第19話 迷宮狂騒曲 四章

日は変わって翌日。

体液を洗い流し心機一転で進むエル達三人は、昨日のクラスタスパイダーの幼体の死骸が殆どなくなっている理由を話し合いながら迷窟を歩いていた。

今度はビィアの強化魔法に驚いて魔力をぶちまける様なこともなく、今のところは昨日のクラスタスパイダーの死骸以外に魔物にも遭遇していない。


「……妙だな。」


「死骸が無いことが?それとも魔物が出てこないことが?」


「違うよエルちゃん、そもそも入り口にクラスタスパイダーの幼体が来たことが、だよ。」


冒険者とはこの程度の知識網羅して当然なのだろうか、とこの光景を見ても「死骸を踏み進むようなことがなくて良かった」程度にしか思わないエルは改めて冒険者という職業において自分は半人前であると痛感する。

尤も、エルは知らないが様々なモンスターの名前や特徴は兎も角、その生態に至るまでを詳細に覚えているクラウスとビィアは冒険者の中でもインテリに属する方である。


基本的に冒険者は今のエルのようにギルドから依頼を指定される事は稀である。

それゆえに自分の得意とする依頼を中心に活動する為、あらゆる魔物を網羅する必要性は少ない。

それを差し引いてもエルは少々魔物に関する知識が少ないものの、クラウスとビィアの専門的な会話に混ざることができないのは当たり前と言えば当たり前であった。


「クラスタスパイダーってのは蟻とか蜂みたいに「女王」を中心とした巨大な群体クラスタを形成する魔物なの。」


「女王蜘蛛の命令には絶対、酷い時は数百匹足止めに使って、そいつらごと敵を圧殺なんてこともやる厄介な魔物、なんだが基本的に獲物を襲うならもっと洞窟とかの奥深くで襲ってくるはずなんだが……」


「こんな入り口で数百匹けしかける、ってのはちょーっと違和感があるよねぇ……」


多い時は数千匹規模の群体を形成するクラスタスパイダーではあるが、それでも数百匹という数は決して軽い数字ではない。

ましてクラスタスパイダー達が襲ったのはゴブリンですらその危険性を理解できるこの黒鎧エルである。

仮にクラスタスパイダーの女王がエル達を仕留めるつもりで子蜘蛛をけしかけたとしても、もっと襲撃に適した場所があった筈だ。


「俺達が逃げる事を期待した?いや、それにしたってあんな中途半端な攻撃で済ませるとは思えねぇ……もし本気で俺達を追い返すつもりならそれこそ殺すなりダメージを与えられるなりの規模の戦力を持ってくる筈だ、それくらいの知能はあるからな。」


「強化魔法を使う身としてはあの子蜘蛛達、なーんか強化を受けてたっぽいかな。クラスタスパイダーは魔法は使えない、だとするとクラスタスパイダーの他に何かいる。クラウス君的に候補は?」


「ゴブリンメイジ程度じゃクラスタスパイダーと共生なんてできねぇ、だとすりゃ少なくともクラスタスパイダーよりも強いかクラスタスパイダーに警戒を抱かせない精神干渉が出来る奴だろうな。」


「うーん、だとすれば相当高位の魔物になりそう……アンデッド系の魔物の可能性もあるかなぁ……げ、アラクネの可能性も皆無じゃないかも。」


(要するに蜘蛛以外になんかいる、ってことかしら……っと。)


「ねぇ、ここから先縦穴だけど。」


エルの指差した先、そこには今までまっすぐ続いていた道が垂直に折れ曲がり、下へと伸びていた。

そして当然人が通る為の階段やはしごなどの親切は存在していない。

エルだけでなく、ビィアの強化魔法の効果で暗闇の中でも視力を損なっていないクラウスとビィアもまた、深くまで続く縦穴を覗き込む。


「どうする?私はまぁ降りる手段がないわけじゃないけど……」


「まぁ、俺も問題はないが……」


ちら、と二人の視線がエルへと向けられる。

明らかに鈍重な甲冑であるエルにここを降りる手段はあるのか、という無言の質問に対し、エルの回答は単純であった。

即ち穴に身体を投げ出す事による実演である。


「ちょっ!」


「なぁっ!?」


数秒後、すさまじい音と共にエルが落ちた先である下層から離れた上層にいる二人の足元にまで届く振動。そして数秒の沈黙の後、


「ちょっと色々湧いてきたからー……!もう少ししたら降りてきてー………!!」


仮にも高所から落ちたとは思えない気楽な声が下から二人の元へと響いた。


「……耐久力も規格外、ベヒーモスを受け止めたってのは誇張じゃないんだねぇ。」


「ビィア……さん。あんたもしかして、ギルドマスターからなんか頼まれてます?」


「あ、分かる?可能な限りエルちゃんの情報……特にあの鎧に関する情報を集めてこい、って言われてるの。」


それがラガがビィアへと出した「条件」であり、ビィア自身のエルに対する興味とも合致していた為に快諾したこと。

本来ならば逃げの一手が最善であろうクラスタスパイダー幼体の雪崩に対してエルの対応に任せていた時からなんとなくそうではないか、とクラウスは考えていたがどうやら辺りであったようだ。


「五感や耐久力、色んな能力が滅茶苦茶引き上げられてる。ただの村娘、ってのが本当ならあの鎧は村娘を英雄にする英雄製造鎧ヒーローメーカーとでも言うべきかな?私も一着欲しいくらい。」


ただ、とビィアは真下を覗き込みながら続ける。


中身実力が伴ってない。とりあえず速く、とりあえず強く、とりあえず危険……まさに魔物、あれで剣の達人とかだったらふざけんなって話かなー。」


エルの行動にはある種達人や経験者にある「理」が無い。

行き当たりばったりのその場対応の行動ばかりが目立つ傾向にあるとビィアは考えている。

あの恐るべき実力の鎧がある為に霞みがちだが、冒険者として必要な警戒や事前調査だけでなく、戦う者としての振る舞いや構えなどの基本が全く備わっていない。

要するに中身はずぶの素人ではないか、ということである。


「力は技と心……つまり精神性を伴って初めて真価を発揮する。エルちゃんはそれを飛び抜けた力と心だけで全部握り潰してる感じかな、本部付きの「剣帝」辺りならどうにかできちゃいそう。あいつ気にくわないけど強いし」


はたしてそうだろうか、と何やら下で戦っているらしいエルの様子をはるか上から伺いながらクラウスは思う。

本部付きの一等星冒険者の中でもさらに突出した実力を持つ冒険者ギルドのみならずこの国でも有数の冒険者「剣帝」のことはクラウスは風聞でしか知らない。

ただ、恐怖という感情をどこかに置いてきてしまったかのようなあの黒鎧が何かに負けるという光景が思い浮かばない。


それは数分ほどして下層へと降りた時、一面に広がる傷一つない魔物の死体で舗装された道を見てクラウスの中でよりエルという存在が危険なものへと繰り上がっていくのだった。

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