2、秘密の伝言
約束の時間に、マノはユールの家へ出かけた。途中でナダも拾い、二人で歩く。
「ユールが直接頼みに来ればいいのに」
「あいつじゃ、昨日断られたときに諦めて帰っちゃうだろ」
それはそうだ、とマノは思った。マノ、ナダ、ユールは昔から幼馴染として仲が良いが、たいていマノが仕切り、ユールが付いていき、ナダが調整するというのが常であった。
緩やかな下り坂を二人は歩く。少し風が強く、晴れた日である。マノの長いスカートが海風に吹かれて足にまとわりついた。
「風の季節が長いみたいね」
「今年はね。風車が喜んでる」
ぽつぽつと話しながら坂を下る。
やがて緑の屋根のパン屋に着いた。ユールの家はパン屋を営んでいる。小麦の焼けるいい匂いが漂い、ユールの母親が整えた花がパン屋を囲む、この辺りでも雰囲気の良い場所だ。
よほど待ちかねたのか、パン屋の前でユールが立っていた。線の細い少年である。肩より少し上にそろえた麦色の髪はさらさらと風に流れて、いっそ少女のようでもある。
「お待たせ、ここで待ってたの?」
確かに季節と天気はいいが、わざわざ外で待つようなことでも無い。普段は店番をしながら待つか、部屋にいるような子であるのだ。
「あら、手はどうしたの」
ユールの右手は手当されており、明らかに怪我をしていた。
そのユールが、マノの言葉にかぶせるように言った。珍しいことだ。
「ねえ、海の見える塔へ行かない?」
「塔?」
海の見える塔はここからまた少し歩いた先にある。公園のような施設だが、人の出入りは少ない。
「やっぱり伝言したいのは誰かへの告白なの?」
「まさか」
「じゃあ、……」
マノは口を閉ざした。家の外で待っていたユール。そしてわざわざ人気のない場所を指定する訳。家族に聞かれたくないこと、なのだろう。
さっきから余計なことは言わずに立っているナダの振る舞いからしても、おそらくはそうなのだ。
三人は海の見える塔へ向かった。先ほどとは違い、会話はほとんど無い。マノの長いスカートが海風にはたはた、はたはたと鳴った。
海の見える塔は今日も、やはり人影は見えなかった。
「さあ、着いたけど、それで頼みごとってなんなの?」
「マノ、その聞き方じゃ怖いよ」
ナダがいつもの通り間に入る。
「ユール、マノに頼みたい伝言があるんだろ」
ユールがうなずくと、カバンに入れていた紙を取り出した。
封筒に、畳まれた紙。手紙であろう。
「この手紙、前から僕がやりとりしてる子で、ベルデ通りに住んでる女の子なんだけど」
「初耳だわ」
「こんなことでもなきゃ言わないよ」
まあそれはそうだ、とマノは思う。幼馴染とはいえ四六時中一緒にいるわけではないし、ユールにもマノにもそれぞれ同性の友達がいるから、話すならそちらに話すだろう。
「わたしが声を運ぶのは、その子なの?」
「そうなんだ」
不思議だ、とマノは思った。手紙でやりとり出来るなら、なおさらマノのちからは要らない。文字の方が正確で、確実だからだ。
「そもそも、手紙のやり取りが始まったのは偶然なんだ、少し前の話なんだけどーー」
ユールの話はこうだ。パン屋の店じまいをしていると、床に紙片が落ちていた。財布を取り出したときに落としでもしたらしい。そこには短い物語が書かれていて、それをユールはとても気に入った。出来ることなら、書いた本人に会いたいと思って、その紙片をだいじにしまった。
次の日、少女がただならぬ悲痛な面持ちで訪れ、昨日ここに紙切れが落ちていませんでしたか、わたしのものなんですけど、と悲壮な顔の割にとても小さな声で聞いた。
これを書いた本人であるとすぐにユールは気がついたが、おそらく読んで欲しくなかったのだろう彼女の意図を汲んで、忘れ物がありましたと紙を渡すだけに留めた。
が、彼女の書いたものがもっと読みたかったユールは、後を追った。そしてベルデ通りにある家を突き止めた。
「ユールでなかったら出すべきところに突き出すところだわ」
「俺もそう思った」
ため息交じりのマノとナダの感想が入ったが、全くもってそうであろう。ともかくユールは突き止め、彼女がいつも物語を書く場所にしている図書館を突き止め、男性が苦手であることも突き止めた。
「ユール、あなたしばらく見ないと思ったら何やってんの」
「でもほんとに続きが読みたかったんだ」
そして彼女の作品が図書館主催の品評会で上位を獲ったことを知ったユールは、図書館を通じて手紙を出すことに成功する。
「女の子として出したんだ、彼女は男性が怖いって聞いて」
は、とマノとナダが呼吸して、
「いや男だろユール」
「名前は?住所でばれなかったの?」
「ユーリエっていう妹が手紙を」
「一人っ子じゃないあなた、兄弟いないでしょ!」
「だってユールじゃ男の名前じゃないか!」
「つかどこが偶然なんだよ、しっかり追いかけてんだろ!」
さすがにそこまで聞いていなかったらしい、いつも止め役のナダまでわいわいと話し始める。
「なんだかややこしいことになりそうだわ」
マノが頭を抱えた通り、事態はさらにややこしくなるのだった。
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