第39話『友情を越えた何か。』

 孤独を抱くようになってからの時間はとても遅く感じる。中学生までは孤独であることに慣れていたはずなのに、どうしてこんなに息苦しいのか。

 好きな漫画を読んだり、音楽を聴いたりすることもせず、食欲もないので食事を作ることもしない。ベッドの上に仰向けになって真っ白な天井をぼうっと眺めているだけ。普段は気にならない時計の針の音も、何時しか鬱陶しくなっていた。

 窓から差し込んでくる光が赤くなり始めた頃だった。

 ――プルルッ。

 スマートフォンが鳴った瞬間、体がびくついた。そして、心がぐらつく。

 誰とも話したくない気持ち。

 でも、誰かと話したい気持ち。

 電話をかけているのが『ばらゆり』かもしれないと思うと湧き上がってしまう怒り。

 色々な気持ちが、心の中に駆け巡って、かき回している。乱れていく感情を早くどうにかしたくて、発信者の名前を確認せずに通話に出る。

「……もしもし」

『……真央ちゃん』

 その声は、私にとって一番落ち着く女の子のものだった。

「……梓、か」

『今ね、玄関の前にいるの。真央ちゃんに……会いたいなと思って。大丈夫、今は私1人だけだから』

 梓の声は誰とも会いたくない気持ちをどんどん溶かしていく。

「ホモ・ラブリンスのメンバーはいないんだな?」

『……もちろん』

 他人なんてもう信じられないと思っていたけれど、梓のその言葉はすぐに信じることができた。

 そして、玄関の扉を開ける。

 そこには、優しい笑顔を見せる縁高校の制服姿の梓が立っていた。梓の言葉通り、彼女以外に誰の姿も見えない。


「……梓」

「真央ちゃんの顔を見て、やっと安心できたよ」


 そう言う梓の可愛らしい笑顔が揺らめいて見える。

 今でも、誰とも会いたくない気持ちが包み込まれているのに、どうして梓の顔を見ると安心できるんだろう。

 梓の手を引いて、家の中に招き入れる。

「……梓」

 梓の名前を呟いて、彼女のことをぎゅっ、と抱きしめる。

 梓の温もりと匂い。それは何があっても決して変わることがなかった、私の唯一の拠り所なんだ。彼女を抱きしめることで、ようやく安心できる理由が分かった。

「寂しかったよ……」

 孤独だと思っていたけれど、孤独じゃなかった。梓と出会ってからは、私には梓という親友がずっと側にいたのだ。灯台もと暗し、とでも言えばいいのだろうか。側にいることが当たり前になっていたから、逆に今の状況が孤独に思ってしまっていたんだ。

「……私、勝手に自分が孤独だと思い込んでた。梓が側にいるのに……」

 こんなにも近くにいるのに。梓への罪悪感が広がっていく。

 すると、梓はそっと私のことを抱きしめる。

「……寂しい、っていうのはね。きっと、孤独じゃないから言える言葉なんだよ。一緒にいたい人がいるから言葉にできるんだと思う。真央ちゃんが私に寂しいって言ってくれることが、凄く……嬉しいの」

 嬉しい、という言葉を聞いて、私は梓の顔を見る。そこにあったのは、私がよく知っている梓の優しく可愛らしい笑顔だった。

「どんなときでも、私は真央ちゃんの側にいたいって思ってる。真央ちゃんが小田桐君を殴ったことにも理由があるって分かっているし、私は真央ちゃんの味方だよ」

「梓……」

 何だろう、この自然と湧き上がってくる温かな気持ち。友情に似ているけれど、友情ではない。一緒にいると安心できて、ずっと一緒にいたいと思って。梓以外には抱けないと思えるこの気持ちはいったい、何なのだろう。


「これからも、ずっと真央ちゃんの側にいるから安心して。……むしろ、一緒にいたいの。私、真央ちゃんのことが好きだから」


 さらりと梓が言った言葉には、私に対する彼女の想いが全て込められているように思えた。あまりにも素直で、優しいから……再び涙が溢れ出してきた。

「ごめん、真央ちゃん……嫌、だった?」

「……そんなことない。ただ、今、目の前にいるのが梓で、一緒にいたいって言ってくれる人が梓で良かったな、と思って……」

「……うん」

 梓は頬を赤らめて、にっこりと笑った。

 その笑顔を見ると、とても嬉しい気持ちになる。いつまでも……ずっとずっと見ていたいという気持ちになる。

 ああ、もしかして……これが、梓が口にした好き、という気持ちなのかな。愛おしいと思うことなのかな。


「梓、私……梓と口づけがしたい」


 きっと、そうなんだ。

 私が抱いている梓への気持ちは、結婚したいっていう意味での好き、なのだろう。その気持ちは梓と重なっているんだと思う。

「……うん、いいよ」

 梓はゆっくりと目を閉じた。そして、ぎゅっ、と私のことを今一度強く抱きしめる。

 多少の緊張はあったけれど、躊躇いなく梓と唇を重ねる。梓の唇はとても柔らかくて、とても温かい。ちょっと甘い匂いがした。

 唇を離すと、真っ赤な顔をした梓は照れくさそうにはにかんだ。

「真央ちゃんの唇ってふんわりしてるんだね。何時までも……口づけしていたいな、って思った。素敵なファーストキスになったよ」

「……私も同じだよ」

 私がそう言うと、梓は一筋の涙を流す。

「ずっと、真央ちゃんと一緒にいたいって思ってたんだよ。真央ちゃんに助けられてからずっと好きだから、真央ちゃんと気持ちを分かち合うことができて嬉しいよ」

「……そっか」

「……岡本君に未練があるかもしれない。今でも迷いがあるかもしれない。それは仕方ないよ。私は分かってるから」

 梓には私の気持ちが分かっているんだな。

 口づけをしたとき、色々な気持ちが駆け巡った。それはもちろん、由貴に関わっていくことばかりで。由貴の可愛らしい笑顔を思い出してしまったのも事実。

「真央ちゃん。ずっと真央ちゃんのことが好きだったから、もう止まれないの」

 梓はそう言うと、左胸に私の右手を当てさせる。


「……今までも。これからも。私は真央ちゃんのものだから。だから、私のことを……好きにしていいよ。むしろ、私のことを求めて」


 今度は梓の方から私に口づけをしてきた。

 私は梓の言葉に……そして、今の私の気持ちに身を委ねる。そんな私のことを梓は全て優しく受け入れてくれる。

 けれど、脳裏には幾度となく由貴の笑顔がよぎって。その度に背徳感に襲われ、苦しくなって。そんな気持ちを梓が和らげてくれて。

 それでも、切ない気持ちがどんどんと積み上げられていくのであった。

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