第35話『火花散る』

 ――小田桐が由貴に告白をして、口づけをした。

 本人の口から告げられたその事実は衝撃的だった。けれど、小田桐が由貴に口づけをした結果がどんなものであるのかは、今日の由貴の様子や今の小田桐の表情を見ていれば容易に分かる。

「由貴に口づけをした、だって?」

「……ああ」

「……告白をしてから、口づけをしたんだろ。口づけするときの由貴の表情はどんな感じだったんだ」

 今の私には小田桐が由貴に口づけをしたこと自体よりも、その時の由貴の様子の方がよっぽど気になる。

「……俺に好きだって言われて、本当に戸惑っているようだったよ。俺と付き合うかどうか迷っているんじゃなくて、どう言えば俺が傷付かずに断れるか考えているように見えたんだよ」

「じゃあ、無理矢理口づけをしたっていうのか……?」

 私がそう言うと、小田桐は視線をちらつかせながら、

「ああ、そうだよ」

 今にも消えてしまいそうな声で答えた。

 私の中にある怒りがどんどんと湧き上がっているのが、分かる。自分でも嫌だと思うくらいに。

「口づけをした後、由貴はどんな様子だったんだよ」

 どうにか抑えたくて、右手を強く握り締め、振わせながら小田桐に問いかける。


「さあな。口づけしてすぐに部活に戻ったから分からない」


 空虚な小田桐の笑顔は、僅かにあった私の理性さえも暴走させる。

 気付けば、小田桐の胸ぐらを掴んでいた。


「お前のその身勝手な行動が、由貴をどんな想いにさせたか分かってるのか!」


 小田桐に無理矢理に口づけをされて、ショックを受けて。それでも、皆の前ではどうにか頑張って笑顔を見せてくれて。

「お前は満足かもしれないけど、由貴は複雑な想いを抱えていたんだよ。それでも、そのことを私達に悟られないように、必死に笑顔を見せてくれて。ため息をついたところを見られたら謝るような優しい奴なんだ。お前は由貴のそんな姿を見て、何とも思わなかったのかよ! 答えろ!」

 由貴の顔を見て、由貴の後ろ姿を見て、小田桐という人間が何も想いを抱かないはずがない。

 無理矢理にでも答えさせてやる。由貴のことが好きなら、今日の由貴をどう思ったのか……どんな言葉でもいいから吐かせてやる。

「答えろって言ってんだろ! 聞こえなかったのか!」

 小田桐の体を激しく揺さぶる。

 それでも、暫くの間、小田桐は無表情のまま口を開かなかった。

「……俺がやったことは、決して正しいとは言えないよ。でも、あの時、俺はああするしかなかったんだ。無理矢理にでも、岡本を俺の方に振り向かせたかったんだよ」

 嫌味なんて全くない、諦めに満ちた小田桐の笑顔が許せなかった。


「ふざけるな!」


 鈍い音と、痛みが響いた。

 こんな人間に、由貴は無理矢理口づけをされたのか。今の笑みを見て、小田桐の口づけが由貴にとって、どれだけショックを与えていたものなのか分かる。

 小田桐は私に殴られたことで、無様にもその場で倒れていた。

「それが、好きな人に対してすることなのかよ!」

 私がそう言うと、小田桐は鋭い目をして私のことを見てくる。

「……何であんなことをしたんだって思うさ! でも、岡本に好きな人間がいるかもしれないって噂を聞いて、安藤かもしれないっていう噂もあって。普段の岡本と安藤の様子を知っている俺がそんなことを聞いたら、焦らないわけがないだろ!」

「それでも……」

 当時の小田桐の気持ちは分からないわけでもない。それでも、大事な人が傷付いてしまうかもしれないことを、無理矢理にするような気持ちは分かりたくなかった。たとえ、焦っていようとも、好きな人のことを傷つけるなんて考えられないから。


「どんなに由貴が好きでも、たまらなく欲しくなっても、由貴の嫌がることだけは……私は絶対にしない」


 誰かから無理矢理に嫌なことをされる。それはとても悲しくて、寂しくて、時には絶望感をも与えてしまうんだ。私はそれを知っているつもりだ。昔から『真男』と揶揄され、『暴力女』と罵られ、無視される。最近では未遂ではあるものの、ホモ・ラブリンスの連中に襲われる。あの団体からは常に狙われている。


「自分が由貴にどんなことをしちまったのか考えろ。そして、これから由貴に何をすべきなのかも。由貴が好きな小田桐なら、すぐに分かるだろ」


 それだけを言い残して、私は自習室を後にする。

 廊下を歩いていると、私のことを見てくる生徒の多くが恐がった表情をして、私から一歩遠ざかる。こんな反応をされるのは中学生以来だ。

 私は人を待たせているんだ。早く行かなきゃ。

 ――噂はどこから流れ始めたのか。

 ――小田桐の言う『心当たりのある人物』とは誰なのか。

 ――そもそも、由貴の好きな人は誰なのか。

 気になることはたくさんあった。本当にたくさん。

 それでも今は怒りの所為で冷静に考えることができなかった。静まるべき怒りがなかなか収まってくれない。どうしてなのだろう。

 ――由貴が小田桐に無理矢理に口づけされたから?

 ――由貴を小田桐に取られたように思えたから?

 小田桐の顔を見ていると、その想いが強かった。小田桐に嫌なことをされた、ということが頭に焼き付いていたからだ。

 でも、自習室を出た瞬間にそれはとても小さくなっていて。その代わりに別の想いが大きくなっていたんだ。

 ああ、だから怒りが収まることもなければ、大きくなることもないのか。

 きっと、私は信じていたんだ。男同士であっても、小田桐なら由貴と真摯に向き合える。何があっても小田桐なら由貴の嫌がるようなことはしない、と。私は裏切られたんだ。それは小田桐ではなく、小田桐を信じる私自身に。

 それでも、ほんの少しずつだけれど時間が経てば怒りは小さくなっていく。確かに残ったのは、右手にじわじわと広がる痛みだけなのであった。

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