当然助けられない。それは正しいのかもしれないけれど、今の鷺沼の話を聞くと、どうして当時の彼女の状況に気づけなかったのか、という後悔の念も生まれてきている。彼女を助けることができていれば、誰かを恨みながら過ごす日々はなかったんじゃないかと思えてしまって。

「鷺沼、さん……」

「……あなたさえいなければ、私は安藤さんに助けられていたかもしれない! あなたが安藤さんを夢中にさせていたから、私は安藤さんに振り向いてもらえなかった。それがどれだけ辛かったか。だから、同じ気持ちを味合わせてやることに決めたの。安藤さんに振り向いてもらえない寂しさと、私が彼女になることの悔しさをね! それが私の復讐。そして、私の生きる糧になっているの」

 いかに私を自分の彼女にして、梓に対する復讐を果たすか。もしかしたら、強姦されたその日から考え始めていたのかもしれない。

「さあ、昔のことも話したし、そろそろ……今回のことにも決着を付けないとね。安藤さん、あなたの答えが全てを決めるのよ」

「何だって……」

「あなたが私の彼女になれば、あなたの大切な岡本君は解放するし、香坂さんのことだって許してあげるわ。彼女の大切な人を奪うようなことはしない」

 鷺沼は他人を蔑むような笑みを浮かべながらそう言ってくる。

 私達とホモ・ラブリンスとでは人数が圧倒的に違う。鷺沼の本性を見て、彼女を支持する人間が減ったとしても、その差は開いたままだろう。

 このままでは無理矢理にでも由貴は処刑され、梓への復讐も続く。沙織さんや小田桐に対する処罰も下されるに違いない。しかし、ここで私が鷺沼の彼女になれば、それらの懸念事項は全てなくなる。

 どうする、どうすればいいんだ。私の好きな人を、大切な人を救うには鷺沼の言うことを聞くしかない、のか……?


「駄目だよ、真央!」


 答えを出せずに、静まりかえる空気になりつつある中、由貴の柔らかくも強い声が響き渡ったのだ。それは、鷺沼の手綱によって引きずられかけていた私の心を、そっと掴んでくれているように思えたのであった。

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