第38話『禁忌』

 沙織さんのおかげか、ホモ・ラブリンスの連中に襲われるようなこともなく家に帰ってくることができた。

「沙織さん、ありがとうございます」

「ううん、私はただ……真央ちゃんを守りたかったから」

「……そう、ですか」

 私を助けるということはホモ・ラブリンスに歯向かうことを意味する。それがどれだけ自分の身を危険に晒すことになるのか。それを分かっているのに、私のことを自分一人で守ってくれた。本当に嬉しい。

「家に上がっていきますか?」

「……そうしたいんだけど、2時限目から講義があるから……ここでちょっとだけ話すってことでいい?」

「ええ」

 沙織さんに訊きたいことがあるんだ。あまり時間もないことだし、さっさと訊いてしまおう。

「……沙織さん、学校の近くにいたということは、私の行なったことについて……知っていたんですね」

「うん。今朝、ホモ・ラブリンスのメンバーの1人から、真央ちゃんの動画をアップロードしたから見て、って言われてね」

 やっぱり、昨日のあの場の光景を盗撮し、動画をアップロードしたのはホモ・ラブリンスだったのか。

「その動画が、私がクラスメイトの男子を殴った動画だったというわけですか」

 私の言葉に、沙織さんは確かに頷いた。しかし、沙織さんの表情は暗い。

「……動画を見ても、このことを真央ちゃんには言わないでって釘を刺されたの。もし言ったらどうなるか分かるか、って」

「念を押されたということですか」

「そういうこと。でも、あの動画が公開されれば、真央ちゃんがどうなっちゃうか想像はできていた。だから、校門の前で待っていたの。ホモ・ラブリンスにとっても、1人で学校を出てくるところを狙っていたようだから」

 それで、あの時間に沙織さんが学校の近くにいたのか。

「……ごめんね、早く言っていればこんなことには……」

「いいですよ。私がクラスメイトを殴ってしまったことに変わりはありませんから。むしろ、沙織さんに助けてもらわなかったら、今頃……ホモ・ラブリンスのメンバー達に好き勝手に弄られていたと思いますから。本当にありがとうございます」

 沙織さんがいなかったら、と思うと。本当に私は色々な人にホモ・ラブリンスから守られているな。

「私はただ……大好きな人を守りたいだけだよ」

「……沙織さんに出会えて良かったです」

 私がそう言うと、沙織さんの顔が見る見るうちに赤くなっていく。

「そういうこと、言わないでよ。また、本気で恋人にしたくなっちゃうから……」

「あははっ、そうですか」

 汐らしい沙織さんは私よりも年下のように見える。そんな沙織さんがとても可愛らしくて。女の子と付き合うんだったら、沙織さんのような人がいいな。

「も、もうすぐ行かないと遅刻になっちゃう。その講義の先生、時間厳守だから早めに行っていかないといけないから。じゃあ、また家に来るね」

「ええ。1週間……自宅謹慎でバイトも行けないので」

 もしかしたら、バイトを辞めされられてしまうかもしれないけれど。まあ、小田桐を殴ってしまったことは事実なので、解雇になっても文句を言うつもりはない。

「分かった。今日、バイトの時に店長には伝えておく。じゃあ、またね」

 沙織さんは元気な表情を見せると、家を出発していった。

 彼女がいなくなった瞬間、それまで心に照らされていた僅かな光がなくなってしまった感じがした。1人になることが、こんなにも寂しく思えてしまうなんて。中学生までの私だったら考えられなかった。

 何をしようか。ううん、何もする気になれない。梓や桃花達だって授業があるから夕方までは会えないし、沙織さんはバイトがあるから夜にならないと駄目だし。

 由貴が学校を休んでいるので彼に電話をかけようかと思ったけれど、今の状況を考えるとその想いはすぐに消えた。怖いから。

 ――ブルルッ。

 スマートフォンが鳴る。びっくりした。

 まさか、『ばらゆり』とかからの電話なのか? そう思って発信者を確認すると『岡本由貴』となっていた。

「ゆ、由貴……」

 彼の名前を見た瞬間、背筋が凍り、手が震え出す。

 それでも彼の声を聞きたい気持ちが勝ち、通話モードにする。

「もしもし」

『……もしもし、真央』

 由貴の声だ。その可愛らしい声を聞いただけで、幾らか心が和らぐ。

 ただ、状況が状況なだけに由貴にどんな言葉を言えばいいのか分からない。由貴も同じなのか、なかなか次の言葉を言わない。少しの間、無言の時が流れる。

『……友達からLINEで連絡が来てさ。例の動画……見たよ』

「……そうか」

 沈黙を破った由貴の言葉で……終わった、と思った。

 やっぱり、由貴にあの動画を見られたんだ。だから、電話をかけてきたんだろう。見られるのは時間の問題だとは分かっていたけれど、まさかこんなに早く見られるなんて。

「これが、私……『暴力女』の正体だよ」

『そんなことないよ。真央は『暴力女』なんかじゃない! 小田桐君を殴ったことは事実だけれど、それには何か理由があると思って……』

「……そう言って、由貴には見当が付いているんだろう?」

『そ、それは……』

 由貴の揺らぐ声を聞いて、彼が戸惑っていることがすぐに分かった。きっと、由貴は分かっているんだ。何故、私が小田桐に暴力を振ったのか。

 由貴の方から言わないんだったら、こっちから言ってやる。


「由貴へ嫌なことを無理矢理した小田桐が許せなかったんだ!」


 どんなことであっても、由貴が嫌がるようなことをした小田桐が許せない。あの一発では足りないくらいに。

「でも、もっと許せない人間がいる。それは……私自身」

『えっ……』

「当たり前だろ。だって、私は……由貴がもっとも嫌がる暴力を使ったんだ。小田桐のことが許せなくても、由貴のことを守るためだとしても……由貴の嫌がることを使っちゃいけなかったんだ」

 それでも、『由貴は小田桐に無理矢理口づけされた』という事実だけが頭の中に駆け巡り、かっ、となって理性が全く働かなかった。

「私は禁忌を犯したんだ」

『そんなこと――』

「最低だよ。私は……もう、由貴と会わせる顔がない。でも、クラスは一緒だから……話すことは絶対にしないから」

 由貴が何を言いたかったのかは分からない。でも、由貴にとって一番嫌なことをしてしまった私に、もう由貴と話したり、笑い合ったりする資格はない。

『ばかっ……』

「えっ……」

 微かに聞こえた由貴の声に反応した瞬間、


『真央のばかっ!』


 鼓膜が破れてしまいそうなくらいの大きさで由貴はそう言うと、向こうから通話を切った。

 由貴の声で耳がキーン、となっていて。

 それが収まった頃にはもう、何も残っていなかった。本当に、何も。

「これで良かったんだ。これで……」

 由貴との関係性がなくなれば、私をターゲットにしているホモ・ラブリンスは彼を襲うようなことはしない。そう思わないとやっていけない。

「絶対に許さない。絶対に……」

 ホモ・ラブリンスとそのリーダー『ばらゆり』。彼等だけは絶対に許すことができない。これ以上、彼等の思惑通りになってたまるか。

 その想いは正義と言える心から湧いたものなのか。それとも、たくさんの人が巻き込まれてしまったことに対する恨みから生まれた醜い復讐心なのか。考えれば考えるほど、切ない気持ちだけが膨れ上がった。


「もう、こんなのは嫌なんだよ……」


 気持ちは涙へと変わって、溢れ出す。

 高校生になって図らずも、普通の学生生活を送れるようになりつつあったのに、どうしてまた……こんな目に遭わなければいけないのか。私だけ、どうして。

 泣いてもその理由は分からないし、解決もしない。それでも泣くしかなかった。この不安定な心の揺れを少しでも無くしたかったから。

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