第34話『せつな』

 頭に入らない授業。

 何故なら、由貴には好きな人がいる、という噂で頭の中がいっぱいだったから。いても立ってもいられなくなりそうだったので、気持ちを少しでも落ち着かせるために板書をノートに書き殴った。

 そして、今日の授業は全て終わった。

 終礼が始まるまでの間、私は由貴のことを時々、ちらっと見たけれど、友達と話している由貴の笑顔にはいつもの明るさが欠けているように思えた。そして、一人になった途端に瞬間的に見せるため息が、今の彼の心の状態なんだろう。

 本当に何が由貴にため息をつかせているのだろうか。それは、学校中に流れている噂なのだろうか。

 答えの見えないことを考えていると時間はあっという間に過ぎていくもので、気付けば終礼も終わろうとしていた。

「はい。じゃあ、今日はこれで終わり! 気をつけて帰ってね」

 担任の言葉で今日の学校生活も終わった。

 クラスメイトが各々の目的の場所へ向かおうと教室を出て行く中、私は真っ先に由貴の所へ向かった。由貴のため息の理由を知りたかったから。

「由貴」

「……ん? どうしたの?」

 本当に誰かの前では可愛らしく、優しい笑顔を見せてくれる。

「いや、何だか……今日の由貴は元気がないように見えたからさ」

「……そうだったかな。ごめんね、心配かけさせちゃって」

「もし、疲れているんだったら、家で好きなことをしてゆっくり休みな。何か心配事だったり、悩み事があったりしたら……遠慮なく、私に言ってきて」

 由貴の噂について訊こうかと思っていたけれど、どんな言葉が由貴の口から飛び出すかが恐くて訊けなかった。

 いや、恐いのはそれだけじゃない。私が例の噂を訊いてしまったら、作り笑顔さえもできなくなりそうな気がしたから。

「……ありがとう、真央。今日は部活もないし、真っ直ぐ家に帰ることにするね」

「……そっか」

 今日はバイトもないし、勇気さえ出せば由貴と一緒に放課後を過ごせそうだけれど、本当に由貴が疲れているかもしれないので、止めておく。

「じゃあ、また明日ね、真央」

「ああ。また明日」

 由貴は私に向かって手を振って、教室を後にしたのであった。

「訊けなかったな……」

 噂の真実を知るのは明日まで持ち越しかな。今から色々な人に聞いて本当のところを知るのもできるかもしれないけれど。でも、由貴の知らないところで彼のことを探るようなことをするのは嫌だった。

「私もそろそろ帰るか……」

 ホモ・ラブリンスのことを考えて、今日も亜紀や桃花と一緒に帰ることになっている。2人とは昇降口で待ち合わせをしている。

 教室を出て、2人の待つ昇降口へ向かい、生徒も少なくなり始めた廊下を歩いているときだった。

「安藤」

 声をかけてきたのは小田桐だった。彼はバックなどの荷物は何も持っていない。

「小田桐か。何か教室に忘れ物か?」

「……いいや。ちょっとお前と2人きりで話したいことがあって。少人数で使える自習室があるんだ。一緒に来てくれないか」

「ああ、分かった」

 私と二人きりで話したい事って何だろう。一瞬、そう思ったけれど、すぐにそれは由貴の噂のことなんじゃないかと思い至った。そのくらいしか考えられない。

 ――由貴の好きな人って小田桐なのか? 

 ――由貴と付き合い始めたって報告するのか?

 色々な想いが心の中で渦巻いて、胃がキリキリしてきた。

 そして、自習室に到着する。中に入るとそこには小田桐の荷物だけが置いてあって誰もいなかった。

「それで、私に話したいことって何だよ」

 窓の方を見て、私に背を向けている小田桐だったが、

「……安藤も知っているだろ。岡本に好きな人がいるかもしれない、っていう噂」

 やっぱり、そのことなのか。私は覚悟を決めた。

「ああ、知ってるよ」

 噂がある、ということしか知らないので、私は淡々と答える。

「……実は、俺……昨日の放課後に、サッカー部の奴から聞いたんだよ。岡本には好きな奴がいるってさ。かなり、好きらしいって」

「由貴の意中の相手が誰なのか、名前は聞いたのか」

 由貴の噂について一番知りたい部分を訊いてみるが、小田桐は首を横に振った。

「……分からない。でも、俺には心当たりがあった」

「な、何だって!」

 由貴が……周りの人間に好きな人がいると感付かれてしまうくらいの素振りを見せていたっていうのか? 私には……全然分からなかった。

「そいつのことを考えていると、俺には焦りしか残っていなかったんだ。このままだと、俺の想いを伝えられないまま、岡本はそいつと恋人になってしまうかもしれない。だから、俺は茶道部にいた岡本を呼び出したんだ。ここに」

「ま、まさか……」

 今の小田桐の話が、今日の由貴の元気のなさに結びついてしまったんだ。小田桐が由貴に何をしたのか、嫌な勘が働いてしまった。


「好きだって告白して、口づけをしたんだ」


 私の方を振り返った小田桐の顔はとても切なそうに見えた。そんな彼から放たれる告白の告白は冷たく、儚く感じるのであった。

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