3、待たれていることば

「とにかく」

マノが言う。

「女の子として手紙をやりとりしてたわけね、あなたは」

「そうなんだ」

ユールはため息をついた。

「最初から自分のままで手紙を出せばよかったんだけど」

ユールは話した。

「そこに来て、この手だろ、手紙がかけなくて」

右手を軽く上げる。布で丁寧に手当てされているが、指まで布に覆われて確かに文字を書くことは出来なさそうだ。

「代筆、は、」

マノは言いかけて口をつぐんだ。親しい手紙のやり取りを、人に伝えて代筆させるのは勇気のいることだろう。

「うんまあ、代筆することも考えたけど、それよりマノのちからがあるなと思って」

「光栄だわ」

マノはつぶやく。

「手が治るのを待てないのには、理由があるんだ。彼女、最後の手紙でもうやりとりするのはやめようって書いてあって、それで」

それきり、ユールが怪我をしてやりとりが途絶えてしまったのだという。

「もう直接会いに行けば」

「男だってばれるじゃないか」

「声だけだってどうなんだ、たしかにユールの声は高いけど……」

ナダが言って、ふとマノとナダの視線がユールに集中し、

「案外このまま会いに行っても」

「女物着せればいけるんじゃない」

「いやさすがに体格は男か。顔はいいとしても。髭、目立たないよなあユール」

「ねえ、二人とも酷くない?」

こそこそと、しかし聞こえるように話し合う二人にユールが文句を言うが、そもそも

「おまえが嘘つくからややこしいことになるんだろ」

という訳である。

「それで、わたしは何を運べばいいの」

「うん、それが」

ユールと少女は、主に少女が書いた物語とその感想をやりとりしていたという。それが終焉を待たずに突然やりとりはおしまい、もう物語も書かないと伝えて来たというから、確かに気になる話と言えよう。

「なるほどね」

マノは両手を胸の前で合わせ、水を受けるような形にした。マノがことばを手の中に包むとき、このようなしぐさをする。

「どうぞ」

ユールがふっと息を吸い、そしてことばは包まれる。


さて。

ことばを包んだら、急いで持って行かなくてはならない。どのくらい保管できるかはマノも試したことは無いのだが、なにぶん手を開いてしまうと言葉がこぼれていってしまうので、持っていても半日が限度だった。

ベルデ通りはここから半時というところか、何もできなくなるマノのため、なぜかいつも付き添ってくれるのは子どものころからナダだった。


ことのは、つつんで、せをかぜ、おいこし、

ことのは、ながれて、こころに、のこれど、


ことばを包んでいるとき、マノはゆるやかに歌う。本人も意識していないところで、歌う。この歌が聞きたくて、ナダはいっしょに来るのかもしれない。

坂の多い街並みを、階段やちいさな路地を駆使して二人は歩く。ゆるゆると流れる歌と、強い風と、遠くなり近くなりする大通りの喧騒とで、なにか小さな絵画を見ているような時間。空気がまるくなって包み込んでくるような、ことばを運ぶこのゆるやかな時間も独特のもので、もしかしたらマノの贈り物のちからのひとつなのかもしれない。そしてこの時間が、おそらくナダは好きだ。

ナダはマノを好きだろうって、それは、これからの話だ。好きかもしれないし、この時間が好きなだけかもしれない。

さても、閑話休題。

今回マノは、転ぶこともなく、誰かにぶつかることもなく、無事手の中にことばを入れたまま相手の家に着いた。

「居るかな」

「そもそも入れるか、だよな」

二人は目の前の、手入れが行き届いた大きなお屋敷を見た。昼間から物語を書ける少女が労働階級とは思っていなかったが、これはかなり裕福な家である。

「どうやって入ったもんかな」

ナダは大きな正門を追い越し、使用人用の扉を発見した。そこで届け物がある、と仕事のように使用人に声をかけ、口先三寸で少女、まあ言ってみるにお嬢さまに会う算段を付けたのである。しかしいくらナダの口がうまいからと言って、そう簡単に会えたわけではない。二人が少女からユールが受け取っていた手紙の封筒を預かっていて、そしてたまたま少女がどこかしらから帰ってきたところだったから会えたわけであるが。

「まあ、ユーリエが、手に怪我を」

簡易な応接間で迎えてくれた少女はエオリアという名前で、緑の衣装を穏やかに着こなした、いかにも本が好きなお嬢様といった体の少女であった。少し地味すぎるような調度品に囲まれた部屋であったが、少女はあくまでも可憐で華やかで、なぜかすこし部屋にそぐわない印象だった。

ユールのことをユーリエと言われるとマノもナダもこそばゆいのだが、ここはユーリエで通さねばならない。

「それで、伝言を言付かってきました。どうしても、声で伝えたいと言って」

「まあ、それじゃあなたが『あてにならない運び手さん』なのね? ユーリエから教えてもらったことがあるの」

話が早くて助かるが、いつもこういうときは「贈り手からの紙片」を使うことが多い。まあ要するに、証明書だ。この人間はこういう贈り物のちからを持っている、ということを証明するものがあると思ってもらえばよい。でないと多様な異能が存在するこの世界が混乱してしまうから、この世界に生きる者たちの知恵とも言えよう。

声を運ぶと聞いて一瞬目が輝いたエオリアだったが、すぐ表情がくもる。自分が送った手紙の内容を考えるに、どのような伝言か不安になったのだろう。

「そうね、わたしが送った手紙のことよね。伝言を聞くにはどうすればいいのかしら」

「わたしが手を開けば、聞こえます」

「じゃあ……いえ、少しお待ちくださいね」

エオリアはなぜか一度立って、奥の間に続く扉を開けた。そしてすぐ戻ってきた。

「すみません、お待たせしました。お願いします」

声が流れ始めたが、ユールが精いっぱい細い声を使って話していることは、見逃してほしい。幼馴染の二人は表情を変えないように必死であった。

ユールからは、怪我をして返事が出来ない非礼を謝ることに始まり、心配していること、いつでもいいからまた続きを読ませてほしいこと、体を気遣う言葉が続いて、終わった。

「……ありがとうございました」

エオリアは、かなしげな表情を見せた。そして、言った。

「申し訳ありません、手紙にある物語を書いていたのは、わたくしではないの」

ほんとにややこしい話になりそうだわ、とまたマノは思った。

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