第3話 

 夢の中で私は、車の助手席に乗っていた。

『……人。今日は晴れてよかったね。』

『ああ、そうだね。珠姫の仕事も、無事みつかったし。よかった、よかった。』

運転席に乗っているのは、恋人の賢人。

私が体を壊して仕事を辞めた後、ドライブに来たんだ。

『あなたのお父さんには、感謝しなきゃ。』

『そんなに気負いする事はないよ。親父は、未来の義理の娘の為に、一肌脱いだつもりなんだから。』

『ええ?』

 

 私が振り返ると、賢人は道路の脇に、車を停めた。

『さあ、降りて降りて。ここ、いい景色なんだ。』

『もしかして、ここが目的?』

『一つ目はそう。』

そんな会話をして、私達は車を降りた。

 眼下には、山と曲がりくねった道。

そして、青空が広がっていた。

『うーん。気持ちいい!』

思いっきり両手を伸ばして、新鮮な空気を吸った。

『どう?気に入った?』

『うん!でも、もうちょっと、何かあったらなぁ。』

私は、わざと賢人に、意地悪を言った。

『贅沢だな。何かって、何?』

『そうだなー。虹とか。』

『虹?さすがに、自然現象は“はい“って、用意できないでしょ。』


 冗談で言った事も、真面目に答える賢人。

そこが、私のツボだった。

『じゃあ……青空をバックに、キスとか。』

『ハハハッ。いいよ。』

賢人が私を見つめる。

私も賢人を見つめる。

だんだん顔が近づいてきて、私は目を閉じた。

でも、なかなか唇が重ならない。


『賢人?』

私がゆっくりと目を開けると、賢人が四角い箱を持っていた。

私は目を、パチクリさせた。

『なあに?これ。』

すると賢人は、その箱を開けた。

中には、指輪が入っている。

『これ……』

私が顔を上げると、賢人は笑ってこう言った。

『婚約指輪。』

私は感激して、両手で顔を押さえた。

『……受け取ってくれますか?』

『もちろん!』

私は賢人に抱きついて、そのまま彼と、唇を重ねた。

それは、最高のプロポーズの、思い出になった。


「珠姫、夕食だよ。」

「……ん。」

賢人に起こされた私は、頬が濡れている事に気づいた。

「私……泣いてた?」

「えっ?」

賢人は棚から、新しいスプーンを出した。

「本当だ。ごめん、気づかなかった。」

私は痛い体を我慢しながら、手を顔を近づけた。

それを見た賢人は、先回りして私の涙を拭く。

「……ありがとう。」

「ううん。僕の方こそ、気が利かなくてごめん。」

賢人は、途中で止まっている私の手を、布団の中に戻してくれた。

「なんか……私、賢人に謝らせてばかり……」

「気にする事、ないってば。」

そして私の横に座った賢人。

「ところで、何で泣いてたの?悲しい夢でも見ていたの?」

「ううん。」

賢人はリモコンで、ベッドを起こす。

「どちらかと言うと、嬉しい夢?」

「へえ。どんな夢か、教えてほしいな。」

そして私の首元にタオルをねじ込んで、スプーンでお粥をすくい、私の口に入れてくれた。

「ふふふ。」

私は、左手の薬指を見た。

気づかなかったけれど、指輪があった。

「こ~れ。」

賢人に分かるように、左手を見せた。

「婚約指輪?」

「そう。賢人から、プロポーズされた時の夢。」

照れ笑いをして、賢人はまたお粥を食べさせてくれた。

「あの丘の上だったよね。」

「丘の上?」

私は、何気に左下を見た。

 夢の中では、丘の上に向かう途中だったと思うけど、あそこが丘の上だったんだろうか。

「結婚して下さいって言ったら、珠姫は嬉しそうに『はい。』って言ったんだよね。」

私は、賢人が運んできたお粥を、食べられなかった。


これは、私の記憶が間違ってるの?

それとも夢だから、現実と違ったのかしら。


「ねえ、賢人。」

そして私はまた、夢と違う部分に気づく。

髪型が、明らかに違うのだ。

「どうした?何でそんなに、驚くの?」

賢人はお粥の中に、おかずを入れた。

「ほら、珠姫。美味しそうだよ。」

お粥を食べた後も、賢人を見続けた。

「僕の顔に、何かついてる?」

「……ううん。」

「だったら、そんなに見つめないで。それは僕の、専売特許。」

「えっ?」

「僕は珠姫を、ずっと見ててもいいけど、珠姫は僕を、ずっと見てたらダメ。必要以上に緊張する。」

変な理屈に、思わず笑ってしまった。


「あっ、笑ったな。」

「だって、変な事言うんだもん。」

その内に、夕食のお粥は、お椀から無くなってしまった。

「あれ?これっぽっち?珠姫、足りる?夜中にお腹空かない?」

「あんまり動いてないから、大丈夫だと思う。」

「そっか。もし、お腹空いたら言って。」

 もしそうだとしても、何も食べる物はないのに。

でも、真剣な顔で後片付けをしている姿を見ると、この人が嘘をつくのかと、思ってしまう。

「賢人、この指輪……」

「ちょ、ちょっと待って。これ、片付けてくるから。」

賢人は夕食のトレーを持って、廊下に向かう。


「いい彼氏だこと。彼女に夕飯食べさせて、片付けもするなんて。」

斜め向かいのベッドに入院しているお婆ちゃんが、賢人に話しかけた。

「お婆ちゃん。入院している間だけですよ。」

賢人も冗談混じりに言うから、和やかな雰囲気が漂う。

 廊下から戻ってきた賢人は、急いでベッドサイドの椅子に座る。

「さてさて。うちのお姫様のお話を、聞こうではありませんか。」

「ふふふっ。なあに、それ?」

体が痛くてそんなに笑えないけれど、目が覚めてから、賢人に随分、笑わせてもらっている。

「珠姫は、僕のお姫様だからね。名前にだって、“姫”ってついてるでしょ?」

私は少しだけ、体を捻って後ろにある、名札を見た。


【市田 珠姫】


「本当だ。姫って、書いてある。」

「あながち、嘘じゃない。」

賢人は、ユーモアのある人だ。

「それで?さっき、何を聞こうとしたの?」

「ああ……この指輪、いつ貰ったのかなって。」

「……プロポーズした日って事?」

「そう、なるわね。」

すると賢人は、今までが嘘みたいに、黙ってしまった。

俯いて、悲しそうな顔をしている。


「賢人?私、何かまずい事でも聞いた?」

「いや。プロポーズの日を聞く事がまずいなんて、思ってないけど……」

「けど?」

「何で、そう言う事聞くのかなって……」

私は視線を、前後左右に動かした。

「あの……」

「うん。」

「賢人の髪型が、夢と違っていて……」

それを聞いた賢人は、サイドテーブルにあった鏡を見た。

「ああ、髪伸びたのか。」

賢人は、ボソッと呟いた。

「プロポーズした時は、髪切ったばっかだったんだよ。」

「髪を……切ったばかり?」

「うん。気合いを入れる為にね。」

「そう……」

そんな感じだったかな。

必死に夢の中の賢人を、思い出す。

「なになに。夢と違う事が、そんなに気になるの?たかが夢でしょ?現実と違う部分だってあるよ。」


現実と違う。

本当の記憶じゃない。

夢は夢。


「そう……ね………」

私は真っ直ぐ、前を向いた。

「もう横になる?ベッドの後ろ、倒すよ。」

「うん。」

賢人はリモコンで、またベッドを操作した。


そうよ。

夢なんて、自分の都合のいいように、書き換えられるじゃない。


「珠姫。思い出そうとするのは、良いことだけど、あまり焦らないでさ。」

「うん。」

「そのうち何かの拍子に、思い出すかもしれないって。」

「……そうね。」

私は下まで倒れたベッドで、横になりながら枕を直した。

「まあ、僕のイビキまで思い出されたら、困るけどね。」

「また、そんな事言って。」


笑いながら私は、賢人を信じようと思った。

夢の中でキスをした賢人は、プロポーズの場所が違ったって、台詞が違ったって、髪型が違ったって。


目の前にいる賢人と、同じ人だ。


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