十津川郷にて天誅組一団の魂魄の訪問を受けしこと

 われ一人、旅を続けぬ。

 我が心を長年悩ませしことは山口県の萩にて解決せりと思いし。この頃はひたすら2020年の東京オリンピックのことや奈良国民文化祭のことを考えつつ旅を続けたり。すなわち来年の奈良国民文化祭の成功こそが東京オリンピック成功の天王山と思いを定めたり。

 2020年東京オリンピックに際して思い定めたること多く様々な皆様に提言しネットで発散せしも、しかし改善の兆しなく、ただ空しく時が飛び去るのみでありし頃であるが、望みを捨てる訳にはいかず全国を行脚する日々の頃なりし。

 すなわち東京オリンピックの開催地を広く広く日本国内に求め、もっとも相応しい場所に定めること、パラリンピックはかっての東京オリンピック開催時期と同じくし十月十日とすることなり。

 これが厳しき東京周辺の酷暑、残暑を避ける唯一の方法なりしが、東京都民の中には狭き了見から東京に開催地を求めんとする者が洗われんことを予想するものなり。その打開策として国民文化祭なるものを東京近辺で開催し都民の心を安んずることと考えし。またスポーツの祭典と狭く定義されるオリンピックなる国際的イベントに文化という新風をも吹き込むことも面白きことなりし。オリンピックなるイベントの古くギリシアの国から発せしに、ギリシアの国は人類の文化文明の発祥の地なりしに何ら反論することもなきにしあらずや。かくて、われ奈良県内を東西南北に奔走せり頃なり。

前口上が長くなりしが、本題を語らん。


 ときは梅雨末期。北部九州に大雨降りし六月下旬の頃なり。吉野奥深く十津川村に滞在せし頃なり。山には霞がかかり、湿った空気が充満せし頃なり。

 その夜は道の駅「十津川」なる駐車場に落ちつきぬ。十津川なる村は険しき山と谷の村にて平地狭し、人里を一歩離れると獣と樹木が支配する世界なり。滞在せし駐車場も平地少なき地域ゆえに断崖絶壁の谷の上にコンクリートで固めて造りおり、下をのぞき込むと闇の中、断崖絶壁のかなたに川が流れておりぬ。高い場所は苦手にあれば避けたき場所なれど、日は暮れ、疲労困憊し、また国道と言えども道幅狭くカーブーも多く運転わずかに誤れば深い谷底にまっさかなり。あるいは暗闇にの中から恐ろしき話も通じぬ妖怪魔物が現れんとも限らん。かくなる過酷なる自然条件は過去も現代も変わることなりせば、ただ古代より尊皇の志篤く、歴史に変わり目には常に表面に立ちしことを誇りにするものである。古くは神武天皇東征の折には神武天皇一行を険しき山中を案内する八咫烏として描かれし。南北時代、戦国時代、そして明治維新と日本が大きく揺れる時には、この山中に住む人々の動きは常に注目され、期待を集めし。とにかく、その夜は夜間の移動を避けて、心細きが断崖絶壁に上の駐車場に車を止めて早く休まんと決する。

 明け方ちかくなりし頃、鉄の扉を叩く者が現れし。

 小雨は静かに降り続けり。

 気配からまたぞやと感知せり。すでに関心ありし死者の声は聞きと思いし頃なり。しかるに拒むこともできず。黄泉の国に去り魂魄のみとなりし者の恐ろしきは拒むことなり。受け入れることを拒むことなり。拒めば鬼に変ずることもありしと古代から我が血筋に言い伝えあり。

「誰ぞ」と声を潜め問いかけつつ、そろりそろりと鉄板の扉を明けしに、四人の男が外に立てり。げに恐ろしき姿なり。前に立つ者は公家らしき若い青年なりしが、首に縄を結びしこと。後ろに控える者の一人は堅く目を閉じ杖に頼る姿から盲人のごとし。残る二人とは満身創痍にて衣服は泥と赤いに血に汚れたり。うちそろいし者、全員が太ももから下がなきことから魂魄に相違なし。

 彼らの姿を一目するなり正体を直感せり。聞く必要もなしと思う。

 公卿の中山忠光なる者に中心にする天誅の乱を起こし首謀者の一団に相違なし。

 彼ら一団は恨めしげに小雨の中に立ち、乱の首謀者である「中山忠光」が一人、訴えけり。

 我らが天子様を思う気持ち、他に勝るとも劣らず。 我らに何の落ち度ありしや。天皇自らがご親政あそばされることも必要なりしと思う志士も多く存在せり。それを実現するための大和行幸なり。すなわち孝明天皇おみずから攘夷決行を祈願すべくご先祖様でありせし神武天皇おわす橿原神宮や天照大神おわす伊勢神宮に祈願するの大和巡幸が決まり。その先駆けとして過激な志士たちが天皇ご親政の画策すべく京を立ち、船にて淀川を下り、さらに堺を通り、千早峠を越え、幕府代官所が配置される五条に入りぬ。千早にはは南北朝時代の天子様をお守りするために獅子奮闘せし楠正成の墓もあり、近辺には尊皇の志篤き者も多く住みぬ。道々、墓を詣で資金や武器を集め、仲間を募り五条に入りし。

 八月十七には五条に至りぬが、その日の内に五条一帯を天皇直轄領代官の鈴木なる人物に領地を明け渡し明け渡すように要求せり。もちろん代官は要求を呑まず。一団は代官所を襲うことを決め、夕刻に押し入り火を放ちぬ。お代官の鈴木なる人物は捕縛しが、翌日に首をはねぬ。天誅組の乱の始まりでありし。その後、天誅組は古の神武天皇東征のおり熊野から橿原に神武天皇をお護りしと言い伝えもある尊皇の志篤き十津川郷士を巻き込み四十日間、天子様の命を受けた幕府軍と吉野の山々で戦いぬ。

 その四十日間、色々なことがありしが省略するしかあらず。しかし、あたかも半世紀前の秩父山拠点に起きし連合赤軍事件を想起し、天誅組を良き思わざるなり。


「松蔭先生が言う魂魄の声を聞く者とはお主か」

 恐る恐る頷きぬ。

「ならば、しばし我が言葉に耳を傾けたし」

 やはり恐る恐る頷きたぬ。

「我らはここ十津川を出発点として十津川郷士の案内のもと橿原に進出し、孝明天皇を橿原にお迎えし、一向に攘夷を実現せぬ幕府を排除し天皇みずからをご中心に新国家を樹立し夷狄と対決せんと欲す。そのために三条実美公や長州の者たちと意を通じ、京を出て海路を進み、先に進み、五条の代官を襲い新国家樹立を宣言せぬも、力及ばず高取城の戦いで敗れ、一時は天の辻という要所に陣を移したるものを、神宮天応の東征以来、尊皇の思い篤き十津川郷士を頼り、十津川に陣を移しぬ。しかるに十津川郷士は我が意に従わず、戦も思うに任せず。かくして我らは十津川捨て、散々散り散りになり山中を逃げ惑い、幕府軍に打たれり。我は一命を取り留め、長州に逃れるを長州藩内の保守派巻き返しのおりに暗殺者により首に縄を巻かれて絞殺されぬ。無念なり」

無念という心情をから、100年以上を超えし今も成仏できず、黄泉の国と現世を未だ彷徨う魂魄であることと想像せり。


「未だ黄泉の国に去りし、三条実美どのとの交流はなしや」

 もし黄泉の国で三条実美公たちとの交渉があれば、当時の京都御所内の動きや、その後の日本の運命を知り、成仏の糸口を掴めると思っての質問でありし。

「誰とも話す機会はあらず」

 天子様や三条公などから裏切られたと思うあまり関係を絶ち、天涯孤独のまま心を堅く閉ざしたままであるが故に話しかけてくる者もおらず、黄泉の国と現世を間を迷いさまよっているに違いなしと哀れに思い、手助けせんと決意する。文久3年当時の様子を伝えることで彼らを助けることが出来るやも知れぬと思いぬ。歴史に疎き者であるが、文久3年に日本国内で大変な騒動が起きていたことは想像できた。

「調べてお伝えせん。想像を絶することが親王らのお味方でありし三条公らの周辺で起きていたように感じぬ」と伝えり。

 親王は、かすかに表情を崩して頷きぬ。

「では明日」と言い残し去りぬ。

 かすみかかりし青き山々が見えし頃、話は終わりぬ。

 一団が去りし方向に十津川歴史民俗資料館なる建物が見えし。

 やがて悲しきホラ貝のようなサイレンなりぬ。大雨のために増加したダムの水を流す旨の村内に通報するサイレンなりたり。

 旅の途中なり、十津川には歴史を調べる図書館などなく、ただネットを活用し、魂魄たちに応えるための知識を得んと欲す。


 天誅組とは文久3年(1863年)、新暦に言う8月頃から9月にかけ奈良の五條市から、滞在しおる十津川周辺を拠点にすみやかに実現するために乱を起こしたるものなり。概略の経緯は昼間、村の歴史資料館にて把握せし故に、お伝えできる。時は文久三年(1963年)旧暦の八月中旬のことなり。新暦で言えば10月末の頃から11月中旬の吉野の山に冬が訪れんとする頃なり。我はこれまで良き印象を持たざるものなり。まず天誅という呼び名が嫌を言わせぬ暗殺行為の前に使われる言葉と言う印象が強き故と、半世紀前の連合赤軍の秩父山山中を逃避しながら仲間への集団リンチなど非残虐的な行為を繰り返し、最後は山荘に立て籠もり警察官に銃撃を繰り返した浅間山山荘事件を連想するゆえなり。

 彼らが決起に至る経緯は1853年のペリーの黒船来航と国内の攘夷運動が高まりに他ならず。特に当時の天子様の孝明天皇は外国人を毛嫌いし、彼らの決起の一年前の文治二年(1862年)から幕府に対し、再三の攘夷命令を発し。にも関わらず天子様の攘夷決行の命に無視され続け、わずか長州藩のみ文治三年(1863年)に下関海峡を通過せんとするアメリカ艦船を旧暦に5月10日砲撃せり。この戦には天誅組を指揮せし、青年の公家の中山忠光も加わりしと伝えられし。ところが夷狄は互いに繋がっていたかのようで一月も経たぬ6月5日にはフランス軍が下関に報復攻撃を仕掛け下関の砲台は破壊され尽くされ、その上にフランスの陸戦隊の上陸を許す結果になりし。 一方、薩摩藩は長州の下関砲台へのフランス陸戦隊上陸を許す6月5日から遅れること一月半後の7月2日から7月4日にかけ英国海軍の攻撃を受け、英国海軍にも相当な損害を与えしと言えど、鹿児島市内は焦土と化せり。この薩英戦争なるものも、すべてがその前年に起因することなり。久光の上洛でとうとう薩摩が攘夷決行を断行するという言う噂で多くの尊皇攘夷志士を京に集まりし。しかるに久光の本心は大きく相違し公武合体であり、巷の攘夷志士行動とは一線を画すものなり。久光は秩序を守るために寺田屋にて攘夷を主張する薩摩藩急進派を処分せし。しかし、その後、久光は攘夷決行を促すべく天子様が幕府に派遣せし勅使「大原重徳」なる者を警護して江戸に出向きし。事件は、その江戸からの帰路、武蔵国生麦という村にて久光一行の行列が通りせし時、起し。行列前を横切りし英国人を薩摩藩が切り捨て、その蛮行の仕返しのために英国艦隊の鹿児島湾に侵入し、鹿児島を砲撃せしものなり。薩英戦争の結果、薩摩は斉彬公以来、国内の先駆けとなり近代化を急いだにも関わらず、現状では攘夷が不可能であると自覚し、英国に留学生を派遣するなどし、近代化に急ぐこととなりぬ。また近代的な武器購入を1865年南北戦争終了後、武器あまりとなった世界市場から長崎のグラバーなどを通じて急ぐことになりし。

 また京の都では攘夷志士が集まり、新撰組が結成され血潮舞う、大混乱が起きにし時代なり。


 翌日も激しい豪雨と小雨、そして曇りと繰り返す日にありし。それは眠りにつかんとする頃も同じなりしが、やはり朝方、公卿の中山忠光一行が現れぬ。

 前に立ちし中山なる人物は、天子様に近い貴族と言えども、まだ二十歳にも満たない若者ゆえ、この年寄り、年長者が若者を説諭する口調になりかねず、注意せし。このような 若き身では荷が重すぎると自身も周囲も自覚せぬことを不思議に思う。

 彼らは黙って私に耳を傾けたり。

「八月十八日で京におきたクーデターのことはお耳に届きそうろうか」

 若き公家は黙って頷けり。

 譲位決行派の三条実美ら公家が禁裏から閉め出され身の危険を察して翌日の19日には都を捨て長州藩の領地に向かい落ちるという事件なりし。

 彼らが乱を起こし日は前日の八月十七日なりし。一日待てば歴史は変わりしやも知れぬ。ただの偶然とは思えず。

 貴殿らの暴発は攘夷派公家を京都から追放するというクーデターは公武合体派や開国派行う言質を与えたにあらずや。下関砲台のフランス国陸戦隊による占領や薩英戦争での鹿児島全域の焦土化で国家の体制はすでに現状の国内の戦力では攘夷は不可能なりしと分析し、いたずらに夷狄と争うは日本を滅亡に陥れると分析していたにあらずや。ただ内々の動きは一切に知ることはあたわず。いずれにしろ前日の八月十七日に五条代官所を襲うという暴挙さえせねば、クーデターも起きなかったやも知れぬ。貴殿らの京出発、堺や河内、千早峠を越える不穏な行動はすべて京に通報され、天子様はもとより周辺の公家、会津や島津に通報されていたことも疑うべし。しかし若気の至りとは八月十七日夕刻の代官所襲いことさえなければ歴史は変わっていたやも知れぬ。貴殿らとは異なる視点で世界を俯瞰し貴殿らの行動も見越して日本の舵取りをした集団がいたに相違なきこと。貴殿らの攘夷過激派一掃を狙う謀りごとがあったことも事実なり。すべては黄泉の国に集いし者たちのみが知る秘密事項ならん。我ら現世に留まる者は知らず。疑いなきは文治二年(1892年)薩摩の国父島津久光が攘夷の天子様の勅書を征夷大将軍に届けるべき勅使を護衛して江戸を訪れて以来、事態は日々変わり、朝廷内の人事も朝令暮改の有様にて明確に申すことは出来ず。ただし貴殿らの望みし、攘夷なる思いを実現するのは、それから遅れること40年後のことなり。日露戦争の時代まで待たねばならなかったのではないかと想像せり。心を開き黄泉の国に入り、さらに黄泉に国にて心を開き話さんことを勧めるのみ。天辻にて十津川郷士を強引に天誅組に引き込まんと首をはねし者や、『討つ人もうたるる人も心せよ。同じ御国の御民なりせば』と歌を残し、争いを鎮めんと腹を割きし十津川郷士とも語らん。騒動に巻き込みし多くの村人とも心を開き語らん。すでに京において追討の勅命が下りしと内情を知りし上で、天誅組に従わざる得ない十津川郷士の心の苦衷は如何ばかりか思いを巡らせ給え。黄泉の国にては万人すべて平等なり。親王も若さ故に重過ぎし肩の荷を下ろされん」



 我が天誅組の乱の首謀者との交流を書き残したる理由は長い前文に述べたり。

 今、日本は未曾有の地震を数年おきに体験しぬ。地震は自然災害にて諦めるしかないと思いしが、痛ましいのは人災と定義づけられし福島原発事故なり。次に続く人災は2020年東京オリンピックの大失敗か?。それとも備えなく抑止力なき尖閣諸島への人民解放軍の侵略による紛争勃発か?。

 黒船来航は日本人にとって宇宙人の到来に似たるごとく大事件なることは理解せしが、やはり日本人は昨今の失態に危機感を抱き真剣に向き合うことが大事ではなかろうか?

もし東京オリンピックが失敗に終わった場合は国の制度見直しのために遷都も検討すべきことと感じたり。


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