第18話

「でも……よかった。珠姫は、無事だったんだね。」

とても小さな声が、私の耳に届く。

「よかった。珠姫を守れて……とても大切な人を守れて、よかった……」

握った手には、誕生日プレゼントに贈ったペアの時計。

そうだ。

私もあの日に、ペアの時計をしていたけれど、事故に遭ってどこかに行ってしまったのだ。


「良人も、きっとよくなるわ。」

「そう……だね……珠姫の為にも……早くよくならなきゃ……」

私を庇って、こんな大怪我をした良人。

そんな人を放っておいて、私は……私は!

記憶がない事をいい事に、他の人を、婚約者だと間違っていたなんて。

「ごめんなさい。」

私は立ち上がると、良人の病室を飛び出していた。


なんて、愚かなんだろう。

何度も何度も、違うんじゃないかって、私の心の奥が、そう叫んでいたのに。


私がふらつきながら辿り着いた場所は、入院患者さんが食事を摂るところとして使う、待合室。

そこに窓のサッシに、賢人が座っていた。

私に気づいた賢人は、声を絞り出すように、こう言った。

「……思い出したんだね、何もかも。」

「うん。」

「そうだよ。僕は、珠姫の恋人じゃない。」

賢人の涙が、手に溢れ落ちるのが分かった。

「どうして?」

私は痛む胸を押さえながら、賢人の目の前に立ち尽くした。

「どうして、嘘をついたの?」


同じ顔。

同じ声。

同じ体を持つ、二人の男性。


「騙したの?」

「違う。」

「同じ顔だから?私が記憶喪失だから?騙して、反応を楽しんでいたの?」

「違うよ!」

「じゃあ、何なの!?何が目的なの!?」

賢人とは、唇を噛み締めていた。

「少しでも……珠姫の力になれればって……」


賢人に初めて会ったのは、良人と付き合って、1年ほど経ってからだ。

『珠姫。俺の弟を紹介するよ。』

『弟?良人に弟さんなんて、いたの?』

『はははっ!実は会わそう会わそうって思ってたんだけど、あいつ、大学が県外でさ。』

『そう。』

『双子なんだ。俺と、瓜二つなんだぜ?』

そう言って、賢人を思い浮かべながら、思いっきり笑顔になっていた良人。

どれ程賢人が好きなのか、私はまだ賢人に会っていないのに、分かった。


『賢人!』

家の前で車を洗車していた賢人。

振り向いた賢人は、前髪が長くて、ちょっとミステリアスな雰囲気だった。

『俺の彼女。』

『市田珠姫です。うわぁ、本当に似ている。良人にそっくりね。』

双子を見た事がない私は、それだけで、感動していた。

でも賢人は、何も言わずに頭を少しだけ下げて、また洗車を初めてしまった。


「僕だって、最初はいけない事だと思った。良人の……愛している人の、恋人の振りをするなんて。」

「じゃあ、どうして!」

「眠っている珠姫を見て、耐えられなかったんだ!良人は、このまま意識が戻らず、寝たきりになるかもしれないって言われて……」

「良人が……寝たきり?」

意識が遠くなって、私はフラッと一歩、後ろへ下がった。

「だから、せめてこのまま、良人が目を覚まさないのなら、僕が良人の代わりに、珠姫を幸せにしようと思ったんだ!」

目の前がグルグル回って、私はとうとう床に、膝をついた。

「だからって、やって良いことと、悪いことがあるわ!」

私は、叫ばずにはいられなかった。

「もし本当に!良人が目を覚まさずに、私が賢人と結婚すると言ったら、どうしてたの!?」

「……結婚してたよ。」

私は思いっきり、賢人の頬を叩いた。

「どういう事か、分かってるの!?私達二人が、結婚するって言う事は、私は婚約者を裏切って、あなたは双子のお兄さんを裏切るって事なのよ!?ご両親だって、私達の事は認めないわ!!」

「それでも!!珠姫と一緒にいられるなら、家族を裏切ってもいいと思ったよ!!」

賢人は叫んだ後、はぁはぁと、呼吸が荒くなっていた。


「珠姫……」

「近づかないで。」

賢人は一歩、また一歩と、私に近づく。

「止めて!来ないで!!」

それでも、賢人は私の側に近づいてくる。

「いや!」

私が両手を前に出して、賢人を止めようとした時だ。

彼は、その両手をすり抜けて、自分の腕の中に、私を引き寄せた。

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