第8話

「あら。お久しぶりですね。」

塀の外を見ると、この借家の大家さんの手が見えた。

「こんにちは。」

塀の外に出て、挨拶をする。

「今まで顔を見なかったけれど、どこか旅行にでも、行ってたの?」

「実は……ちょっと事故に遭ってしまって、入院していたんです。」

「まあ!大丈夫だったの?」

「ええ……なんとか、松葉杖で歩けるようになって。退院もしましたし、もう大丈夫です。」

「そうだったの。ごめんなさいね、何も知らなくて。」


 大家さんは、50代の世話好きそうな奥さん。

時々こうやって、借家を廻っているのだ。

「あら、噂の彼氏さん?」

大家さんが、私の後ろに立っている、賢人を見つけた。

「はい。」

私達は照れながら、顔を見合わせる。

「お話は聞いていましたけど、こうして顔を合わせるのは、初めてね。」

大家さんは、賢人にも気さくに、話しかける。

「はい。」

賢人は、頭だけを下げた。

「じゃあ、また。」

「また。」

私と大家さんも、互いに頭を下げて、すれ違った。

それを見計らって、賢人が塀の側に置いてある、車に乗り込もうとする。


「そう言えば……」

大家さんが、何かを思い出したかのように、私の方を振り向いた。

「彼氏さん、車変えたの?」

「えっ?」

私は賢人の車を見た。

「前は、白い車だったと思うけど。」

大家さんの言葉に、胸騒ぎを覚える。

賢人の車は、真逆の黒だ。

「もしかしたら、事故に遭ったついでに、買い替えたのかも……」

私も大家さんに、誤魔化しながら答えた。

「そう……事故に遭った車なんて、縁起が悪くて、乗ってられないものね。」

「はい。」

そして今度こそ、大家さんと私は、挨拶を交わしそれぞれの道へ。


「珠姫。」

車の中から、賢人が呼んでいる。

「ごめん。」

私は謝りながら、賢人の車に乗り込んだ。

「近くのスーパーでいいよね。」

「うん。」

車はゆっくりと、走り出した。

「ねえ、賢人。車、買い替えた?」

「えっ?いや?」

私は、勢いよく振り返った。

「どうして?」

「あっ……ううん。大家さんが、前は白い車だって、言ってたから。」

「なんだ。そんな事か。」

賢人はミラーを見ながら、、右へ曲がる。

「白い車も持っているけど、事故の時に乗ってたから、修理に出してるんだ。」

「修理……この車は、代車?」

「いや、僕のだよ。」

「賢人、車2台持っているの?」

「僕は1台だけど、家にもう1台あるから。」

賢人は、手慣れた手つきで、スーパーまでの道を走る。

「なぜ……事故の時は、白い車にしたの?」

「坂道を走るから。こっちは古いから。」

淡々と私の質問に答える賢人。

そこには、何の疑いの余地もなかった。


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