第4話『再会』

 4月7日、火曜日。

 今日はオリエンテーションだけなので、昼過ぎには終わってしまう。この短い時間の中で岡本君と話そうと思っている。

 けれど、現実はそう甘くはなかった。

 とっても可愛い岡本君には男子を中心に集まっていて、それに加えて彼の後ろの席に座っている超イケメン君の所為で女子までもが集まってしまっている。あまりにもご立派な人の壁だから、岡本君を私から守っているんじゃないかと思えるくらい。

 私の持ち前の鋭い目つきと、入学してから瞬く間に広まった「暴力女」の力を使えば岡本君から人が離れるかもしれないけれど、下手したら岡本君本人が私から離れる事態になりかねん。ここは大人しくして機会を伺った方がいいかもしれない。

 しかし、何もしなかったことが災いしたか、彼を囲む人だかりはなくなるどころか更に拡大することに。

 結局、彼と接触するどころか話しかけることすらできずに、今日の日程が全て終わってしまった。

 午後1時。

 虚しい気持ちを抱える中、私は梓と一緒に教室を後にした。

「岡本君と話せなかった……」

「あんなに取り囲んでいたら、さすがに無理だよ。でも、焦らなくていいんじゃないかな。クラスメイトなんだし」

「そうだよね。でもなぁ」

 クラスメイトだからこそ、1日でも早く話したくなるんだよ。もし、岡本君と話せていたらと思うと物凄く無駄な1日を過ごしてしまった気がする。

 そして、昇降口を出たときだった。

「あっ、筆箱忘れた……」

 正門を出ていないから戻る気になるけど、ローファーを履いてしまっているからちょっと面倒臭い。

 別に家で筆箱を開けることはないけれど、置きっ放しというのも気に入らない。

「仕方ない、戻るか……」

「じゃあ、私も一緒に戻るよ」

「すぐに戻ってくるから、梓はここで待ってて」

「……うん、分かった」

 梓はちょっと寂しそうな表情をした。

「行ってくる」

 私は小走りで校舎の中へと入る。

「教室に誰もいないといいな」

 人がほとんどいないのに私が現れると気まずい空気になることは確実。きっと、そうならないのは梓と岡本君と、彼の後ろに座っているめちゃイケメン君くらいじゃないだろうか。

 1年3組の教室に到着し中に入ると、

「あっ、安藤さん……」

 岡本君が1人、教室の中にいた。バッグを持っているということはこれから帰るところなのかな。それにしても可愛いなぁ。

「何か忘れ物でもした?」

「……へっ? あっ、うん……筆箱を忘れちゃって」

 驚いて変な声出しちゃった。恥ずかしい。

「そっか。僕も忘れ物しちゃって、戻ってきたところだったんだ」

「そうだったんだ」

 まさか、同じタイミングで忘れ物をするなんて。ありがとう筆箱。面倒でも君を取りに戻ってきて良かったよ。

「でも、安藤さんとまた話せる時が来て良かった」

「えっ?」

 今、また、って……言ったよな。

「……あの時、安藤さんがいなかったらどうなっていたことか。実はあの時、友達と約束をしていて。安藤さんのおかげで約束の時間に会えたんだ。だから、また安藤さんに会えたらきちんとお礼が言いたいって思ってた」

「そう、だったんだ……」

 私のことを覚えている素振りなんて全然見せていなかったから、てっきり、私のことなんて忘れていると思ってた。運命の人は岡本君じゃなかったと思ったほど。


「安藤さん。また会えて良かった。あの時は本当にありがとう」


 そう言う岡本君の笑顔は、きっと今までに出会った誰よりも可愛くて、その可愛さにまた虜になってしまった。同時にとても温かい気持ちになる。

 何だか、やっと岡本君に再会できた気がした。

「私はただ、夢中だったから。困っている人を見ると放っておけなくて。あの日も、岡本君の不安をどうにかなくさなきゃ、って気持ちでいっぱいだった」

「そうなんだ。僕、何度か安藤さんが人を殴る恐い人だって言われたけれど、僕はそんなことないって思ってる。優しい人だって知ってるから」

「……そう言ってくれると、私も嬉しいよ」

 人を殴ったことがあるのが事実だからこそ、岡本君が私と距離を取ってしまわないかどうか不安だった。でも、私のことを信じてくれていたんだ。

 嬉しくて、気持ちが高ぶる。岡本君と2人きりだから、その高ぶり方は尋常じゃない。

 このまま岡本君と2人きりでいられたら、どれだけ幸せだろうか。

 どんなに無理矢理にでもあなたと2人きりになりたい。あなたのものになりたい。

 気付けば、私は岡本君の両肩を強く掴んでいた。

「安藤、さん……?」

 岡本君の赤らめた顔も、口も……すぐ、そこにある。そんな状況の中で、私は岡本君に何を求めているんだろう。

「岡本君、私のことを……」

「う、うん……」

 私は岡本君のことをすぐ目の前で見つめながら、


「私のことを、下の名前で呼んでくれないか!」


 今の私にはこれが精一杯だった。付き合ってください、とか……何も言わずに口づけするというようなことはできるはずもなくて。

 岡本君はくすっ、と笑った。

「うん、もちろんだよ」

「……そっか、ありがとう。……由貴」

「僕も同じだったから。……真央」

 きゅん。

 好きな人に下の名前で呼んでもらえるのがこんなにも嬉しいなんて。油断したら心臓が爆発するかもしれない。

「真央の笑顔、初めて見た。可愛い」

 きゅんきゅん。

 好きな人に笑顔が可愛いと言ってもらえるのがこんなにも嬉しいなんて。油断しなくても心臓が爆発するかもしれない。

「……ゆ、由貴の笑顔だってか、可愛いさ」

「……可愛い、か。真央から言われると嬉しく思うな」

 そう言う由貴はとても魅力的な笑顔を見せてくれる。それがまたとびきり可愛くて。男子だということが未だに信じられなかった。

「真央ちゃん、どうかしたの……って、あれ?」

 梓の声が聞こえたような気がして廊下の方に振り向いたら、その悪い予感が当たって梓がぽかんとした表情をして突っ立っていた。

 私は慌てて由貴から離れる。

「こ、これはっ……!」

「……お、お邪魔だったかな?」

「お邪魔じゃないお邪魔じゃない! 全然お邪魔じゃないから!」

 本当は二人きりでいたかった気持ちもあれば、二人きりだと由貴を襲っちゃいそうだったから思いとどまれて良かった気持ちもあるんだけれど。

「そういえば、香坂さんと一緒に教室を出て行っていたね」

「まあ、ね」

 由貴も一緒に帰ろうよ、って言おうとしたときだった。彼ははっ、とした表情になって、

「僕も小田桐君達を待たせているところだったんだ! ごめんね、僕はこれで! また、明日ゆっくり話そうね!」

「ああ、じゃあまた明日!」

「うん、また明日!」

 そう言うと、由貴は小さく手を振って、慌てた様子で教室を飛び出していった。

 何だか夢のような時間だったな。由貴と2人きりで話せたなんて。しかも、また明日って言ってくれた。ゆっくり話そうね、って由貴から言ってくれた。

「私、高校生活には全く悔いはない……」

「まだ始まって2日目なのに大げさだなぁ。でも、良かったね。岡本君と話すことができて」

「本当に良かった」

 有頂天、という言葉はまさに今のような気持ちのことを言うんだと思う。由貴と話せて本当に嬉しい。

「そうだ、今日は家に来る? 昼ご飯作るけど」

「うん、ありがとう。真央ちゃん。ちなみに何の料理を作るつもりなの?」

「私が作るっていったら、中華に決まってるだろ」

 というよりも、中華以外にあまり作れる料理がないんだけれど。

「真央ちゃんらしいなぁ。岡本君に惹かれるためにも、女の子っぽい料理を覚えていった方がいいんじゃない?」

「料理の真髄は火だ。火を使わない料理なんて料理じゃない。それに、男を虜にしたいなら胃袋を掴めって言うじゃないか」

「……まあ、美味しい料理を作ってくれる女の子はいいよね。私は好きだなぁ」

「それなら、今日は家で私の作る中華を食べていきな」

「あははっ、分かったよ。じゃあ、お邪魔するね」

 良かった、来てくれることになって。

 両親が海外に行ってしまってから半月ほど経って、やっと1人での生活も慣れてきたけれど、それでもまだまだ1人では寂しいときもあって。1人で食事をするよりは、誰かと一緒の方がいい。

 ――いつの日か、由貴と一緒にご飯を食べられたらいいな。

 そんなことを思いながら、梓と一緒に家に帰るのであった。

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