第15話『さざなみ-前編-』

 四月十四日、火曜日。

 嫌がらせの正体が分かってから、授業もちゃんと受けられるようになった。といっても、それぞれの教科の初回については、担当の教師の自己紹介で終わることが多いから、まだまだ楽なときが多い。

 今日も放課後になり、バイトに向かう。

「おっ、真央ちゃん。学校お疲れ様」

「沙織さんも大学お疲れ様です」

 バイト先のコンビニには既に制服に着替え終えた沙織さんがいた。これから少しの間は沙織さんと同じシフトで働くことになっている。

「高校生活はどう? さすがに授業は始まったよね」

「ええ、昨日から。まあ、まだ始まって間もないですし、自己紹介とか雑談とかをしている先生が多いですね」

「最初はそんなもんだよね。大学の方も今週から講義が始まってね。でも、初回で履修登録っていうのをしてない段階だから、雑談してる先生は多いよ」

「意外と高校と変わらない感じなんですね」

「まあね。高校生の方が真面目に授業受けてるかも」

 と、沙織さんは快活に笑いながらそう言った。

 大学ってそういうものなんだな。時間割を自分で決められるから、その分、しっかりと授業を受けているものだと思ってた。

「そういえばさ、真央ちゃん」

「何ですか?」

「日曜日に来ていた男の子……由貴ちゃんだっけ。彼とはどういう関係なの?」

「……へっ?」

 いきなり訊かれるもんだから変な声を出してしまった。着替え中のことだから、思わず腕を首の所から出すところだった。

「ク、クラスメイトですよ」

「……声の震え方が怪しいなぁ」

 うううっ、シャツから顔を出したくないんだけれど。

「それにしては、由貴ちゃんの着ていたときの真央ちゃんは楽しそうだったよ」

「そ、そうですか……」

 小田桐も同じことを言っていたな。由貴といるときは普段よりも楽しそうにしているって。確かに由貴といるといつもよりも楽しいのは事実だけれど。第三者であるからこそ気付くことなのかもしれない。

「まあ、気になってはいますよ。可愛いですし」

「そうなんだ。まあ、真央ちゃんは格好いいから、可愛いものが好みっていうのは納得できるかも」

 声色からして、沙織さんは本心からそう言っていることが分かったけれど、それでも今の言葉はあまり耳当たりが良くなかった。

 ようやく着替えを済ませ、近くにあった鏡で自分の顔を見る。うん、変ににやけていたり、顔が赤くなったりはしてないな。

「どうしたの、鏡なんか見て。顔に変なものはついてないよ」

「……いえ、変なところはないかなって確認しただけです。これからお客様の前に出ますから」

 にやけたりしていたらまずいからな。

「おっ、いい心掛けだね。そういう私はあんまりやってないけれど」

「そうですか。でも、沙織さんは可愛らしいから大丈夫じゃないですか?」

「そんなこと言っても、私からは何も出ないよ」

 そう言いつつも、沙織さんはとても嬉しそうだった。こういう笑顔に惹かれる人、きっと多いだろうな。大学では人気がありそう。

「じゃあ、今日も始めようか」

「宜しくお願いします」

 そして、今日も沙織さんと一緒に仕事を始める。

 さすがに一度やっただけあって、日曜日と比べると一人でこなせることも多くなってきた。でも、まだまだ沙織さんには程遠い。バイト中はいつも素敵な笑顔を見せている。私もああいう風になりたいなぁ。慣れていけば彼女のようになれるのかな。

「真央ちゃん、手が止まってるよ」

「すみません」

「私のことを見て勉強するのもいいけれど、手を動かさないと何にもできないよ?」

「……そうですね。沙織さんの仕事ぶりに見とれてしまいました」

「あははっ、真央ちゃんって意外とキュンとする言葉をさらりと言うんだね。もっと、クールで口数が少ない子だと思ってた」

「……私はただ、素直に思ったことを言っているだけなんですけどね」

 と言いながらも、由貴にはなかなか好きだという想いは伝えられないんだけどな。私は沙織さんの言うようなクールでかっこいい女の子なんかじゃない。

「あっ、この商品……在庫がないな。真央ちゃん、ちょっと手伝ってくれるかな」

「はい、分かりました」

 私は沙織さんと一緒にバックヤードの方へと向かう。バックヤードには様々な商品の在庫が置かれている。

「えっと……あっ、これこれ」

 沙織さんの探していた商品の在庫が入ったものが見つかったらしい。沙織さんは背伸びをして棚にある段ボールを取ろうとしている。

「沙織さん、それを取ればいいんでしたら私が……」

「ううん、大丈夫だよ。……きゃあっ!」

「沙織さんっ!」

 ようやく段ボールを持ったのだが、後ろに倒れそうになった沙織さんのことを背後から支える。その瞬間、沙織さんの甘い匂いがふんわりと香った。

「沙織さん、一度、段ボールを床に置きましょう」

「う、うん……そうだね」

「私が段ボールを支えていますから、沙織さんはそのままゆっくりとしゃがんでください。そうすれば大丈夫なので」

「……分かった」

 そして、私が段ボールを支える中、沙織さんはゆっくりと体勢を低くし、段ボールを床に置いた。

「これで大丈夫ですね。沙織さん、怪我とはありませんか?」

「……う、うん。大丈夫だよ。ありがとう、真央ちゃん」

 私の方に振り返った沙織さんの顔はとても赤くなっていた。視線をちらつかせていて、私のことをちらちらと見ている。

「真央ちゃんがいなかったら、大変なことになってたよ。本当にありがとう。その……とても嬉しかったよ」

 そう言う沙織さんは笑みを浮かべていたけれど、普段よりもいつもとはどこか違う笑みだった。後ろに倒れそうになっていたから、未だにその時の驚きの余韻があるのかな。

「とっさに体が動いただけです。沙織さんを助けたいですから。だから、沙織さんのことを助けることができて良かったです。でも、本当に沙織さんに怪我がなくて良かった」

「……ありがとね」

 やがて、沙織さんの笑みはいつもの可愛らしい笑みに戻る。

 今度は私が段ボールを持つけれど、なかなかの重さがあった。これを自分の背よりも高い場所から取ろうとしたら、後ろに倒れそうになってしまうのは仕方ない。沙織さん、私のために頑張ろうとしていたんだな。

「沙織さん。まだまだ新人ですけれど、こういう力仕事は私に言ってください。そのくらいだったら、力になれると思うので」

「……さっきのことで、それは分かったよ。頼りにしてるよ、真央ちゃん」

「ありがとうございます」

 今の私にできることは何なのか。どのようなことをすればいいのか。それが少しずつ分かってきたような気がしたのであった。

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